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第52話 鉄路の帰還とロードマップ


シュッシュッ、ドゥォォォォォン……!!

 規則正しい蒸気の排気音と、魔力炉が駆動する重低音が、車内に心地よい振動をもたらしていた。

 ここは、闘技場のある中立地帯から赤の国(カルディア王国)の首都、鋼都バルガンへと向かう『魔道列車』の特別車両である。


 窓の外には、すでに赤の国の特徴である険しい東部山岳地帯の景色が広がっていた。ドワーフたちの技術が結集されたこの列車は、断崖絶壁を縫うように敷かれた鉄路を、信じられないほどの滑らかさで疾走していく。


「……あー、食った食った! やっぱ赤の国の『ドワーフ式猪肉弁当』は最高だね! 血肉が滾るよ!」

向かいのボックスシートで、山のように積まれた空の弁当箱を前に、タナカ・マチが豪快に笑っていた。

 サキュバスに肉体を乗っ取られ、文字通り死の淵を彷徨ったはずの彼女だが、驚異的な回復力――あるいは旺盛すぎる食欲――によって、すっかり元の豪快な戦乙女へと戻っていた。

「……お前、病み上がりなんだから少しは胃を休めろよ」

 ケンは窓の外から視線を戻し、呆れたようにため息をついた。

「なに言ってんのさ。あのクソダサいサキュバスに体を間借りされてた分のカロリーを、今すぐ補給しなきゃ割に合わないっての」

 そう言って笑うマチだったが、ふとケンの視線と交差した瞬間、彼女の黄金色の瞳がパチリと瞬き、急に気まずそうに視線を泳がせた。

 頬が、ほんのりと赤く染まる。

「……な、なんだよ。私の顔に弁当の米粒でもついてるかい?」

「いや……元気そうで何よりだと思ってな」

「ば、バカ! ……あんたがあの時、闘技場のど真ん中で変なことするから、調子が狂ってんだよ……」

 マチは口元を手で覆い、そっぽを向いてしまった。あの極限状態でのキス。二人の間には、以前の「頼れる相棒」というだけの関係からは一歩踏み込んだ、むず痒い空気が流れていた。

「グルルゥゥ……! おいメスゴリラ! 俺様にもその肉を寄越せ! 冥界の炎で焼き尽くしてやる!」

 その甘酸っぱい空気をぶち壊すように、ケンの膝の上で丸くなっていた純白の子犬――地獄の番犬ケルベロス――が、キャンキャンと生意気な声で吠え立てた。

「誰がメスゴリラだこの駄犬! あんたの中身は、私を乗っ取ったサキュバスの残滓サトウ・シオリなんだろ!? 弁当箱ごと窓から投げ捨ててやろうか!」

「や、やめろ! 暴力反対! 俺様は今はただのキュートな子犬だぞ!」

「身の程を知れ、駄犬。貴様のその愛らしい姿は、ケンの甘い魔力に当てられただけの仮初めの姿。我ら誇り高き精霊種の足元にも及ばんわ」

 ケンの肩に止まったフェニクスが、炎の翼を揺らしてケルベロスを冷笑する。


「なんだと燃える焼き鳥! やんのかコラ!」

「焼き鳥だと……!? 燃やし尽くしてくれるわ!」

ギャンギャンと騒ぎ立てる子犬と、巨大化しようと息巻く不死鳥。そしてそれに弁当の空き箱を投げつけるマチ。

 車内は、模擬天律戦の死闘が嘘のような、騒がしくも平和な日常の空気に包まれていた。

(……平和、か)

 ケンは、騒ぐ仲間たちを横目に、再び窓の外へと視線を向けた。

 サキュバス(佐藤栞)の魂は、今はあのケルベロスの中に封じられ、無害な子犬として大人しくしている。しかし、ヴェイル共和国の実質的支配者であるヴェイル・ノクスのあの冷たい笑みは、ケンの脳裏にこびりついて離れなかった。

 奴らは、五百年前から続くこの世界のドンジャラルールを廃止し、新たな支配の仕組みを作ろうとしている。二年後の本番、天律戦。彼らが今回以上の盤面を用意してくることは火を見るより明らかだった。


