第64話 祝祭のパレード
赤の国(カルディア王国)の首都、鋼都バルガン。
四国の精鋭たちが鎬を削る『ドンジャラリーグ』において、赤の国軍人チーム【ファイターズ】が劇的な優勝を飾ってから、一夜が明けた。
しかし、鋼都の熱狂は冷めるどころか、夜明けと共にさらなる爆発を見せていた。
街の至る所には赤と黄金の祝祭旗が掲げられ、ドワーフの工房からは絶え間なく祝砲が打ち鳴らされている。大通りは、今か今かと優勝パレードの開始を待ちわびる数十万の人間とドワーフの熱気で、むせ返るようだった。
「よし……パレードの警備配置、進行ルートの安全確認、それに各ギルドへの祝儀の配布タスクは全て『完了』だ」
王城の控室で、ケンは自身の脳内に展開した仮想タスクの項目に、次々と深緑色のチェックマークを入れていた。
過酷なオーバーワークを乗り越え、己の予測システム『camembert6 peace(C6P)』を「仲間との連携」という形で最適化させたケン。彼の思考の処理速度と安定感は、もはや一つの国の行政機関すら単独で回せるほどの次元に達していた。
「バウッ! ケンよ、外の広場がとんでもない匂いになっとるぞ! 我輩の三つの鼻が同時に悲鳴を上げておる!」
足元で短い尻尾を振る、仔犬の姿をしたケルベロスが、窓の外を指して吠えた。
その言葉通り、王城の前の大広場からは、醤油と砂糖が焦げるような暴力的なまでに甘辛い、極上の香りが漂ってきていた。
ファイターズの優勝を記念して、サトシ王の肝煎りで国民全員に振る舞われている『王国特製・闘牛丼』である。
「うおおおおッ! ファイターズ最強! ケン坊最強! マチ様万歳!」
「おかわりだ! ドワーフの胃袋を舐めるなよ! 肉をもっと盛れェ!」
広場には、赤の国の屈強な戦士たちが持ち込んだ数十もの巨大な鉄鍋が並べられていた。
鍋の中では、赤の国特産の霜降り牛肉と、甘みたっぷりのタマネギが、秘伝の甘辛いタレでグツグツと煮込まれている。ほかほかに炊き上がった純白の麦飯の上に、その肉を豪快にぶっかけ、さらに中央には濃厚な黄身を落とす。
徹夜で宴会をしていた市民たちは、その熱々の牛丼をかき込みながら、涙を流してファイターズの優勝を喜び合っていた。
「久しぶりの優勝だぞ……! 昨日のケン坊とマチ様の連携、思い出しただけで飯が十杯は食えるぜ!」
「エマちゃんとエミちゃんも凄かった! コアラちゃんの重圧も、サクラちゃんの猛攻も……あんな熱い勝負、生きててよかったァァァ!」
街中が笑顔と涙、そして牛丼の湯気に包まれている。
その光景を窓から見下ろしながら、ケンは小さく息を吐いた。
(……最高の景色だ。これが、俺たちが守り、勝ち取った『平和』の形なんだな)
ケンは胸のポケットにそっと手を触れた。
そこには、小さな、しかしずっしりと重い『小箱』が入っている。
昨晩、激闘の熱が冷めやらぬ中、極秘裏にゲン爺さんの工房を訪れて受け取ってきたものだ。
「……ケン。パレードの準備、もうできてるかい?」
不意に、控室の扉が開いた。
そこに立っていたのは、赤の国の豪快な戦乙女――マチだった。
普段の動きやすい軽鎧姿ではない。今日の彼女は、パレードの主役として、赤と金を基調とした豪奢な礼装に身を包んでいた。燃えるような赤い髪は美しく編み込まれ、少し照れくさそうに頬を染めている。その姿は、息を呑むほどに美しかった。
「ああ。タスクは全て片付いた。あとは、俺たちが主役として馬車に乗るだけだ」
ケンはケルベロスに「少し外を回ってきてくれ」と目配せをした。察しの良い冥犬は「バウッ」と一つ鳴いて、トテトテと部屋を出ていく。
控室には、ケンとマチの二人きりになった。
