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第45話 絶対零度の反撃



 巨大な地下闘技場『パンデモニウム』を包み込んでいた熱狂は、上空に浮かぶ紫の魔力石モニターに映し出された『最悪の光景』によって、水を打ったように静まり返っていた。


『……ケンおじさん。聞こえてる? このメスゴリラの身体、なかなか居心地がいいわ』


 モニター越しに妖艶な笑みを浮かべるのは、赤の国の副団長であり、ケンの最も信頼するパートナーであるタナカ・マチ。

 だが、その声も、表情も、彼女の豊満な肉体に浮かび上がった赤紫色の『淫魔の呪紋』も、すべてが彼女自身の意志ではないことを物語っていた。

 第一試合で極限まで魔力と体力を使い果たし、深い気絶状態にあったマチの隙を突き、サトウ(サキュバス)が彼女の肉体と精神を完全に『乗っ取った』のだ。


「てめえ……ッ!! マチの体に、何しやがったァァァッ!!」

 鈴木ケンの口から、これまでの冷静沈着な姿からは想像もつかない、獣のような怒号が爆発した。

 彼の全身から立ち上る怒りのオーラは、周囲の空気をビリビリと震わせ、隣に立つコアラやサクラでさえ息を呑むほどの凄まじいプレッシャーだった。


『あははっ! すごい顔! そんなに怒らないでよ。この女のメンタル、意外と脆かったわ。あんたを護って魔力(星)を使い果たした空っぽの心に、私の狂気をほんの少し流し込んであげただけ。……ねえ、見て? この素晴らしい筋肉の躍動を』


 サトウに操られたマチの手が、自らの胸元や太ももを、ねっとりと這い回る。

 本来のマチであれば絶対にしないような、卑猥で挑発的な仕草。最愛の仲間の尊厳を泥で塗りつぶすようなその行為に、ケンの握りしめた拳から血が滴り落ちた。


「殺す……! テメェだけは、絶対にこの盤面セカイから消し飛ばしてやる……!!」

 ケンが闘技場のステージへ向けて殺気を放った、その時だった。


「――サトウ。はしゃぎすぎだ。見苦しい真似はやめろ」


 バルコニーから闘技場を見下ろしていたヴェイル共和国議長、ヴェイル・ノクスが、冷徹な声で一喝した。

 その声には、魔王の直系としての絶対的な威圧が込められており、モニター越しのサトウ(マチ)の動きがピタリと止まった。


『……ちぇっ。議長は頭が固いんだから。せっかくの余興なのに』

「これは世界の命運を懸けた模擬天律戦だ。……とはいえ、自国の選手を交代コンバートするのはルール上問題ない。サトウ、お前は大将戦に出ろ。それまでは大人しくしていろ」

『はーい。じゃあね、ケンおじさん。最終戦の卓で、この身体ごとたっぷり可愛がってあげるから』


 プツン、とモニターの映像が切れ、闘技場に重苦しい沈黙が降りた。


「……ケン殿」

 サクラが、静かにケンの背中に手を添えた。

「怒りに呑まれてはいけません。奴らの狙いは、貴方のその冷静な判断力(全牌記憶)を盤外で狂わせること。……マチ副団長の身体は、私たちが必ず取り戻します」

「……ああ、分かってる。すまねえ、サクラ」

 ケンは深く深呼吸をし、血の滲む拳をゆっくりと開いた。

 その瞳に宿る怒りの炎は消えていない。むしろ、冷たく、論理的で、決して消えることのない青白い炎へと昇華されていた。


『これより! 模擬・天律戦、第三試合を開始する!!』

 仮面の審判が、空気を切り裂くように声を張り上げた。


「……私の出番ですね。ケン殿、ここは私にお任せを」

 赤の国のベンチから立ち上がったのは、氷の王女・サクラだった。

 彼女の歩みには、一切の迷いがない。マチを愚弄された怒りを、彼女もまた、その冷たい氷の魔力の奥底に隠し持っていた。


 第三試合の卓に、四カ国の代表が集う。

 赤の国からは、氷の王女・サクラ。

 紫の国からは、全身を禍々しい漆黒の鎧で包んだ巨漢、暗黒騎士ダークナイトガイヤ。

 緑の国からは、風のように軽やかな身のこなしを持つエルフのレンジャー、ルーク。

 そして青の国からは、冷酷な計算と水氷魔法を操る実力者、青の国使節団副団長のベガが座った。


 赤:★10

 青:★8

 緑:★12

 紫:★6


 第一・第二試合を経て、紫の国が星を大きく減らしている状況だ。

『第三試合、開始!!』


 ジャララララララッ!!