(このまま、ただ漫然と二年を過ごせば確実に負ける。……俺たちには、明確な反撃の『ロードマップ』が必要だ)

 ケンは、自身の思考を極限までクリアにし、頭の中に仮想のホワイトボードを描き出した。

 敵は、弱小国を属国化し、情報と権謀術数に長けたヴェイル共和国。

 対するこちらは、赤の国(武力と直感)、そして青の国(魔法と知恵)、緑の国(自然と情報)という、ようやく連携の糸口を掴んだばかりの三国だ。


(行き当たりばったりの連携じゃダメだ。タスクを整理し、それぞれの役割を明確に部署化セグメントするんだ)

 ケンは脳内で、味方陣営をいくつかの「仮想部門」に切り分けた。

 まず、自国の防衛と天律戦に向けた純粋なドンジャラの戦術を磨き上げる、中核防衛部門『Shieldシールド』。これは、サトシ王やマチたち赤の国の直感的な武力を最大限に活かす部隊だ。

 次に、青の女王サミーや緑の女王ティアのコネクションを利用し、消えたサキュバスの残滓や紫の国の動向を探る、情報戦特化部門『Edgeエッジ』。五百年の歴史を知る彼女たちの知識は、必ず敵の急所エッジを突く武器になる。


(目標は二年後の天律戦。そこから逆算して、いつまでにどの情報を引き出し、いつまでに戦術を完成させるか。……全部のタスクを可視化して、俺が全体の進行を管理ディレクションしてやる)

 それは、ドンジャラの盤面を支配したあの『在庫管理』のロジックを、世界規模の戦略へと拡張させる試みだった。

 十六歳の高校生が抱くにはあまりにも冷徹で、あまりにも完成された組織的思考。

 だが、この異世界で裁定者として生き抜くために、ケンは己の全能力を以てこの巨大なプロジェクトを統括する覚悟を決めていた。


「……ケン? また難しい顔して。何考えてるのさ」

 マチが、不意にケンの顔を覗き込んできた。

 窓からの日差しを受けて輝く彼女の黄金色の瞳。ケンは、その真っ直ぐな視線に、ふっと表情を緩めた。

「いや……二年後の本番で、お前を一番の特等席で勝たせるための、ロードマップを引いていたところだ」

「ロ、ロードマップ……? よくわかんないけど、つまり、私を徹底的に扱き使うってことかい?」

「ああ。覚悟しておけよ、カルディア王国の戦乙女」

「……ふん。望むところだよ。あんたの引いた道なら、地獄の底まで付き合ってやるさ」

 マチは照れ隠しのように鼻で笑い、再びドワーフ式の弁当に手を伸ばした。

プァァァァァァン……!!

 魔道列車が、けたたましい汽笛を鳴らす。

 窓の外の景色が開け、巨大な要塞のようにそびえ立つ鋼の都市――鋼都バルガンが姿を現した。

 人間とドワーフが共存する、赤の国の首都。駅のホームには、すでに大勢の国民たちが模擬戦の勝利を祝うために詰めかけていた。


「ガッハッハッハ! よく帰ってきたな、我が国の英雄たちよ!!」

 列車の扉が開いた瞬間、カルディア王国国王、タナカ・サトシの豪快な笑い声がホームに響き渡った。

「怖い時こそ牌を信じろ。……まさか、完全流局ドローで盤面を凍結するとはな! 田中様の血が、お前たちを大層褒め称えているぞ!!」


サトシ王の分厚い手が、ケンの背中をバンバンと叩く。

 熱狂に包まれるホーム。飛び交う歓声。

 ケンは、肩に乗るフェニクスと、足元で怯える子犬のケルベロス、そして隣で胸を張るマチを見渡した。

(待ってろ、ヴェイル。二年後……お前たちの仕掛けるどんな不条理なルールも、俺が必ず論破してやる)

 五百年の時を超えた、世界のルールを決める天律戦。

 その真の決着に向けた、果てしなく険しい「反撃のロードマップ」が、今、赤の国の地から力強く動き始めたのだった。

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