第43話 ドワーフの意地と紫の駒
バンッッ!!!!!!
闘技場『パンデモニウム』の空気を、物理的な衝撃波が殴りつけた。
赤の国の副団長・タナカ・マチが黒曜石の卓を叩いた音は、まるで落雷のように、数万の観衆の歓声を一瞬にして黙らせた。
「ここから先は、私の『領域』だ。……グレン! お前は絶対防御に徹しろ! 振り込まなければ、星は減らねえ!!」
「えっ……ま、マチさん!?」
「そして青と紫のコソ泥ども! テメェらがグレンから上がろうとするその前に……私が、テメェら二人の星を、力ずくで全部叩き割ってやる!!!」
マチの全身から、真紅の闘気が間欠泉のように噴き上がる。
それは単なる魔力の放出ではない。五百年間、魔獣との最前線で命を削り合ってきたカルディア王国の戦士だけが持つ、純粋な『殺気』の昇華だった。
「……非合理的だ。自らの星を増やすチャンスを捨ててまで、なぜ他国である緑の国の代表を庇うのですか」
青の国の魔導士・ゼノンが、不快そうにフードの奥の目を細めた。
「これは一対一の決闘ではない。全体の星の数をコントロールする情報戦だ。貴女のやっていることは、ただの感情論であり、盤面のロジックから完全に逸脱している」
「ガッハッハ! ロジックだと? 笑わせるなインテリ野郎!」
マチは、闘気で髪を逆立てながら、ゼノンを真っ向から睨みつけた。
「他国じゃねえ。今、この卓を囲んで牌を交えている『対話』の相手だ! てめえらみたいなクソつまらねえイジメを見て見ぬフリして勝っても、うちの旦那に顔向けできねえんだよ!!」
第五局。
マチの宣言通り、盤面の様相は完全に一変した。
彼女が取った『超・攻撃的防御』という戦術。それは、ケンが駆使する「全牌記憶」とは対極にある、野生の勘と圧倒的な闘気による盤面の制圧だった。
「……リーチ」
ゼノンが、魔法による冷気でグレンの手元を狂わせつつ、静かに上がりを宣言しようとした、その瞬間だった。
「大剣(赤の1)!! ポンだァァッ!!」
マチが、ゼノンが卓に牌を置くよりも早く、卓に身を乗り出して牌を強奪した。
ゼノンの計算上、マチの手牌にその牌は必要ないはずだった。自分の待ち牌を絞り、役を完成させるためだけの無駄な鳴き。
「なっ……貴女、自分の手を崩してまで私の上がりを阻止したというのか!?」
「当たり前だ! てめえの魔力の波長が『殺し(上がり)』に傾いたのが丸見えなんだよ! そんな見え透いた魔法使いの小細工、私の筋肉(直感)の前ではスローモーションも同然だ!!」
マチは自分の上がりを度外視し、青と紫が「グレンから上がろうとする」気配を察知した瞬間に、強引な鳴きや危険牌の先切りを行って、彼らの計算(確率論)を片っ端から粉砕していく。
「キシャァァッ! 邪魔をするな赤の女!!」
紫の魔族が牙を剥き、幻惑の瘴気を放ってマチの視界を狂わせようとするが。
「生ぬるい風だ! そんなもので私の闘気は消せねえ!!」
マチは吠えるだけでその瘴気を吹き飛ばし、逆に魔族に対して殺気を叩きつける。魔族は恐怖で手が震え、打牌のテンポが完全に崩壊した。
ベンチで見守るケンは、情報参謀のコアラの横顔を見た。
「コアラ。ゼノンの計算、狂ってるか?」
「……はい。完全にエラーを吐き出しています。青の魔導士は、相手が『自分の利益(星の獲得)』のために合理的に動くという前提で確率を弾き出している。しかし、マチ副団長の『自己犠牲を伴う妨害』は、そのアルゴリズムの想定外なのです」
コアラが、珍しくメガネの奥で誇らしげに目を細める。
「これが、赤の国の『戦乙女』。データでは測れない、理不尽なる暴力の化身です」
盤面は、マチという一個の台風によって完全に荒らされていた。
しかし、いくらマチが相手の上がりを潰しても、彼女自身が上がらなければ星は奪えない。膠着状態が続けば、いずれマチの闘気も底をつく。
(……マチさん。あんた、そこまでして……)