窓の外の喧騒が、なぜか急に遠く感じられる。
ケンはマチの正面に立ち、彼女の燃えるような瞳を真っ直ぐに見つめた。
「どうしたんだい、改まって。……昨日の無理がたたって、またどこか痛むのかい?」
マチが心配そうにケンの顔を覗き込んでくる。
「いや、体調は万全だ。C6Pの稼働も全く問題ない。……ただ、どうしてもパレードの前に、お前に伝えておかなきゃならない『最重要項目』があってね」
ケンはゆっくりと、胸のポケットから深緑色のベルベットで覆われた小さな箱を取り出した。
「……ケン?」
マチの大きな瞳が、その小箱を見てわずかに揺れた。
「俺は、五百年目の裁定者としてこの世界に呼ばれた。右も左も分からない異世界で、ただの一度も心が折れずに済んだのは、お前という最強の盾が、いつも俺の隣にいてくれたからだ」
ケンの言葉に、嘘や誤魔化しは一切なかった。
頭でっかちでロジックばかりを優先していた自分が、こうして人間の温かさを知り、誰かを心から信じられるようになったのは、マチの真っ直ぐな炎のおかげなのだ。
「二年後には、天律戦が控えている。紫の国のバケモノたちや、得体の知れない陰謀が渦巻く、誰も結末を予測できない狂気の盤面だ。……俺は、その戦いを絶対に生き抜く。そして、この世界の理不尽なルールを打ち壊して、誰もが笑える新しい平和を創り出す」
ケンは小箱の蓋を、ゆっくりと開けた。
そこに収められていたのは、一切の複雑なギミックを排した、純度百パーセントの黄金のリング。そしてその中央には、マチの情熱そのものを具現化したような、燃え盛る真紅のルビーが一つだけ、力強く輝いていた。
「ゲン爺さんに頼んで打ってもらったんだ。……俺には、お前が必要だ。戦場の盾としてじゃない。これからの俺の人生というロードマップを共に歩む、ただ一人のパートナーとして」
ケンは片膝をつき、マチに向けてその黄金と真紅の誓いを捧げた。
「マチ。俺と、結婚してくれ」
静寂。
窓の外からは相変わらず「牛丼うめえええ!」という能天気な歓声が聞こえてくるが、この部屋の中だけは、まるで時が止まったかのようだった。
マチは、目を見開いたまま、ケンの差し出した指輪と、ケンの真っ直ぐな瞳を交互に見つめていた。
やがて、彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。
「……バカヤロー。……そんなの、反則じゃないか……」
マチは両手で顔を覆い、しゃくり上げるように泣き始めた。
いつもは大剣を振り回し、誰よりも勇ましく敵陣に突っ込んでいく赤の国の戦乙女。
その彼女が今、ただの一人の女性として、ケンの前で声を上げて泣いていた。
「あたしなんて……ただ剣を振り回すしか能がない、ガサツな女なのに……。あんたみたいに、頭も良くて、ロジックだのシステムだのを操る天才に、相応しいわけないって……ずっと、そう思ってたのに……っ」
「違う」
ケンは立ち上がり、マチの震える肩を優しく、だが力強く抱き寄せた。
「俺の複雑すぎる思考のピースを、最後にカチッと繋ぎ合わせてくれるのは、お前のその『真っ直ぐさ』なんだ。お前がいなきゃ、俺の盤面は完成しない」
「……ケン……!」
マチはケンの胸に顔を埋め、さらに強く泣きじゃくった。
「……嬉しい……。あたし、あんたのお嫁さんになる……! ずっと、ずっと隣で、あんたの盾になって、あんたの背中を押してやるんだから……!」
マチの左手の薬指に、ケンがそっと黄金のリングをはめる。
真紅のルビーが、窓から差し込む朝日に照らされ、二人の未来を祝福するようにキラキラと輝いた。
「――はいっ! 現場のより報告! プロポーズ、大・成・功・でーす!!」
――バンッ!!!
