第61話 オーバーワークと涙
カンッ、カンッ、カンッ!!
赤の国(カルディア王国)の首都、鋼都バルガン。街の至る所から響く溶鉱炉の槌音よりもさらに激しく、鼓膜を打つ音があった。
それは、最高級鉱石で作られたドンジャラ牌が卓に叩きつけられる、闘気の衝突音だ。
「甘いよケン! その程度の思考速度じゃ、あたしの剣(牌)は止められない!」
豪快な笑い声と共に、赤の国の戦乙女マチが強烈な打牌を放つ。彼女の背後には、炎のように揺らめく赤の純正役『烈火陣』のオーラが立ち昇っていた。
「……くっ、タスクの処理が追いつかない……! だが、盤面のピースは必ず噛み合う!」
ケンは滝のような汗を流しながら、自身の脳内に展開された独自の予測システム――『camembert6 peace方式』、通称C6Pを極限まで駆動させていた。
深緑と黄金の輝きを放つ六つの円環が、マチの捨て牌、目線、呼吸のすべてを過去のデータと照合し、最適解を弾き出そうと高速回転する。
しかし、ケンの仮想タスク管理盤に押し寄せる攻撃は、マチ一人からのものだけではなかった。
「ケンさん、右の防衛ラインが空いてますよぉ! そぉれ、満開の『舞姫』乱れ打ちです!」
桜色の髪を揺らし、華麗な手つきで牌を操るのは、赤の国の若き特攻隊長サクラ。彼女の打牌は文字通り花びらのように美しく、しかし触れれば火傷をするような爆発力を秘めている。
「……ふぁぁ。ケン、あんた頭で考えすぎ。ドンジャラはね、もっとこう……『重さ』で殴るのよ」
眠たげな目をこすりながら、しかし卓が軋むほどの重圧を込めて牌を叩きつけるのは、重戦車型の打ち手コアラ。彼女の放つ一撃は、ケンの構築したロジックの盾を物理的な質量で粉砕してくる。
「ねえエミ、あの深い緑色のバリア、どこから崩す?」
「決まってるでしょエマ。思考の隙間を縫って、双子のコンボで一気に抜くのよ!」
息の合ったコンビネーションでケンの情報処理をパンクさせにくるのは、双子の姉妹エマとエミ。彼女たちの連携はまさに変幻自在であり、C6Pの予測データを次々と裏切るイレギュラーの連続だった。
マチ、サクラ、コアラ、エマ、エミ。
赤の国が誇る最強の精鋭戦士たちが、ケンの「地獄の修行ロードマップ」の対戦相手として、昼夜を問わず波状攻撃を仕掛けてきているのだ。
(処理速度を上げろ……! 過去15年分の仮想バックテストの試行回数を、今の10倍、いや100倍に引き上げるんだ!)
ケンは、青の国でシオンの『黒牌(魔王)』にロジックを粉砕されたあの絶望の記憶をガソリンにして、己の脳内CPUを焼き切れるほどにオーバークロックさせていた。
深緑と黄金の六片が、摩擦で火花を散らすように軋む。
マチの豪腕、サクラの爆発力、コアラの重圧、双子の予測不能な連携。それらすべてを「タスク」としてアサナの盤面に敷き詰め、一つ一つを最速で撃破していく。
「……読み切った。俺の『平和』な盤面管理に、死角はない」
ケンの双眸に、深緑の鋭い光が宿る。
彼はサクラの猛攻を紙一重で躱し、コアラの重圧を利用して手を組み替え、エマとエミの連携の起点となる牌をピンポイントで刈り取った。
「ツモ。……『三国志』、それに白牌(勇者)の追加。俺の上がりだ」
「なっ……!? あたしたち五人がかりの包囲網を、完全に抜けただと!?」
マチが驚愕に目を見開く中、ケンは静かに手牌を倒した。
修行開始から数週間。ケンの強さは、もはや異次元の領域に足を踏み入れつつあった。
その圧倒的な実力は、閉ざされた修練場の中だけに留まらなかった。
四国の代表選手たちが鎬を削る公式戦――『ドンジャラリーグ』。
赤の国の代表チームである【ファイターズ】の特別枠として出場したケンは、まさに盤面の支配者(CEO)として無双の快進撃を続けていた。
『またしても上がったァァァッ! 赤の国のファイターズ、鈴木ケン選手! 相手の待ち牌を完全に透視しているかのような、恐るべき精密打牌! 彼の前に立つ者は、己の手の内をすべて暴かれる錯覚に陥るというのか!?』
闘技場に実況の声が響き渡り、観客席からは割れんばかりの歓声が巻き起こる。
緑の国、青の国の並み居る強豪たちを相手に、ケンは全く危なげなく勝利を重ねていた。
彼の脳内で稼働する『C6Pシステム』は、対戦相手の微細な視線の動き、牌を切るリズム、過去の公式戦の棋譜データすべてを統合し、未来の盤面を完全に映像化していた。
(……見えた。次の三巡目で、緑の国のプレイヤーは『森の誓い』を完成させにくる。そのためのキー牌は、俺が今引いたこの一枚だ。これを抱え込み、俺は別ルートで最速の上がりを目指す)
バシィィィッ!