残り星二つまで追い詰められ、身を縮めていた緑のドワーフ・グレンは、目の前で一人暴れ回るマチの背中を見て、強く歯を食いしばった。
ドワーフの男が、他国の、しかも女に命(星)を張って庇われている。
そんな無様な姿を、これ以上、故郷の赤の国や、自分を拾ってくれた緑の国のティア様に見せられるはずがなかった。
「……ふざけんなよ。俺は、エバーグリーン王国使節団、四番手のグレンだぞ!!」
グレンの太い腕に、血管がボコボコと浮かび上がる。
青のゼノンが放っていた冷気の魔法が、ドワーフの体から発せられる熱気(炉の火)によって蒸発していく。
(マチさんが場を荒らして、青と紫の意識を自分に釘付けにしてくれている。……なら、その隙を突くのが、使節団の役目だろ!)
グレンの目に、職人としての鋭い光が宿る。
彼は、マチが暴れ回る盤面の裏側で、気配を完全に殺し、密かに、だが確実に『巨大な役』を仕込んでいた。
第七局、終盤。
マチの理不尽な闘気と妨害に、データ至上主義のゼノンはついに焦りを見せた。
(……ええい、計算が合わない! このままではマチのペースだ。一度、完全に安全な牌を切って場をリセットし、体勢を立て直す!)
ゼノンは、確率的にマチの上がり牌になり得ず、紫の魔族も欲しがっていない牌を弾き出した。
それは、黄色の『坑道(ドワーフの2)』の牌。
「……チッ。ここは撤退(ベタ降り)です。これでどうですか、野蛮な女」
ゼノンが、その牌を卓の中央に捨てた、その瞬間だった。
「――待ってたぜ、インテリ野郎」
地の底から響くような、重厚な声。
ゼノンがハッとして横を向くと、そこには、完全に闘志を取り戻し、ニヤリと笑うドワーフ・グレンの姿があった。
「なっ……!?」
「マチさんの筋肉ばっかり見てるから、足元をすくわれるんだよ。あんたが切ったその牌は……俺の魂のど真ん中だ!!」
ガァァァァァァンッッ!!!
グレンが、鍛冶屋のハンマーを振り下ろすような強烈なスイングで、手牌を卓に叩きつけた。
黄色い魔力石の光が、闘技場を眩く照らし出す。
「ドンジャラァァッ!! 『鋼の意志(黄純正)』!! 鍛冶、坑道、爆破の三セット!! まるまる十点、てめえの星から削り取らせてもらうぜ!!」
「ば、馬鹿な……!? 私の計算では、緑のドワーフは防御に回って完全に身動きが取れないはず……いつの間にこんな大役をテンパイしていたのだ!?」
ゼノンが、信じられないという顔で自分の魔導書を落とす。
「ガッハッハッハ! よくやったぞグレン! それが男の顔だ!」
マチが、我が事のように大声で笑う。
『緑の国・グレンの上がり! 青の国から星を一気に二つ奪取!!』
審判のコールと共に、空中の星の数が入れ替わる。
赤:★12
青:★11
緑:★6
紫:★11
「うおおおおおっ!! ドワーフのオッサン、よくやった!!」
「赤と緑の連携プレイだ!! 魔法使いの計算をぶっ壊したぞ!!」
観客席から、予想外の熱い展開に割れんばかりの歓声が巻き起こる。
「……シルヴァ。データ参謀として、今のプレイをどう見る?」
緑の国のベンチで、ティアが静かに尋ねた。
「……奇跡に近い連携です」冷静沈着なエルフの参謀・シルヴァが、感嘆の息を吐く。「事前の打ち合わせなど何もない。赤のマチ副団長が盾となり、自らの強烈な光で影を作り出した。グレンはドワーフ特有の『土の気配(隠密性)』を活かし、その影の中で完璧に牙を研いでいた。……理屈を超えた、魂の共鳴です」
「……ケン。貴方の国の戦士は、本当に素敵ね」
ティアは、赤の国のベンチにいるケンに向けて、誇らしげに微笑みかけた。
ケンもまた、拳を強く握りしめていた。
(すごいぜ、マチ、グレン。これだ……これこそが、俺が思い描いていた、盤面を通した『対話』なんだ。相手の思惑を読み、味方の心に応える……血も涙もないルールの網の目を、人間の意志で食い破る!)
