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第66話 世界樹に眠る絶望


 鋼都バルガンを出発した魔道列車は、蒸気と魔力の混合動力で、緑の国(エバーグリーン王国)へ向けて荒野を疾走していた。

 赤の国の熱狂的な結婚祝賀ムードから切り離された車内は、嘘のように静かだった。ケンとマチが座る個室の窓からは、次々と移り変わる外界の景色が流れていく。


ケンは、膝の上に置いた手帳を睨みつけていた。そこには、あの日、結婚式の最中にフラッシュバックした「十四歳の夏」の記憶が、殴り書きで綴られている。

「……ケン。考えすぎだよ」

 隣に座るマチが、心配そうにケンの肩に手を置いた。彼女の左手の薬指では、ゲン爺さんが打った黄金と真紅のリングが、柔らかい日差しを反射して煌めいている。

「あたしはあんたの盾だ。どんな絶望的な真実が出てこようと、それを叩き斬る準備はできている」

「……ああ、分かってる。でも、マチ。もし俺が、前世での自分の責任に直面したら、どうすればいいんだろうな」

 ケンは、魔道列車の揺れを感じながら、田中勇と佐藤栞のことを口にした。

「田中勇は、この世界の英雄だった。だが、彼がこの世界に帰らずに残った理由は……ただの義務感や英雄譚ではなかったんだ」

 ケンは、自身の脳内で稼働するC6Pの思考回路を、過去のデータと未来の予測で複雑に絡ませる。

「もし、佐藤栞の肉体を乗っ取ったあのサキュバスが、田中が最も守りたかった女の子だとしたら。……俺たちが今戦っているのは、先代の裁定者が、五百年もの間守り続け、そして守りきれなかった『後悔』そのものなのかもしれない」


 マチは黙ってケンの手を取った。その力強い握力に、ケンは己の迷いを振り切るように深く頷く。魔道列車がエバーグリーンの大森林を抜け、樹都エルダナの巨大な世界樹『イグドラ』の根元に滑り込んだのは、それから間もなくのことだった。


 樹都エルダナの神殿。

 世界樹『イグドラ』の巨大な根が形作る玉座には、五百年の戦友であるティア・エバーグリーンが静かに座っていた。琥珀色の瞳は、ケンが駆け込んできたその瞬間、全てを見透かすように細められた。


「……ようこそ、ケン。そして、マチ。結婚式は、随分と盛大だったようね」

 ティアの飘々とした物言いは相変わらずだったが、その背後に漂う世界樹の巫女としての威厳は、以前よりも遥かに鋭いものになっていた。


「ティア。……田中勇の、全てを話してくれ」

 ケンは真っ直ぐに彼女を見据えた。

「サキュバスのサトウと、俺の同級生だった佐藤栞のこと。そして、田中がなぜ帰らず、最期を迎えたのかを」


 ティアは、しばらく沈黙を守り、やがてゆっくりと立ち上がった。彼女の表情には、五百年の孤独を抱えてきたエルフ特有の、深く静かな悲しみが浮かんでいた。

「……分かったわ。五百年前、魔王城での最終決戦の真実を、全て教えましょう」



ティアが語り始めたのは、歴史書には一行も記されていない、田中勇という少年の『魂の崩壊』の物語だった。

 五百年前、田中勇は魔王と対決し、見事に勝利した。しかし、その勝利の代償はあまりにも大きかった。魔王は消滅の瞬間、田中が最も大切に思っていた佐藤栞の魂を、その場にいた使い魔――『冥界の番犬ケルベロス』の体内に無理やり封印したのだ。



「あの時、勇はケロベロスも倒す事ができた。でも、そうすれば、栞の魂ごと消滅してしまう可能性があったの」


 田中勇は、ケロベロスを倒せなかった。その結果、魔王のみ消滅し、残された栞の魂は、瘴気と共にケルベロスの体内で深い眠りにつくことになった。しかし、サキュバスの魂はその隙を突き、佐藤栞の肉体を完全に支配し、今のヴェイル共和国を影から操る存在へと変貌してしまったのだ。


「勇は、その全てを目の前で見たのよ。……自分が選んだ『栞の命を守る』という選択が、栞の尊厳を奪い、世界に最悪の災厄をもたらすことになったと」

 ティアの声が震えた。

「勇は、一度は現代日本へ帰れるはずだった。でも、栞がサキュバスに取り込まれたことを知り、彼女の魂を救い出す方法を模索するために、この世界に残ることを選んだわ。……彼は、禁断の魔法、異端のドンジャラ戦術、天律の書の隙間……考えうる全ての手段を試した。でも、ケルベロスという神獣の体内に封印された魂を解放する方法は、五百年後の『冥犬の復活』を待つ以外にはなかったの」


 絶望的な事実だった。

 田中勇は、自分が選んだ道の果てに、決して届かない願いがあることを知りながら、それでも五十年もの歳月を、佐藤栞の魂を解放するためだけに捧げた。

 彼が日記に残した『次に来る者へ』という言葉は、己の無力を呪い、それでも「次は自分と同じ轍を踏まないでくれ」という、死にゆく少年による切実な遺言だったのだ。


「彼は、最後にこの部屋で、『ごめんね、栞。俺は、君を君のまま救えなかった』と言い残して息を引き取ったわ」

 ティアの瞳から、琥珀色の涙がこぼれ落ちた。

「五百年間、その絶望を背負い続けた勇の魂の重さが……今の貴方の背負うべき重さよ、ケン」


沈黙が神殿を支配した。

 マチがケンの手を握る力が、一段と強くなる。

 ケンは、拳を強く握りしめた。己の中に封印されているケルベロス(仔犬)が、自身の魂の奥底で、かつて田中勇と共に過ごした記憶を疼かせているのを感じる。

「……そうか。田中は、そんな絶望の中で死んだのか」

 ケンは、かつての同級生の無念を、今の自分の意志として受け止めた。

「サキュバスを叩き潰すだけじゃ足りない。……俺は、田中の後悔ごと、この世界のルールそのものを書き換えてやる」

世界樹の巫女ティアの前で、ケンは己のロードマップを修正した。

 かつての英雄の絶望を乗り越え、自分たちの手で物語の結末エンディングを書き換えるために。

 

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