ケンが牌を叩きつけるたびに、相手の顔が絶望に歪む。
ファイターズの控室では、マチやサクラたちがモニター越しにケンの戦いぶりを見て歓声を上げていた。
「すごい……! ケンさん、また勝った! これでファイターズはリーグ単独首位だよ!」
サクラがぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ。
「ふぁぁ……ケン、ちょっと見ない間にバケモノみたいに強くなってるわね。あたしの重圧ドンジャラでも、もう押し切れないかも」
コアラが感心したようにあくびを噛み殺した。
「ねえエマ、今のケンの打牌見た? まるで未来が見えてるみたい」
「うんエミ。あんな完璧な予測ロジック、人間業じゃないわ」
仲間たちが手放しでケンの成長を喜ぶ中、ただ一人、マチだけは腕を組み、モニターに映るケンの横顔を険しい表情で見つめていた。
(……強くなってる。確かに、あいつのあの深緑と黄金の力は、以前とは比べ物にならないくらいに研ぎ澄まされている。だけど……)
マチの戦士としての直感が、警鐘を鳴らしていた。
画面越しのケンの顔色は、異様なまでに蒼白だった。そして、牌を打つその指先が、わずかに、本当に微かにだが、痙攣しているように見えたのだ。
(あいつ、生き急ぎすぎている。シオンのバケモノに負けたあの日から、何かに取り憑かれたように……自分の魂を削って、そのロジック(C6P)の燃料にしているんじゃないのか?)
マチの不安は、的中していた。
ドンジャラリーグの試合を終え、その足で再び赤の国の修練場へと戻ったケン。
時刻はすでに深夜を回っていたが、彼は一人で卓に向かい、黙々と牌を並べては崩し、仮想の敵を相手にバックテストを繰り返していた。
(まだだ……まだ足りない。処理速度を今の二倍にしないと、あのシオンの『魔王牌』の理不尽な暴力には対抗できない。タスクの最適化を……防衛ライン(Shield)と情報解析(Edge)の連携をもっと密に……!)
ケンの脳内アサナボードには、すでに処理能力の限界を示す「赤いエラー表示」が無数に点滅していた。
肉体的な疲労はとうの昔に限界を超えている。睡眠時間は一日数時間。食事も満足に摂らず、ただひたすらに盤面と向き合い続けてきた。
ドクンッ……!