闘技場の空気は、完全に赤と緑の陣営に傾いていた。
青のゼノンは計算の崩壊によって戦意を削がれ、残る紫の魔族は、マチのプレッシャーとグレンの反撃の前に、完全に打つ手を見失っていた。
「キ、キシャァァ……! ま、マズイぜ……このままじゃ、俺様の星が……」
紫の魔族は、震える手で牌を握りながら、何度も自軍のベンチへと視線を送っていた。
「……」
紫の国のベンチ。
ヴェイル議長は、無表情のまま盤面を見つめている。
そしてその横で、黒いセーラー服を着た少女――サトウが、コトン、と氷の入ったグラスをテーブルに置いた。
「……あーあ。つまんないの」
少女の唇から零れ落ちた、甘ったるく、しかし絶対零度の冷たさを伴った声。
それは、周囲の歓声にかき消されるほど小さな声だったはずなのに。ケンの中の『全牌記憶』のシステムが、警報を最大音量で鳴り響かせた。
(……来る。何か、とんでもなくヤバいことが起きる!)
ケンが思わず立ち上がった、その瞬間。
「ねえ。あんたみたいなどうしようもないゴミ屑、生きてる価値ないよ。……もう、壊れちゃえ」
サトウの漆黒の瞳が、盤面に座る紫の魔族を、真っ直ぐに射抜いた。
瞬間。
サキュバスとしての彼女が放つ『精神を破壊する呪い』が、盤外から、目に見えない巨大な棘となって魔族の脳髄に直接突き刺さった。
「ギャァァァァァァッッ!!?」
突然、紫の魔族が、両手で頭を抱えて狂ったように絶叫した。
「ヒィッ! サトウ様、お許しを! 許しゲェェェェッ!!」
魔族の身体に、異常な変化が起き始めた。
コウモリの羽がボキボキと不気味な音を立てて歪な形に折れ曲がり、両目からは血の涙が噴き出す。そして、彼の肉体そのものが、風船のように異様に膨張し始めたのだ。
「な、なんだ!? どうした化け物!」
マチが大剣を構え、警戒態勢を取る。ゼノンとグレンも、そのあまりにもおぞましい光景に椅子から飛び退いた。
「……コアラ! あいつの星の数を見てみろ!」
ケンが叫んだ。
空中のモニター。紫の魔族の星の数【★11】が、凄まじい勢いで減少していく。
★10、★8、★5……。
誰かに振り込んだわけではない。彼自身の生命力ともいえる星(魔力)を、彼自身の手で無理やり燃やし、その代償として肉体を『狂乱の化物』へと強制変異させているのだ。
「星の数を消費して、ルール無用の魔力暴走を引き起こしています! このままでは、魔力の臨界点を突破して自爆します! 卓はおろか、闘技場の一部が吹き飛びますよ!」
コアラが、青ざめた顔で叫ぶ。
「自爆テロだと!? ふざけるな、ここは天律戦の神聖な卓だぞ!!」
マチが激昂するが、もはや狂乱状態に陥った魔族に言葉は通じない。
「アァァァァッ!! コワセ!! ゼンブ、コワセェェェッ!!」
魔族が、手元の牌を握り潰し、その破片に自らの血と紫の瘴気を混ぜ合わせて、マチとグレンに向けて放とうとする。
完全にドンジャラのルールを逸脱した、純粋な殺戮行為。
上空のフェニクスが『天律違反』の炎を放とうとするが、それよりも魔族の自爆の方が早い。
(……やらせるかよ!!)