 激しい洗牌の音と共に、局が動き出した。


「グオォォォォッ!! 叩き潰ス!! 全テ、粉砕スル!!」

 初手から盤面を荒らしに来たのは、紫の国の暗黒騎士ガイヤだった。

 彼は第一試合の魔族同様、自らの星(魔力)を消費してでも他者を道連れにするような、理不尽で暴力的な打牌を繰り返す。卓上に叩きつけられる牌一つ一つに、ドス黒い瘴気が纏わりついていた。


「チッ……野蛮な獣め。だが、私の計算マトリクスの前では、その単調な攻撃など赤子も同然」

 青の副団長・ベガが、手元の魔導書をパラパラと捲りながら、水氷魔法でガイヤの瘴気を相殺しつつ、自らの上がりへの最短ルートを構築していく。

 緑のルークは、二人の激突を避け、風のように気配を消して安い手で星を地道に拾おうと動いていた。


(……青と紫が、私の星を削りに来る)

 サクラは、卓の中心で静かに目を閉じた。

 ベガの計算通り、暗黒騎士ガイヤの理不尽な暴力(危険牌の連続)は、防御力の低いサクラに集中するように仕向けられていた。ベガはガイヤを囮にして、サクラから大量の星を奪おうという腹だ。


「さあ、氷の王女殿。貴女の星、頂きましょう。……リーチ!」

 ベガが、勝利を確信した笑みを浮かべた。

 その時。


「……私の星を奪う? 随分と、舐められたものですね」

 サクラが、静かに目を開いた。

 その瞳は、透き通るようなサファイアブルーに輝いていた。純度の高い魔力が、彼女の全身から溢れ出したのだ。


「なっ……なんだ、この冷気は!?」

 ベガが驚愕の声を上げた。

 サクラの周囲から発生した絶対零度の冷気が、黒曜石の卓を真っ白に凍りつかせていく。

 ベガの水氷魔法など児戯に等しい、本物の『王家の氷』。

 それは、相手の魔法イカサマを封じるだけでなく、空間そのものの情報を凍結させ、相手の思考速度すらも奪い去る。


「ガアアァァッ!? 身体ガ……動カナイ!?」

 暗黒騎士ガイヤの巨体が、凍りつき、ピキピキと音を立てて動きを止めた。


「……マチ副団長を愚弄した罪。そして、私たちの歩むべき道を邪魔する罪。ここで、清算していただきます」

 サクラは、凍てついた卓から、一枚の牌を美しく、そして力強く引き抜いた。


「ドンジャラ。『叡智の書(青純正)』。さらに『幻想同盟(緑・水・橙)』との複合役……! 貴方たちの浅はかな計算ごと、凍りつきなさい!」


 パァァァァンッ!!