不意に、ケンの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「……っ!?」
視界が、ぐにゃりと歪む。
脳内で完璧な円環を保っていたC6Pの黄金のピースが、ノイズまみれになってガラガラと崩れ落ちていく感覚。
(しまっ……オーバー、ワーク……CPUが、焼き切れ……)
立ち上がろうとしたケンの足から力が抜け、そのまま冷たい石の床へと崩れ落ちる。
薄れゆく意識の中で最後に聞こえたのは、修練場の扉を乱暴に開け放つ音と、
「ケンッ!! あんた、何やってんだ!!」
という、血を吐くようなマチの悲鳴だった。
……ぽたっ。
手の甲に、温かい雫が落ちる感覚があった。
次いで、どこからか微かに香る消毒薬と、清潔なリネンの匂い。
ケンは、重い瞼をゆっくりと押し上げた。
視界に入ってきたのは、見慣れた修練場の石天井ではなく、マチの屋敷にある客室の、柔らかな木目の天井だった。
窓からは銀色の月明かりが差し込み、部屋の中を淡く照らしている。
「……ん……」
体を動かそうとすると、全身の筋肉が悲鳴を上げ、鉛のように重かった。魔力回路もすっからかんで、指先一つ動かすのにも骨が折れる。
そして、自分の右手が、誰かの両手によって大切に、強く握りしめられていることに気がついた。
「……マチ……?」
掠れた声で呼ぶと、ベッドの傍らに丸椅子を引き寄せ、ケンの手を握ったままうつむいていたマチが、ビクッと肩を震わせた。
「ケン……! 気がついたの!?」
ガタッと椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったマチ。
その顔を見て、ケンは息を呑んだ。
いつも豪快に笑い、大剣を振り回して前線を駆け抜ける、あの勝気で強靭な赤の国の戦乙女。彼女の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出していたのだ。
「バカヤロー……! あんた、本当に……本当に死ぬかと思ったんだよ……ッ!」
マチはケンの胸に顔を押し当て、子供のように声を上げて泣き始めた。
「魔力枯渇で倒れて、丸三日も目を覚まさなかったんだよ!? サクラもコアラも、エマもエミも、みんな泣きそうになりながらあんたの看病して……あたしだって、あたしだって……!」
ケンの胸元を強く握りしめるマチの手が、小刻みに震えている。
その震えから、彼女がどれほどの恐怖と不安を抱えていたかが、痛いほどに伝わってきた。
「……ごめん。無茶をしすぎた」
ケンは痛む体を無理やり動かし、左手でそっとマチの赤い髪を撫でた。
「俺は、焦ってたんだ。青の国で、俺の予測システムがシオンの暴力の前に完全に砕かれた。俺のロジックが通用しなかった。……俺がもっと圧倒的なスペックを手に入れないと、天律戦で、またあんたたち(Shield)に俺を庇わせて、傷つけることになる。それが……怖かったんだ」
ケンはポツリポツリと、心の内に秘めていた弱音を吐露した。
裁定者としての重圧。全てを己のロジック一つで盤面管理しなければならないという強迫観念。
仮想のタスク管理盤の上に、彼は「仲間に頼る」というタスクを作り忘れていたのだ。
「あんたは、本当に大バカヤローだよ……」
マチは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、ケンの頬を軽く、本当に軽く引っ張った。
「あたしたちを舐めないでよね。あたしは赤の国の戦士だよ? あんたの盾になるのは、あたしが自分の意志で選んだことだ。それに、あんたのその深緑と黄金の力(C6P)は、一人で抱え込むためのものじゃないだろ?」
マチの言葉に、ケンはハッとした。
深緑と黄金の六片。それは、それぞれが独立しながらも、互いに支え合い、噛み合ってこそ完全な円環(平和)を成すものだ。
「あんたが倒れたら、元も子もないんだ。……一人で全部背負い込もうとするな。辛い時は辛いって言いな。タスクが溢れそうなら、あたしたちに投げなさい。あたしが全部、大剣で叩き斬ってやるからさ」
マチはそう言って、涙の跡が残る顔で、それでもいつものような力強い、太陽のような笑顔を見せた。
その笑顔を見た瞬間、ケンの心の中にこびりついていた黒い焦燥感が、ふっと溶けて消えていくのを感じた。
「……ああ。そうだな。俺の仮想ボードの運用方針が、少し間違っていたみたいだ」
ケンは、握られたマチの手に、そっと力を込め返した。
(ゲン爺さんに頼んだあのプロポーズリング……完成の納期は、修行の最終日だ。だが、それをはめる彼女の指は、俺一人の力で守るものじゃない。二人で、いや、仲間全員で守り抜くんだ)
「マチ。……これからは、ちゃんとあんたを頼る。だから、俺の隣で、一緒に戦ってくれ」
「……ふんっ。言われなくても、ずっと隣にいてやるよ」
銀色の月明かりが差し込む静かな部屋で、二人は固く手を握り合った。
ケンのロジックは、この日を境に決定的な進化を遂げる。
己一人で世界を計算する冷徹なシステムから、仲間との絆という不確定要素をも味方につける、真の調和へと。
天律戦へのカウントダウンが進む中、赤の国で結ばれた絆は、いかなる魔王の黒牌をも打ち砕く、最強の盾となろうとしていた。




