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第76話 天律の招待状


 ヴェイル・ノクスが私兵団を撤退させたという報せは、瞬く間に世界を駆け巡った。それは単なる撤退ではない。ヴェイル共和国の実質支配者であり、五百年の歴史の中で最強クラスの論客として知られたヴェイルが、鈴木ケンという一人の若き裁定者に「屈した」ことを意味していた。



 鋼都バルガン、そして闇都ノクターン。各地の使節団は、ケンのあまりの変貌ぶりに戦慄した。

「鈴木ケン、あの男……ただの転生者ではなかったのか」

 各国の参謀たちが、青ざめた表情でケンの動向を注視する。ヴェイルを退けたということは、半年間の修行でケンが、ドンジャラの常識を覆すほどの力を手に入れたという証明に他ならないからだ。



一方、静寂に包まれたアルカナム王国の奥宮。

 白の国の真王・シズクは、窓の外を流れる雲を眺めながら、静かに牌を弄んでいた。彼女の背後には、かつての魔法塔の幻影が重なり、より一層その威厳を増している。

「ヴェイルを、あの一瞬でねじ伏せた……。やはり、あのおじさんは『特異点』ね」

 シズクは薄く微笑んだ。彼女にとって、ケンの成長は予測の範囲内だった。だが、自分が想定していた以上の速度で「王の盤面」へと近づいてくるその才能に、好戦的な期待を抱かずにはいられなかった。

時を同じくして、闇都の地下深く。


 サキュバスに憑依された佐藤栞サトウもまた、ケンの噂を耳にしていた。彼女は妖艶な仕草で爪を整えながら、隣に座るシオンの髪を撫でる。

「ヴェイルまで食いつぶしたなんて、本当に面白くなってきたわね。……シオン、聞いた? あの鈴木ケンっていう子が、貴方を救い出そうと足掻いているみたいよ」


シオンは、虚ろな瞳でただ壁を見つめていた。だが、サトウの言葉が脳裏に届いた瞬間、その顔にゆがんだ笑みが浮かんだ。

「……ケン? あァ、あの裁定者……」

 シオンは声を上げて笑った。その笑い声は、何千もの死者の怨念を混ぜ合わせたような、おぞましくも美しい響きを伴っていた。

「殺せばいいんでしょ? あの子を殺して、そのむくろの上で勝てば、この『蠱毒』から出られる……。ねえ、サトウ、そうすれば私は、また『王子』に戻れる?」

「そうよ。貴方がケンを蹂躙し、天律戦で勝利を掴んだとき、その呪縛はすべて解けるわ。……だから、思う存分壊してちょうだい」

シオンの瞳に、高貴な王子としての矜持ではなく、ただ憎悪と破壊の炎が宿る。彼女の中で、ケンの存在が「呪いから解放してくれる唯一の鍵」として固定された瞬間だった。

世界がケンの帰還に揺れる中、その中心にいるケンは、赤の国の道場で黙々と牌と向き合っていた。

 ヴェイルを退けたとはいえ、心に余裕はなかった。半年という期間は、修行に費やすにはあまりに短く、天律戦という結末へ向かうにはあまりに重い。

その時だった。

 道場の空気が一瞬にして凍りつき、黄金の炎が舞い散った。

「……五百年の時を越え、歴史が動く刻が来たか」

 姿を現したのは、不死鳥・フェニクスだ。彼は四つの光の束を呼び出し、それぞれがケンの手元、シズクの元、サトウの部屋、そしてシオンの傍らへと舞い降りた。


 ケンがその光を手に取ると、それは重厚な封蝋で綴じられた『天律戦の招待状』だった。

「ついに来るか」

 招待状を開くと、中には決戦の日時と、舞台となる『旧白の国』の座標が刻まれていた。天律戦まで、あと二ヶ月を切ろうとしている。



 フェニクスは、ケンに冷たい視線を投げかける。

「説明してやろう。この招待状を受け取った時点で、お前たちの運命は決定された。アルカナの意志、すなわち世界そのものが、お前たち四人の殺し合い……いや、牌による理の奪い合いを望んでいる」


「殺し合いは禁止のはずだ。田中が制定したルールだぞ」

 ケンが反論するが、フェニクスは毒舌を吐き捨てる。

「殺し合わぬとは言っていない。だが、敗者は魂の底まで搾り取られることになる。アルカナが制定する『次の五百年のルール』のために、お前たちの意志、希望、そして記憶さえもが、牌の糧となるのだ」



二ヶ月。

 ケンにとって、この二ヶ月は、田中勇が遺した遺産をすべて使い果たし、シオンの呪いを解き、シズクの王道を覆すための唯一の猶予期間だった。

招待状を握りしめるケンの背中を、マチが静かに見つめる。

「ケン……。二ヶ月で、全てを終わらせる気ね」

「ああ。……俺が田中勇の後継者として、世界を救うための答えを出す」

鋼都バルガンに吹き荒れる風が、決戦の近づきを告げる。

 天律戦の火蓋は、すぐそこまで切られようとしていた。招待状を受け取った四人の裁定者たちは、それぞれの殺意と、それぞれの理想を抱き、白の国の廃墟へと視線を向けた。

世界が、次なるルールを待ちわびている。

 ケンは道場の床を踏みしめ、己の魂を牌に込めた。二ヶ月後、歴史のすべてが、この卓の上で決着する。

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