 サクラが牌を開いた瞬間、猛吹雪のような魔力が闘技場を駆け抜け、青のベガと紫のガイヤを同時に吹き飛ばした。


『あ、赤の国・サクラのダブル上がり!! 青と紫から、星を一気に奪取!!』


 圧倒的な魔力と、揺るぎない精神力。

 それは、データや盤外戦術に頼る連中には決して到達できない、タナカ・リュウの血を引く者の『誇り』の力だった。

 その後もサクラは、一度も相手にペースを握らせることなく、氷の城壁のごとき鉄壁の防御と、一撃必殺の鋭い攻撃で盤面を完全に支配した。


『第三試合終了!! 赤の国・サクラ、圧倒的な強さで上位を死守!!』

 赤:★15

 緑:★11

 青:★5

 紫:★3


 闘技場が、氷の王女の美しさと強さに魅了され、地鳴りのような歓声に包まれた。


「ハァ……ハァ……。ケン殿、やりました……」

 ベンチに戻ってきたサクラは、極度の魔力消費によりふらつきながらも、ケンに向けて誇らしげに微笑んだ。

「ああ。最高だサクラ。お前が繋いでくれた星と想い、絶対に無駄にはしない」

 ケンはサクラを優しく労い、そして、ゆっくりと立ち上がった。


 いよいよ。

 泣いても笑っても、この『模擬・天律戦』のすべてが決まる、最終戦(大将戦)。


『さあ、四国の運命を決める最終戦! 各国、大将は前へ!!』


 ケンが、黒曜石の卓へと向かって歩みを進める。

 同時に、青の国陣営からは、使節団団長であり、青の国最強の魔導士である『シリウス』が、冷徹な足取りで進み出た。

 緑の国陣営からは、今まで一切その実力を見せていなかった謎多きトッププレイヤー、『リアン』が、深くフードを被ったまま卓へと向かう。


 そして。

 紫の国陣営から、ゆっくりと、腰をくねらせるようにして歩いてきたのは。

 サキュバスの呪紋に侵され、妖艶な笑みを浮かべた『タナカ・マチ』だった。


「……待ってたわよ、ケンおじさん」

 マチの口から発せられるサトウの声。彼女は、卓の向かい側に座るケンを見つめ、舌なめずりをした。

「サクラちゃんが頑張ってくれたみたいだけど、無駄よ。この最終戦は、持ち星をすべて『オールイン(全賭け)』してもらう特別ルールに書き換えさせてもらったから」


「なんだと……?」

 ケンがヴェイルの方を睨むと、ヴェイルは平然と頷いた。

「世界のルールを決める戦いの結末に相応しい、総力戦だ。生き残った最後の一国が、すべての星(覇権)を得る」


 シリウスも、リアンも、それに異を唱える様子はない。

 全員が、自らの勝利を微塵も疑っていないのだ。


「……いいぜ。やってやる」

 ケンは、マチ(サトウ)から目を逸らさず、静かに闘志を燃やした。


(俺は、マチの身体を傷つけるわけにはいかない。だが、サトウを倒さなければ、マチも、あの獣の中に囚われている本物のシオリも救えない……!)


 その時だった。

 闘技場の奥深く、ヴェイルが引き連れてきた巨大な檻の中から。

「グルアアアァァァァァァッッ!!!」

 地獄の番犬・ケルベロスが、鼓膜を破らんばかりの凄まじい雄叫びを上げた。

 その声は、獣の咆哮の中に、絶望に満ちた少女の泣き声が混ざり合っているような、聞く者の魂を直接削り取るような悲痛な叫びだった。


「うるさい犬ね。後でたっぷり折檻してあげるから、そこで見てなさい」

 マチ(サトウ)が、面倒くさそうに吐き捨てる。


(……待ってろ、シオリ。そして、マチ。俺が必ず、お前たちを暗闇から引っ張り出してやる)

 ケンは、目を閉じた。

 脳内の巨大な倉庫。

 四十歳の彼が、元の世界で来る日も来る日も孤独に続けてきた、無機質な在庫管理(棚卸し)の空間。

 だが今の彼には、その空間に、共に戦ってくれた仲間たちの熱い想いが、確かな『データ』として敷き詰められていた。


 マチの勇気、グレンの意地、コアラの演算、ラインの機転、サクラの誇り。

 そのすべてを、鈴木ケンは自身の『全牌記憶(棚卸し)』のシステムに統合し、完全なる処理状態オーバードライブへと突入した。


 ケンがゆっくりと目を開く。

 その瞳には、もはや怒りも焦りもない。ただ、目の前の盤面のすべてを掌握し、不良品イレギュラーを完全に排除するための、冷徹な『裁定者』としての光が宿っていた。


「さあ、始めようぜ。……てめえらの腐った盤面ルール、俺が全部、棚卸し(クリア)してやる」


 ジャラララララララララッッ!!!!

 四人の大将の手によって、運命の牌が掻き混ぜられる。

 五百年の時を超え、現代日本の四十歳のおじさんと、狂気に呑まれたかつての少女、そして異世界の覇者たちが激突する、アルカナ・ドンジャラ最大の死闘が、今ここに幕を開けた――。

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