第65話 蘇る記憶
赤の国(カルディア王国)、首都・鋼都バルガン。
この日、要塞都市の空は、雲一つない見事な快晴に恵まれていた。街の至る所から打ち鳴らされるドワーフたちの祝砲は、数日前のドンジャラリーグ優勝パレードの時よりもさらに大きく、そしてどこまでも温かい祝福の響きを帯びていた。
王城の中庭に設けられた特設の結婚式場。
純白の絨毯が敷かれたその場所は、赤と金、そして深緑の豪奢な花々で飾られ、溢れんばかりの参列者たちの笑顔で満ちていた。
ファイターズのメンバーであるサクラ、コアラ、エマ、エミたちは、それぞれ華やかなドレスに身を包み、すでに感極まって目元をハンカチで押さえている。ドワーフのガクやゲン爺さんも、今日ばかりは作業着ではなく、窮屈そうな正装を着込んで上機嫌に酒杯を傾けていた。
祭壇の前で待つケンの胸の奥では、彼独自の予測システム『camembert6 peace(C6P)』が、静かに、そして穏やかに駆動していた。
だが、今日ばかりは敵の打牌を予測するためではない。周囲から絶え間なく押し寄せる「祝福」「歓喜」「幸福」という膨大なデータ(タスク)を処理し、自身の感情がオーバーフローして泣き出してしまわないようにするための、幸福な防衛線だった。
「……綺麗だ」
ケンが思わず呟いた視線の先。
純白のウェディングドレスに身を包んだマチが、赤の国の国王であるタナカ・サトシにエスコートされながら、ゆっくりとバージンロードを歩いてくる。
普段は無骨な大剣を背負い、戦場で誰よりも勇ましく吼える戦乙女の姿はそこにはない。燃えるような真紅の髪は美しく結い上げられ、透き通るような白い肌と、はにかむような笑顔が、太陽のように眩しかった。
「ケン。我が国の……いや、俺の大切な妹を、頼んだぞ」
豪快で情に厚いサトシ王が、少しだけ目を潤ませながら、マチの手をケンへと引き渡す。
「はい。俺の命に代えても、必ず幸せにします」
ケンはしっかりと頷き、マチの温かい手を握りしめた。
祭壇の前に並んだ二人。
厳かな音楽が響く中、誓いの言葉が交わされ、指輪の交換が行われる。ケンがマチの薬指にはめたのは、ゲン爺さんがこの日のために打ち上げた、純金と真紅のルビーのプロポーズリングだった。
「誓いのキスを」
神父役を務めるサトシ王の言葉に、会場中が息を呑んで静まり返る。
マチが、少しだけ背伸びをするように目を閉じ、ケンもまた、彼女の肩にそっと手を添えて顔を近づけた。
深緑と真紅のピースが、完璧に重なり合う瞬間。
二人の唇が、そっと触れ合った。
――その、刹那だった。
ガァァァァァァァァァァンッ!!!!
ケンの脳内で完璧な調和を保っていたC6Pの思考盤に、突如として致死量のエラーコードが奔った。
いや、それは外部からの攻撃ではない。
彼自身の脳の最深部、異世界に召喚された『五年前』からずっと厳重にロックされ、アクセス不能になっていた【ブラックボックス】が、マチとの絶対的な魂の繋がり(ピース)をトリガーにして、強制的に解錠されたのだ。
『……っ!? な、なんだ、これ……ッ!!?』
現実世界の光と音が完全に遮断される。
ケンの意識は、深淵のようなデータの濁流へと真っ逆さまに引きずり込まれていった。
――ミンミン、ジジジジジ……。
聴覚を支配したのは、鋼都の祝砲ではなく、けたたましい蝉の声だった。
視界に広がったのは、白いチョークの粉が舞う、見慣れた黒板。
並んだ木製の机。窓から差し込む、刺すような日本の夏の西日。
そこは、間違いなくケンが前世で通っていた、現代日本の『中学校の教室』だった。
(……中学校……? なんで、今更こんな記憶が……)
ケンが戸惑う中、記憶の映像は鮮明に再生されていく。
教室の後ろの席。そこには、一つの机を囲んで笑い合う、二人の男女の姿があった。
『すげえだろ! これが俺の新しい戦術だ! ドンジャラ全国大会に向けて、完璧に仕上げてきたぜ!』
自信に満ちた屈託のない笑顔で、ドンジャラの牌を指先で弾く少年。
少し癖のある髪に、真っ直ぐで強い意志を宿した瞳。
『はいはい、どうせまた土壇場で直感に頼るんでしょ? あんたのそういう大雑把なところ、計算式が泣いてるわよ』
少年の向かいの席で、頬杖をつきながら意地悪そうに、しかしどこか楽しげに笑う少女。
艶やかな黒髪に、妖艶さすら感じさせる鋭い瞳。
その二人の顔を見た瞬間。
ケンの魂が、物理的な衝撃を受けたかのように激しく震え上がった。
(嘘だ……。嘘だろ……ッ!?)
