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第47話 盤面の鏡面と覚醒



誰も上がれず、誰の星も移動しない『完全流局ドロー』。

鈴木ケンがやってのけた、ただ盤面を完全に管理フリーズするという狂気のロジックは、闘技場『パンデモニウム』に集った数万の観衆を底知れぬ恐怖と静寂に陥れた。


「……ッ、ふざけないでよ……ッ!」


黒曜石の卓を挟み、タナカ・マチの身体を乗っ取ったサトウ(サキュバス)が、ギリッと牙を剥き出しにしてケンを睨みつける。

彼女の計算は完璧だったはずだ。マチという強靭な『器』と『人質』を手に入れ、ケンには手を出せないように呪いのパスを繋いだ。あとは強引に星を掻き集めれば終わるはずのゲームだった。

だが、この四十歳の男は、盤面の八十三枚すべての牌の行き先を完全に掌握し、「誰一人として上がらせない」という手段でサトウの目論見を粉砕したのだ。


『――次局、開始ッ!!』

仮面の審判の声が響き、ジャララララララッ! と再び牌が掻き混ぜられる。


「いいわ。だったら、私からあんたたち全員の星(命)を直接削り取るだけよ……!!」

サトウが、マチの筋肉を異常な出力で稼働させ、卓が割れんばかりの勢いで牌を引き寄せる。その全身からは、赤紫色のドス黒い瘴気が間欠泉のように噴き出し、もはやドンジャラの枠を超えた純粋な殺意が卓を覆い尽くそうとしていた。


だが。

そのサトウの狂気を、冷ややかに、そして『酷く不愉快そうに』見つめる二つの視線があった。


「……美しくないですね」

青の国(アルカナム王国)使節団団長、シリウス。

彼は手元の魔導書をパタンと閉じ、氷のように冷たい瞳でサトウを睥睨した。

「盤外戦術や魔法による幻惑は、あくまで知略と計算の果てに行われるべき『盤面の芸術』だ。貴女のように、他者の肉体を奪い、自爆を盾にして喚き散らすなど……この神聖な天律戦の卓に対する、ただの『汚物バグ』でしかない」


「……同感だよ、青の団長さん」

深くフードを被った緑の国のトップ、リアンもまた、琥珀色の瞳を細めた。

「森の精霊たちが、あの子の放つ腐った匂いに怯えて泣いている。……そういう不純物は、早くこの世界(卓)から掃除しないとね」


青の天才魔導士と、緑の天才レンジャー。

彼らは言葉を交わすことなく、ただ一瞥を交わしただけで、この卓における『最大の異物』が誰であるかを完全に共有した。

そして、彼らの視線は同時に、正面に座る赤の裁定者――鈴木ケンへと向けられた。


(……赤の男。貴方のその恐るべき記憶力と盤面管理能力。この汚物を排除するためなら、私の魔法を貴方の『在庫管理』のシステムに組み込ませてあげましょう)

(……ケンおじさん。君の作る完璧な流れに、僕も乗せてもらうよ)


四カ国が覇権を争う天律戦。

本来であれば敵同士であるはずの彼らが、「まずはこの盤面セカイから狂気を排除デバッグする」という一点において、完全にリンクした瞬間だった。


---


「リーチ……!!」

サトウが、狂気に満ちた声で叫ぶ。

彼女が捨てた牌は、ケンへの強烈な牽制。だが、ケンは全く動じず、ただ静かに自分の手牌から一枚の牌をつまみ上げた。


(……来るぞ。シリウス、リアン。お前らなら、俺の意図が分かるはずだ)

ケンは、サトウの上がり牌を完全に自分の手牌にロックしたまま、あえて『サトウが絶対に鳴けない(ポンできない)』牌を卓の中央に捨てた。


その瞬間。

「……幻影魔法ファントム・ハイド、部分展開」

シリウスが、指先をわずかに動かした。

ケンが捨てた牌の周囲だけ光の屈折率が変化し、サトウの視界から一瞬だけその牌が『見えなく』なった。


「えっ……?」

サトウが瞬きをした、コンマ一秒の隙。


「チー。もらうよ」

緑のリアンが、風のような滑らかさで卓に腕を伸ばし、ケンが捨てた牌を『よこどり』した。


「なっ……!! てめえら、今、何をした!?」

サトウが激昂するが、もはや後の祭り。リアンが鳴いたことで、またしてもサトウのツモ番が強制的にスキップされた。


呉越同舟。

言葉すら交わさない、三人のトッププレイヤーによる『暗黙の連携』。

ケンの完璧な在庫管理(フローの構築)をベースに、シリウスが魔法でサトウの視覚を欺き、リアンが精霊視でタイミングを合わせて牌を強奪する。

赤、青、緑の三色の力が、不純物である紫の狂気を完全に孤立させ、サンドバッグのように殴り続けていたのだ。


「う、嘘でしょ……? なんで……なんで私がこんな……!」

サトウは、マチの巨体を震わせて混乱した。

彼女の呪力も暴力も、この冷徹で完璧な「盤面のシステム」の前では、空気を掴むように空回りするだけだった。


(……よし。青と緑のサポートのおかげで、サトウの手足は完全に縛り付けた)

ケンは、盤面の安全を確信し、深く息を吐き出した。


(だが、これだけじゃ足りない。サトウをシステム的に無力化できても、マチの身体が乗っ取られている根本的な問題は解決していない。……マチ、聞こえるか? お前は、こんなところで終わるようなタマじゃないだろう!)


