第77話 散りゆく野望
天律戦の開催まで、残すところ二ヶ月を切った。
ケンは、かつての敵であったヴェイル・ノクスから得た情報をもとに、シオンが潜伏する禁忌の地へと急行していた。マチを従え、鋼鉄の魔道列車を降りてからは険しい山道を駆け抜ける。
「急ぐぞ、マチ。シオンの居場所を突き止めた。……ヴェイルの情報が正しければ、奴はそこにいる」
「分かってる。でもケン、変ね。紫の国の支配者であるヴェイルが、どうしてここまで協力的なの?」
マチの懸念はもっともだった。ケンと一対一でドンジャラを打ち、敗北したとはいえ、ヴェイルがここまで素直に情報を渡すなど、本来ならあり得ないことだ。
二人はシオンが潜伏しているとされる廃城に辿り着いた。しかし、城内は異様なほどに静まり返っていた。
「……誰もいない?」
ケンは城内をくまなく捜索したが、シオンの気配はおろか、私兵団の残党さえも一人として見当たらない。空気が入れ替わったような、不思議な静寂だけがそこにあった。
「どういうことだよ、ケン。ヴェイルに騙されたの?」
「いや……そんなはずはない。……紫の国、いや、ヴェイル共和国の情報網が、どこからか漏れていたのか?」
ケンは唇を噛んだ。ヴェイルほどの男が、情報の漏洩を許すはずがない。となれば、何者かがヴェイルの陣営に潜り込み、情報を故意に操作したことになる。
その頃、廃城の裏手に広がる断崖絶壁の上。
ヴェイル・ノクスは、たった一人でシオンと佐藤栞を待ち受けていた。
ヴェイルの背後には、彼がかつて誇った私兵団の姿はない。ただ冷たい風が、彼の紫黒の髪を激しく揺らすだけだった。
「……来ていたか。シオン、そしてサトウ」
ヴェイルが低く呟くと、霧の中から二人が姿を現した。シオンは蠱毒の呪いを帯びたまま、愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。サトウはその隣で、獲物を狙うサキュバスの妖しげな瞳を輝かせている。
「あら、ヴェイル議長。作戦は中止したんじゃなかったの?」
サトウが嘲笑う。ヴェイルは表情一つ変えず、懐からドンジャラの牌を取り出した。
「ケンを救うため、ではない。私自身のけじめだ。お前たちがこの世界を食い荒らす癌であるならば、決勝を待たずして私がここで終わらせる」
「上等ね」
サトウが牌を放つ。三人は断崖の上で、命を賭けた極限のドンジャラ対決を始めた。
そのドンジャラは、単なる競技ではない。盤面に魔力が練り込まれ、一打ごとに大地が裂け、岩が砕け散る。ヴェイルは完璧な計算で盤面を制圧しようとした。しかし、シオンの放つ「破壊の理」は、計算という概念そのものを食い破った。
「ッ……これが、蠱毒の力……!」
ヴェイルの牌が、シオンの一撃によって粉々に砕け散る。
シオンの圧勝だった。彼女はサトウと共に笑いながら、敗北したヴェイルの胸元に、毒を含んだ影の刃を突き立てた。
そこへ、ケンとマチが駆けつけたのは、決着の直後だった。
断崖の上で血を流し、崩れ落ちるヴェイルの姿。そして、霧の中へと消えていくシオンとサトウの背中。
「ヴェイルッ!」
ケンは叫びながら、崩れゆくヴェイルの体を支えた。
「なぜだ……なぜ、一人で奴らを止めようとしたんだ!」
ヴェイルは、ケンを見上げると、血に濡れた口元を歪めて笑った。
「……ケンか。遅い……。だが、お前が来たということは、私の情報網をかいくぐった連中がいるということだな」
「ヴェイル、話せ。一体何が……!」
ヴェイルは、ケンの手を強く握りしめた。その力は、もう長くは続かないことを示していた。
「……ケン。この世界を頼む。支配でも、仕組みでもない……。お前なら、田中勇が辿り着けなかったその先を、見つけられる……」
「ヴェイル!」
「私は……間違っていた。……だが、最後に、裁定者と話せて……良かった……」
ヴェイルの瞳から、冷徹な光が消えていく。かつて魔王の系譜として、支配のみを信じていた男は、ケンの手の中で力尽き、息を引き取った。
ケンは、ヴェイルの温もりを失った手を握りしめ、天を仰いだ。
シオンとサトウの姿は、もうどこにもない。彼女たちは、ケンの知らないどこかで、天律戦の決勝に向けて牙を研いでいる。
そして、ヴェイルを死に追いやるほどの情報を操作した「何者か」の影が、ケンの心を冷たく覆う。
「……終わらせてやる。どんなルールであろうとも、俺が必ず、この世界の理を塗り替える」
ケンはヴェイルの亡骸を見つめ、静かに立ち上がった。
天律戦の足音は、すぐそこまで迫っている。勝利したシオン、そして謎の黒幕。ケンが背負う責任は、より重く、より深く、彼の心に刻み込まれた。




