第56話 砕け散る盤面と絶望の黒牌
魔都エルシオンの王宮前広場は、異様な静寂と極限の緊張感に包まれていた。
崩壊した瓦礫の上に設えられた、ドンジャラの卓。
一方の席には、五十年の時を経て解き放たれた『人間の姿をした化け物』――シオン。その背後には妖艶な笑みを浮かべるサキュバスの佐藤栞が立つ。
対する席には、五百年目の裁定者である鈴木ケン。彼の背後には赤の国の国王タナカ・サトシとマチが控え、足元には傷ついた青の国の女王サミーが息を呑んで盤面を見つめている。
「さあ、始めなさいシオン。生意気な裁定者様を、その怨念でドロドロに溶かしてあげて」
サトウの冷酷な号令と共に、八十三枚の牌が卓上で回転を始めた。
「……あァ……牌が、星が……!」
シオンの虚ろな瞳が見開かれ、彼の中から数万の民の怨念がどす黒い瘴気となって噴出した。
シオンは一切の定石を無視し、ただ怨念の赴くままに強引なツモと打牌を繰り返す。彼が牌を捨てるたび、卓から物理的な衝撃波を伴う呪いが放たれ、ケンの全身を削り取ろうと襲い掛かる。
だが、ケンは目を逸らさなかった。
彼が行うのは、異世界に召喚されてからの5年間で積み上げた、泥臭いまでの『過去データの最適化』だ。
(相手がどんなに理不尽なバケモノだろうと、打牌には必ず『偏り』が生じる。……過去のデータが教えてくれる。どんな混沌にも、必ず平和へと続く道があるはずだ)
ケンの足元から、深緑と黄金色に輝くオーラが立ち昇った。
戦局を構成する要素を6つのピースに見立て、過去の膨大なデータと照合することで、盤面全体の最適解を導き出す彼独自の戦術回路――『C6P方式』。
「サトシ王、マチ! 物理的な瘴気への防衛は、あんたたち『Shield』部門に一任する!」
「ガッハッハ! 任せておけ! 田中様の血にかけて、指一本触れさせんぞ!」
赤の純正役『烈火陣』の闘気を纏った二人が、シオンの放つ瘴気を鉄壁の防御で弾き返す。
「ティア! そっちの『Edge』部門で、奴の打牌履歴から法則性を解析し続けてくれ!」
ケンが通信魔導具に叫ぶと、緑の国の女王ティアの声が響く。
『ええ、シオンの怨念は無軌道に見えるけれど、特定の牌――紫の魔術師牌を引き込む時にだけ、魔力のタイムラグが生じているわ』
(ビンゴだ。過去の打牌データとも完全に一致する)
ケンは、シオンが紫の純正役『魔王の影』による強引な蹂躙を狙っていることを確信した。
「……ツモォ……ッ!! リーチ……!!」
シオンが紫黒の瘴気を纏った牌を卓に叩きつける。
しかし、ケンは静かに自身のツモ牌に手を伸ばした。
「数万の怨念を力でねじ伏せるんじゃない。6つのピースを繋ぎ合わせ、俺がすべてを調和させる」
ケンが引き当てたのは、全ての色の代わりとなる特殊牌――先代裁定者・田中勇をモデルとした『白牌(勇者)』。
「バックテスト完了。俺のロードマップ通りだ」
ケンは、手牌を一気に倒した。
「同盟役――『三家の誓い』。35点」
赤、青、緑の三国が手を結び、裁定者の白牌を中心に一つの円環を成す役。
三国の力が込められた黄金の光が、シオンから溢れ出す数万の『蠱毒』を浄化しようと盤面を包み込んだ。
――だが。サトウは絶望するどころか、腹を抱えて嗤い始めた。
「あーっはっはっは! 傑作ね! さすがは裁定者様、過去のデータとやらに囚われた、見事な『おままごと』だわ!」
「なに……?」
「教えてあげるわ。貴方の言う『平和』なデータは、この世界が五百年間平和だったからこそ成立するものよ。……桜の国の数万の民が喰われた『蠱毒』の怨念は、貴方の甘い計算式(C6P)なんぞで測れるほど、軽くはないのよ!!」
バキィィィィンッ!!!!
ケンの展開した深緑と黄金の光が、突如として内側からどす黒い瘴気に喰い破られ、ガラスのように粉々に砕け散った。
「なっ……!?」
ケンが目を見開いた瞬間、シオンの手牌がひとりでにパタンと倒れた。
「ロン……」
虚ろな声と共に開かれたシオンの手牌。そこにあったのは、ただの紫の牌ではなかった。
どの色の代わりにもなり、使用セットの点数を2倍に跳ね上げる最悪の特殊牌――魔王ヴェイルがモデルとなった『黒牌(魔王)』である。
「『黒牌』だと……!? 過去のバックテストでは、あの牌が引かれる確率は極限まで低かったはず……!」
「ええ。でも、数万の『星(命)』の怨念が、盤面の確率すらも強引に歪めたのよ」
サトウが冷酷に告げる。
「同盟役――『全種族会議』。異なる色3種に魔王牌を組み込んだ、40点の役よ」
35点対、40点。
盤面のルールが絶対であるこの世界において、その5点の差は、覆すことのできない『死』を意味していた。
シオンの黒牌から溢れ出した圧倒的な絶望の波濤が、ケンの『三家の誓い』の光を完全に飲み込み、凄まじい衝撃波となってケンたちを吹き飛ばした。
「ぐああぁぁッ!!」
防御を担当していたサトシとマチが血を吐いて吹き飛び、ケンもまた、全身の骨が軋むような激痛と共に瓦礫の山へと叩きつけられた。
通信魔導具からは、エッジ部門のティアの悲鳴にも似たノイズが響いている。
「はぁっ、はぁっ……」
ケンは口端から血を流しながら、這いつくばってシオンを睨みつけた。
彼の脳内で完璧に組み上げられていたC6Pの思考盤は、エラーを吐き出し、無惨に砕け散っていた。
「勝負あったわね、裁定者様」
サトウが、倒れ伏すケンを見下ろして優雅に微笑む。
「約束通り、この国は溶かさずに残しておいてあげる。……二年後の『天律戦』、シオンの参加は決定よ。精々それまでに、その甘ったるい計算式をアップデートしておくことね」
サトウはシオンを引き連れ、漆黒の空間の裂け目へと姿を消していく。
残されたのは、半壊した魔都エルシオンと、己のロジックが完全に敗北したという拭いようのない事実だけだった。
「……クソッ……!」
ケンは瓦礫を強く殴りつけた。
五百年目の裁定者として異世界に降り立ち、初めて味わう完全なる『敗北』。
だが、その瞳に宿る深緑の闘志は、決して消えてはいなかった。