ケンは、手元の牌を睨みつけた。

自分の手の中には、かつてマチが最も愛し、最も得意としていた『赤い牌』が揃っていた。


「……対話の時間だ」

ケンは、防御のための安全牌を捨てることをやめた。

彼が卓に叩きつけたのは、真っ赤に燃えるような絵柄の牌――赤の1『大剣』。


パシィィィンッ!!

力強い打牌の音が、闘技場に響く。


「あ? なに急に危険な牌を……ヤケになったの?」

サトウが嘲笑う。

しかし、ケンは止まらない。次巡、彼が捨てたのは、赤の2『炎剣』。

さらにその次巡、赤の3『剣聖』。


大剣、炎剣、剣聖。

それは、マチが愛用する赤の国の純正役『烈火陣』を構成する三つの牌。

ケンは、自らの防御の壁を崩してまで、あえてマチの魂に最も馴染み深い「赤い牌」を、規則正しいリズムと強い闘気を込めて卓に並べ続けていたのだ。


(思い出せ、マチ。地下闘技場で、お前が俺に見せてくれたあの豪快なドンジャラを。……こんな陰湿な化け物の鎖に繋がれたまま、大人しく眠っているような女じゃないだろうが!!)


パシィィィンッ!

パシィィィンッ!!


ケンの叩きつける赤い牌の音が、脈打つ心臓の鼓動のように、卓を震わせる。

それは、言葉を持たないドンジャラという盤面を通じた、四十歳のおじさんから、最高のパートナーへ向けた、血の滲むような『魂の呼びかけ』だった。


「……っ……ぁ……」


突如。

サトウが、ビクンッ、と大きく肩を震わせた。

マチの豊満な肉体を覆っていた赤紫色の『淫魔の呪紋』が、まるで熱鉄を押し当てられたようにジュウジュウと音を立てて明滅し始めたのだ。


「な、なにこれ……!? 体が、熱い……っ!!」

サトウが、自分の両手を見つめて悲鳴を上げる。

マチの胸の奥底。完全に支配したはずの「空っぽの器」の中で、小さな、だが決して消えることのない真紅の炎が、ケンの捨てた『赤い牌』の波長と共鳴し、凄まじい勢いで燃え広がり始めていた。


「あ、ああああッ! 動け! 動きなさいよこのメスゴリラ!!」

サトウが、自分の上がり牌を引き寄せようと腕を動かす。

しかし、マチの右手は、卓上でピタリと硬直した。


「……ふざ、けんな……」


低く、地を這うような、かすれた声。

それは、サキュバスの甘ったるい声ではない。

五百年間、最前線で命を削り続けてきた、赤の国の誇り高き戦乙女、タナカ・マチ本人の声だった。


「マチ!!」

ケンが、思わず立ち上がる。


「……私の、大事な……旦那から……ッ」

マチの右手が、サトウの意志に反して、ゆっくりと、だが桁外れの筋力で、自分の手牌の中へと伸びていく。

そこにあるのは、サトウが待ちに待った決定的な『上がり牌』。


「や、やめろォォッ!! それを捨てたら、役が崩壊するわよ!! 私ごと、あんたの身体も壊れるのよ!!」

サトウが、脳内で絶叫する。

しかし、マチの瞳には、一瞬だけ本来の熱い黄金色の輝きが戻っていた。


「……私の旦那から……星を奪うなァァァァァァッッ!!!!」


バァァァァァァンッッ!!!!


マチの右手が、自らの勝利を決定づけるはずだった絶対的な牌を、卓の中央へと力任せに叩きつけた。

あまりの膂力に、黒曜石の卓にヒビが入り、牌が粉々に砕け散りそうになる。

それは、ドンジャラのセオリーを根底から覆す、自らの上がりを自らの手でへし折るという、究極の「自己破壊」の打牌だった。


「ギャアアアアアアァァァァッッ!!??」

サトウが、物理的なダメージと魔力の逆流に耐えきれず、耳をつんざくような悲鳴を上げてのけぞった。

マチの肉体を強引に支配していた呪いの鎖が、マチ自身の爆発的な闘気と、ケンの呼びかけへの共鳴によって、内側から引きちぎられたのだ。


「マチッ!!」

「……ガハッ……! ケン……ッ、今だ……!!」

マチは、口から大量の血を吐き出しながらも、ニヤリと豪快に笑ってみせた。

「私の……身体に巣食う……このクソダサいダニを……あんたのその頭脳ロジックで……完膚なきまでに、叩き潰せ……ッ!!」


マチの抵抗により、サトウの呪力は極限まで弱まり、その精神は完全に無防備な状態スタンとなって盤面に引きずり出された。


(ああ。任せろ、マチ。最高のパス、確かに受け取ったぜ)

ケンは、目を鋭く細め、自らの手牌に視線を落とした。


盤面は整った。

シリウスとリアンの協力により、不純物の退路は完全に断たれた。

そして、マチの命懸けの抵抗により、呪いの要となる結界は崩壊した。


いよいよ、決着の時

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