突然、控室の扉が勢いよく開け放たれた。
「えっ!?」
「なっ!?」
ケンとマチが慌てて飛び退くと、そこには、ドアの隙間から耳を澄ませていたであろうファイターズの面々が、満面の笑みでなだれ込んできた。
「いやぁ〜、ケンさん! 言う時はバシッと言うんですね! 私、扉の向こうで感動して泣いちゃいましたよぉ!」
桜色の髪を揺らしながら、サクラが桃色のくす玉をパッカーンと割る。
「ふぁぁ……ケン、やるじゃない。すっごく顔真っ赤。可愛い」
コアラが眠たげな目で、からかうようにマチをつつく。
「ねえエミ、あの指輪、すっごく綺麗!」
「うんエマ。ゲン爺さんの最高傑作ね。ケン、気合い入ってるわ!」
双子のエマとエミが、マチの手元を覗き込んでキャーキャーと騒ぎ立てる。
「ガッハッハ! ケンさん、男を見せたな! これで名実ともに、赤の国の陣営だぜ!」
ガクが豪快に笑いながら、祝杯用の樽酒を肩に担いで現れた。
「あ、あんたたち……いつからそこで聞いて……っ!?」
マチの顔が、自分の赤い髪よりもさらに真っ赤に染まる。
「最初からに決まってるでしょー! チームのCEO(大将)の一大プロジェクトを、私たちが監視しないわけないじゃないですか!」
サクラの言葉に、ケンは思わず天を仰いだ。
(……情報解析(Edge)の能力を、こんなところで無駄遣いするなよ……)
だが、その溜め息すらも、心地よい笑いへと変わっていく。
仲間たちに冷やかされながら、顔を真っ赤にして怒るマチ。
その光景の中心にある、彼女の薬指の真紅の輝き。
すべてが、ケンにとって何にも代えがたい大切な『ピース』だった。
一時間後。
鋼都バルガンの大通りを、赤と金に装飾された巨大なオープンカー型の魔導馬車がゆっくりと進み始めた。
沿道を埋め尽くす数十万の市民たちの歓声は、すでに限界を突破している。
『ファイターズ、優勝おめでとうォォォッ!』
『マチ様ァァァ! ケン坊ォォォッ!』
舞い散る紙吹雪の中、馬車の上から手を振るファイターズの面々。
そして、広場の中央に設けられた特設バルコニーから、サトシ王が魔法の拡声器を持って国民に語りかけた。
『赤の国の誇り高き民よ!! 我らがファイターズの優勝、そして久しぶりの王座奪還を、共に祝おうぞ!!』
ウオオオオオオオオオッ!! と、地響きのような歓声が上がる。
『そして……本日は、もう一つ、我が国にとって最高の吉報がある!!』
サトシ王が、馬車の上にいるケンとマチを指差した。
『我がカルディア王国の誇る戦乙女マチと、裁定者・鈴木ケンが……本日、婚約を交わしたことを、ここに宣言するッッ!!』
一瞬。
数十万の市民が一瞬だけ、その情報の処理が追いつかずに静まり返った。
しかし次の瞬間――。
「えええええええええええええええええええッッ!!??」
「マ、マチ様が!? あのマチ様が、ケンとォォォ!?」
「うおおおおおおおおおおッ!! 優勝に加えて、結婚だァァァァァッ!!」
「宴だァァァッ! サトシ王、牛丼の追加だァァァァ!! 酒樽を全部持ってこォォォいッ!!」
歓喜、熱狂、そして爆発。
鋼都のボルテージは、ドンジャラリーグ優勝のニュースすらも軽く上書きするほどの、特大のお祭り騒ぎへと突入した。
ドワーフたちは嬉し泣きをしながらハンマーを空に向けて叩き鳴らし、人間たちは肩を組んで踊り狂う。
「ちょっと! みんな大袈裟すぎるよッ!」
馬車の上で、顔を真っ赤にして照れ隠しに手を振るマチ。
その隣で、ケンは静かに彼女の手を握りしめ、数万の笑顔が咲き誇る赤の国の景色を網膜に焼き付けていた。
(この熱狂。この笑顔。……二年後の天律戦で、世界がどうなろうと。俺は必ず、この幸せな盤面を守り抜いてみせる)
ケンの胸の内で、深緑と黄金の決意が、静かに、そして絶対的な強度を持って固まった。
四国を巻き込む混沌の足音は、確実に近づいている。
だが、今のケンには、迷いも恐れもなかった。
左手に輝く真紅の誓いと、共に戦う仲間がいれば、どんな未来の壁も必ず打ち破れると、確信していたからだ。
鋼都バルガンの空に、特大の祝砲が鳴り響く。
五百年目の裁定者の物語は、至上の幸福と決意を胸に、次なる激動のフェーズへと進んでいくのだった。




