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第5話 盤上の歴史と825歳の森姫


巨大な大樹と一体化した緑の国の城、その一室。

鈴木ケンは、豪奢な木製テーブルの上に並べられた牌を見下ろして、頭を抱えていた。

「天律のドンジャラで使用される牌は、九つの属性(色)に分かれています。赤、青、緑、紫、橙、黄、灰、桃、水。そして各色に三種類の絵柄が存在する」

向かいに座る、緑の国・第一使節団副団長のルークが、冷ややかな声で説明を続ける。

「各種三枚ずつ。九色かける三種かける三枚で八十一枚。そこに、後ほど説明する二枚の『特殊牌』を加えた、合計八十三枚の牌を使用します。同じ色の絵柄を三種一つずつ集めるか、同じ絵柄を三枚集めるかで一つのセットが完成し、それを三セット作れば上がりです」

「……この絵柄、なんか無駄にリアルだな」

ケンが緑色の牌の一つを手に取ると、そこには美しいエルフの女性が描かれていた。長い深緑の髪、琥珀色の瞳。その下には『森姫』という文字が刻まれている。

「似ているだろう?」

ケンの肩で、フェニクスがクククと喉を鳴らして笑った。

「ん?」

「その『森姫』の牌のモデルは、そこのティアだからだ」

「……え?」

ケンは牌と、部屋の入り口に立つティアの顔を二度見した。確かに、瓜二つだ。いや、本人そのものと言っていい。

「待て待て。この牌の絵柄は、500年前の英雄がモデルだって、さっきルークが……」

「そうよ」

ティアが、ふわりと微笑みながら近づいてきた。

「人間であるあなたには想像しづらいかもしれないけれど、私たちエルフという種族は、人間とは比べ物にならないほど長命なの。これでも私、御年825歳だから」

「は、はっぴゃく……!?」

39歳で人生に疲れた顔をしている自分が馬鹿みたいだった。目の前にいる可憐な少女は、日本の鎌倉時代あたりから生きている計算になる。

「ちなみに、そこで偉そうに説明しているルークだって、見た目は若者だけどもう400歳を超えているのよ」

ティアが言うと、ルークは微かに眉をひそめて「年齢の話は本筋と関係ありません、ティア様」と咳払いをした。

「驚くのはそこじゃないだろう」

フェニクスがくちばしでケンの側頭部を小突いた。

「俺を見ろ、俺を」

「お前? 鳥がどうしたんだよ」

「橙色の牌を探してみろ」

言われるがままに、ケンは橙色の牌を探し出した。そこには炎を纏う鳥の姿が描かれており、それぞれ『炎鳥』『灼鳥』『不死』という文字が刻まれている。

「まさか……」

「そうだ。その三種は、俺の若かりし頃、壮年期、そして現在の姿をモデルにしたものだ」

フェニクスは小さな胸を張り、自慢げに羽を広げた。

「エルフの寿命すら俺から見れば一瞬だ。俺は第一回天律戦よりもさらに前……はるか昔の歴史の始まりから、すべての天律戦を見届けている『不死鳥』だからな。当然、盤上に刻まれる資格はある」

ケンは呆気にとられた。

825歳のエルフの王女、400歳の側近、そして歴史の始まりから世界を見つめてきた不死鳥。自分がどれだけ途方もない時間の真っ只中に放り込まれたのかが、ようやく実感として湧いてきた。

「盤上に描かれているのは、この世界の歴史そのものだ。そしてお前が召喚されたということは、次の天律戦で、歴史がまた塗り替えられるということだ」

ルークが説明を引き継ぐ。

「これら八十一枚の基本牌とは別に、世界の理を揺るがす二つの特殊牌が存在します。白牌の『勇者』と、黒牌の『魔王』です」

ケンは白牌を見て、思わず目を丸くした。

神々しいオーラを纏った「勇者」の牌の中心に描かれていたのは、現代日本のどこにでもいそうな、学生服を着た丸刈りの中学生の姿だった。

「……これ、もしかして」

「はい。先代の裁定者にしてこの世界を救った英雄、タナカ・イサム様の御姿です。そして黒牌は、田中様が打ち倒した魔王ヴェイル。この二枚は『どの色の代わりにもなる』万能牌であり、使用したセットの点数を二倍に跳ね上げる極めて強力な効果を持ちます」

セーラー服ならぬ学ラン姿の中学生が、伝説の英雄として白牌になっている。シュール極まりないが、ルークの瞳は大真面目だった。

ケンは改めて卓上の牌を見た。

魔族、ドラゴン、ケルベロス、そして14歳の少年。

八十三枚という限られたブロックの中に、血みどろの殺し合いの歴史と、それを終わらせた少年の切実な願いが封じ込められている。

「……覚えることが多すぎるな」

「ええ。これを全て頭に叩き込み、相手の捨て牌から手牌を推測し、殺気を読み切りながら打つ。それが天律戦の戦いです」

ルークは冷たく言い放った。

「正直に申し上げます。39歳という年齢からこの領域に達するのは、不可能に近い。ですが、貴方が裁定者である以上、我々は貴方を最強の打ち手に育て上げる義務がある。まずは……」

ルークがパチンと指を鳴らすと、部屋の扉が開き、十歳前後のエルフの子供たちが三人、わらわらと入ってきた。皆、無邪気な笑顔を浮かべている。

「緑の国の初等学校に通う子供たちです。エルフは成長が遅いので実年齢はもう少し上ですが、ドンジャラ歴で言えばまだ数年の『Fランク』に過ぎません。まずは彼らと『凡戦』を打っていただきます」

「こ、子供相手か……。ババ抜きなら負けないんだが」

ケンは少しだけホッとした。いくらなんでも、小学生ほどの背丈の相手なら大人の意地を見せられるだろう。相手の表情を読んでババを引かせない特技が、ここで役に立つかもしれない。

「よろしくおねがいします、おじさん!」

子供の一人が元気よく挨拶し、牌を裏返して混ぜる『洗牌シーパイ』を始めた。

その瞬間、ケンの背筋が凍りついた。

子供の小さな手が、残像を残すほどのスピードで八十三枚の牌を混ぜ合わせ、あっという間に四角い山を作り上げたのだ。その手つきは、素人のケンから見ても恐ろしいほど洗練され、一切の無駄がなかった。

「……フェニクス。俺、生きて帰れるかな」

「安心しろ。死闘じゃないから命は取られない。ただ、大人のプライドは粉々に砕かれるだろうがな」

ゲームが始まると、現実はフェニクスの予言通りになった。

「ロン! 踊り子揃い!」

「ツモ! 三色同盟!」

ケンが自分の手牌の役を必死に確認している間に、子供たちは容赦なく上がり続けた。彼らはケンの視線や指の動きから「どの牌を欲しがっているか」を完璧に読み切り、決して危険な牌を捨てない。ババ抜きの直感など、彼らの高度な盤面把握能力の前では赤子同然だった。

(くそっ……俺は物流倉庫で、何を学んできたんだ……!)

半荘が終わる頃には、ケンは一回も上がれないまま、持ち点を全て奪われていた。

「おじさん、よわーい!」

無邪気な子供の言葉が、39歳の胸に深く突き刺さる。

「これがこの世界の現実だ、新入り」

フェニクスが冷酷に告げた。

「お前は今日から、この屈辱を毎日味わうことになる。天律戦までの5年間、血反吐を吐くまで牌を握れ」

鈴木ケンの異世界での1年目は、小学生にボコボコにされ、大人の尊厳を木っ端微塵にされる絶望のドンジャラ合宿から幕を開けたのだった。

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