第4話 盤上の歴史と天律のルール
巨大な大樹と一体化した緑の国の城、その一室。
通された客間は、物流倉庫の休憩室が百個入るほどの広さがあり、床にはふかふかの絨毯が敷き詰められていた。
「よくぞご無事で、ティア様」
部屋の中央で待っていたのは、新緑の軍服を隙なく着こなした長身のエルフの青年だった。銀色の長い髪を後ろで束ね、切れ長の目は鋭い理知の光を放っている。
「ただいま、ルーク。留守の間、異常はなかった?」
「はい。青の国の国境警備隊が妙な動きを見せていますが、今のところ『凡戦』の範疇に収まっています。……して、そちらの御仁が?」
ルークと呼ばれた青年の冷ややかな視線が、部屋の隅で所在なさげに立っているケンを射抜いた。
「ええ。彼がアルカナに召喚された新たな裁定者、鈴木ケンよ」
「俺は剣道も柔道もやったことがない、ただのしがない……」
「またその自己紹介か。いい加減覚えろ、この世界に腕力は不要だ」
ケンの肩で、フェニクスが小言を言う。
ルークは小さくため息をつき、ケンの前に歩み出た。
「緑の国、第一使節団副団長を務めております、ルークと申します。Sランクの打ち手です」
「Sランク……。あ、鈴木です。物流倉庫で……えっと、よろしく」
名刺を出す癖で思わず手がポケットに向かったが、当然何もない。ケンは誤魔化すように頭を下げた。
「では、鈴木殿。早速ですが、貴方には5年後の天律戦に向けて、この世界のルール……『天律のドンジャラ』の基礎を叩き込ませていただきます。まずは卓へ」
ルークは部屋の中央にあった豪奢な木製のテーブルを指し示した。
そこには、緑色のマットが敷かれ、見慣れない絵柄が描かれた小さな長方形のブロック――「牌」が無数に裏返されていた。
「ドンジャラ……。本当に、これで世界のルールが決まるんだな」
ケンが恐る恐る席に着くと、ルークも向かいに座り、淀みない手つきで牌を並べ始めた。
「基本的なルールは、貴方の世界にあるという『ドンジャラ』と同じと伺っております。手持ちの牌は八個。自分の番で山から牌を一個引き、不要な一個を捨てる。手牌の九個で『三つの仲間のセット』を三組作れば上がりです」
「三つ揃いを三セット。それはわかる。問題は……その牌の絵柄だ」
ケンは並べられた牌を見下ろした。
そこには、アニメのキャラクターなどではなく、精緻な意匠が施された様々な人物や魔物の姿が描かれていた。
「天律のドンジャラで使用される牌は、九つの色(属性)に分かれています。そして各色に三種類の絵柄が存在する」
ルークが手際よく牌を表に返し、属性ごとに並べていく。
「赤は『戦士』。大剣、炎剣、剣聖の三種。
青は『僧侶』。賢姫、水聖、書僧。
緑は『エルフ』。森姫、風使、商人。
紫は『魔術師』。闇魔、呪術、影術。
橙は『不死鳥』。炎鳥、灼鳥、不死。
黄は『ドワーフ』。鍛冶、坑道、爆破。
灰は『ケルベロス』。番犬、守護、冥爪。
桃は『踊り子』。舞姫、毒蜜、歌姫。
そして水色は『ドラゴン』。天龍、海龍、地龍」
「す、すごい種類だな……。これは……」
「ええ。これらは皆、500年前の天律戦で世界を二分して戦った英雄や魔物たちをモデルにしています。盤上には、この世界の歴史そのものが刻まれているのです」
同じ色の絵柄を三種一つずつ集めるか、同じ絵柄を三枚集めるかで一つのセットが完成する、とルークは説明を続けた。
「しかし、これら九色二十七種の牌とは別に、世界の理を揺るがす二つの『特殊牌』が存在します」
ルークの手が止まり、彼は二枚の特別な牌を取り出した。
一枚は純白。もう一枚は漆黒の背景を持っていた。
「白牌の『勇者』と、黒牌の『魔王』です」
ケンは白牌を見て、思わず目を丸くした。
神々しいオーラを纏った「勇者」の牌の中心に描かれていたのは、現代日本のどこにでもいそうな、学生服を着た中学生の姿だった。
「……これ、もしかして」
「はい。先代の裁定者にしてこの世界を救った英雄、タナカ・イサム様の御姿です。そして黒牌は、田中様が打ち倒した魔王ヴェイル」
セーラー服ならぬ学ラン姿の中学生が、伝説の英雄として白牌になっている。シュール極まりないが、ルークの瞳は大真面目だった。
「この二枚は『どの色の代わりにもなる』万能牌であり、使用したセットの点数を二倍に跳ね上げる極めて強力な効果を持ちます。しかし、これを捨てた際、他者に上がられるリスクも最も高い。まさに盤上の支配者です」
「……覚えることが多すぎるな」
ケンは額の汗を拭った。複雑な役の組み合わせ。オールマイティ牌がもたらす予測不能な展開。そして相手の捨て牌から手牌を推測する高度な心理戦。
「ええ。これを全て頭に叩き込み、瞬時に計算し、相手の殺気を読み切りながら打つ。それがSSSランクの……天律戦の戦いです」
ルークは冷たく言い放った。
「正直に申し上げます。39歳という年齢からこの領域に達するのは、不可能に近い。ですが、貴方が裁定者である以上、我々は貴方を最強の打ち手に育て上げる義務がある。まずは……」
ルークがパチンと指を鳴らすと、部屋の扉が開き、十歳前後のエルフの子供たちが三人、わらわらと入ってきた。皆、可愛らしい顔立ちだが、その目は獲物を狙う狩人のように鋭い。
「緑の国の初等学校に通う、Fランクの子供たちです。まずは彼らと『凡戦』を打っていただきます。ルールと役を見ながらで構いません」
「こ、子供相手か。ババ抜きなら負けないんだが……」
「お手柔らかにお願いします、裁定者様」
子供の一人が、無邪気な笑顔のまま、牌を混ぜる『洗牌』を始めた。その手つきは、素人のケンから見ても恐ろしいほど洗練され、無駄がなかった。
「……フェニクス。俺、生きて帰れるかな」
「安心しろ。死闘じゃないから命は取られない。ただ、大人のプライドは粉々に砕かれるだろうがな」
鈴木ケンの異世界での最初の戦いは、魔王軍の残党でもドラゴンでもなく、緑の国の小学生三人を相手にした、絶望的なドンジャラの卓から始まるのだった。