少年――田中勇。
少女――佐藤栞。
間違いない。ケンの中学二年生の時の、同じクラスの同級生だ。
田中勇は、底抜けに明るく、クラスの中心にいるようなやつだった。そしてドンジャラが異常に強く、十四歳にして全国大会で二位になるほどの天才だった。
佐藤栞は、頭が良く、少し冷めた目線でいつも田中の隣で彼をからかっていた少女だった。
そして、この二人は――中学二年生のあの夏の日、忽然と姿を消した。
行方不明事件として警察も動いたが、結局見つかることはなく、未解決事件として処理されたはずだ。
――ドクンッ!!
バラバラだった全ての情報が、ケンの脳内で一つの恐ろしい真実の絵を描き出す。
五百年前に魔王軍を打ち倒し、殺し合いを禁じてドンジャラで全てを決める『天律の書』を制定した先代裁定者、田中勇。
召喚された時の年齢は、十四歳。
出身は、現代日本の中学生。
そして、現在。『シオン』という数万の怨念の化け物を操り、世界を混沌に突き落とそうとしているサキュバス、佐藤栞。
彼女の魂は本来、あの悪魔の肉体ではなく、別の場所にあると冥犬ケルベロスは言っていた。
(……田中勇と、佐藤栞が……五百年前の裁定者と、現在の世界の敵だと……!?)
なぜ、今まで気づかなかった?
いや、名前が同じだという偶然は頭の片隅にあった。しかし、異世界転生というあまりにも非現実的な事象を前にして、『アルカナ』と呼ばれる世界そのものの意思が、ケンの記憶に意図的なプロテクトをかけていたのだ。彼らが自分自身の『同級生』であるという、決定的なパーソナルデータを認識させないために。
『次に来る者へ』
田中の日記に残されていた、青の国(アルカナム王国)が保管するその言葉。
あれは、不特定多数に向けた言葉ではなかった。
田中勇は知っていたのだ。いつかこの世界に、かつての自分たちの同級生である『鈴木ケン』が召喚されることを。だからこそ、自分の全てをドンジャラの牌に託し、五百年の時を超えてメッセージを残したのだ。
――ガハッ……!!
「ケンッ!!?」
唐突に記憶の濁流から現実へと引き戻されたケンは、誓いのキスの途中で激しく咳き込み、その場に膝をついた。
「ど、どうしたのケン!? 顔が真っ青じゃないか!」
マチが血相を変えてケンの体を抱きとめる。
会場中がどよめき、サトシ王やサクラたちが慌てて祭壇へと駆け寄ってきた。
「大丈夫かケン坊! また魔力が暴走したのか!?」
「い、いや……違う……」
ケンは荒い息を吐きながら、冷や汗にまみれた顔を上げた。
その瞳の奥には、かつてないほどの巨大な混乱と、そして圧倒的な『決意』が渦巻いていた。
「思い、出したんだ……。俺の記憶の、一番大事な欠損データ(ピース)を……」
「記憶の欠損?」
マチが怪訝そうな顔をする。
ケンは、震える手でマチの腕を掴み、しっかりと彼女の目を見つめ返した。
「田中勇……先代の裁定者であるあんたたちの英雄と。そして今、シオンを操って世界を壊そうとしているサキュバスの佐藤栞。……あいつらは、俺の前世の、中学生の時の『同級生』だ」
「なっ……!?」
その言葉に、マチだけでなく、サトシ王も、周囲にいたファイターズの面々も息を呑んで絶句した。
「あいつらは十四歳の時……中二の夏に、俺の目の前から突然行方不明になった。それが、この異世界への『召喚』だったんだ」
ケンは立ち上がり、己の脳内アサナボードに、これまでとは次元の違う最重要プロジェクトを立ち上げた。
これまでは、「世界を救う」というどこか俯瞰した目的だった。
だが、今は違う。これは、俺の個人的な戦いだ。
かつての同級生である田中勇が、この世界で何を想い、なぜ元の世界に帰らずに死んでいったのか。
そして、同じく同級生である佐藤栞が、なぜあんな悪魔のような姿に成り果て、狂気に取り憑かれてしまったのか。
「……マチ。結婚式の最中に、本当に申し訳ない。でも、俺はすぐにでも動かなきゃならない」
ケンは真剣な表情でマチに向き直った。
「あいつらの真実を知るためには、五百年前のあの激動の時代を、田中勇のすぐ隣で最初から最後まで生き抜いた『生き証人』に話を聞くしかない。」
マチは、ケンのその切迫した瞳を見て、ふっと小さく笑った。
そして、己のウェディングドレスの裾を豪快に引き裂き、動きやすい長さにしてから、真っ直ぐにケンを見据えた。
「謝るんじゃないよ。あたしはあんたの妻で、そして最強の盾だ。あんたの行く道に、あたしが同行しないわけないだろう?」
「……マチ」
ケンは、力強く頷いた。
「行くぞ。緑の国(エバーグリーン王国)へ」
ケンの視線は、遥か彼方、世界樹がそびえ立つ深い森の方角を向いていた。
「五百年の孤独を抱える世界樹の巫女……緑の国の女王、ティア・エバーグリーンに会いに行く。あいつなら必ず、田中の全てを知っているはずだ」
ドンジャラによる平和を繋ぐための戦いは、第二フェーズへと突入した。
五百年の時を超え、十四歳の夏の日の真実を暴くため。
鈴木ケンとマチは、結婚式の熱狂もそのままに、新たな真実が眠る深緑の森へと旅立つのであった。