ベンチにいたケンが、無意識にステージへと駆け出そうとした。
しかし。
「――下がっていろケン!! これは、私の卓だ!!」
誰よりも速く動いたのは、やはり赤の戦乙女だった。
マチは、自爆のカウントダウンに入る魔族の前に、巨大な壁のように立ちはだかった。
そして、自分の星をさらに消費し、全身の血を沸騰させるほどの極限の『真紅の闘気』を大剣に纏わせる。
「私の前で、盤面を壊すことは許さねえ!!」
ズバァァァァァンッッ!!!!
マチの大剣が、物理的な斬撃ではなく、魔力を帯びた『闘気の波』となって魔族に叩きつけられた。
それは、魔族の自爆の魔力エネルギーを真っ向から相殺し、さらにその肉体を闘技場の壁面へと文字通り『弾き飛ばす』ほどの一撃だった。
「グェェェェッ……!?」
壁に激突した魔族は、口から大量の紫の血を吐き出し、そのままピクリとも動かなくなった。
同時に、空中のモニターに表示されていた彼の星の数が、パラパラと崩れるように減少し、ついに【★0】となった。
『……し、紫の国・代表、星ゼロによりリタイア!! 規定により、この時点で第一試合を終了とします!!』
仮面の審判が、震える声で終結を宣言した。
静寂。
数万の観衆が、目の前で起きたあまりにも異常で、そして凄惨な幕切れに、声を発することすら忘れていた。
「……ハァ、ハァ……ッ」
マチは、大剣を杖代わりにして、その場に片膝をついた。
極限の闘気を連続で放出し、さらに魔族の自爆エネルギーを相殺したことで、彼女の体力と魔力は完全に底をついていた。
「マチ!!」
ケンがステージに飛び上がり、倒れそうになる彼女の身体をしっかりと抱きとめた。
「バカ野郎、無茶しやがって……! 大丈夫か!?」
「……ガハッ。へへっ……ちょっと、張り切りすぎちまったみたいだな……」
マチは、ケンの腕の中で、力なく、しかし満足げに笑った。
「あとは……頼んだぞ、マイハニー。……赤の国の、誇りは……守った、からな……」
その言葉を最後に、マチはケンの腕の中で意識を手放した。
「ああ。よくやった。最高にカッコよかったぜ、お前は」
ケンはマチを優しく抱き上げると、サクラとコアラに彼女を預けた。
ケンは、ゆっくりと顔を上げる。
彼の視線の先には、壁際で原型を留めないほどに崩れ去り、煙を上げている紫の魔族の死骸があった。
「……」
そして、その向こう側。紫の国のベンチ。
自国の代表が惨たらしい死を遂げたというのに。ヴェイル議長は冷徹に目を伏せたまま微動だにせず。
その横に座るセーラー服の怪物――サトウだけが。
ケンの怒りに満ちた視線を受け止めながら、まるで面白いおもちゃを見つけた子供のように、ケタケタ、ケタケタと、底抜けに明るい声で笑い続けていた。
(……こいつら。自分たちの国の選手を、文字通りただの『使い捨ての駒』としか思ってない。星が減れば、肉体ごと壊して処分する……それが、紫の国の戦い方か……!!)
ケンの胸の奥で、田中勇の遺志を継ぐ者としての静かな、しかしマグマのように熱い怒りが燃え上がっていた。
第一試合、先鋒戦は赤の国の勝利(マチの星のリード)で終わった。しかし、この「星の奪い合い」ルールが孕む本当の地獄は、まだ口を開けたばかりである。
世界の運命を決める「模擬・天律戦」。
狂気のサキュバスと、冷徹な青の魔導士たちが蠢く次鋒戦の卓へ向けて、鈴木ケンの長く過酷な夜は続く。




