第42話 星を喰らうハイエナたち
紫の国(ヴェイル共和国)の首都、闇都ノクターン。
その最深部に位置する巨大地下闘技場『パンデモニウム』は、今日、五百年に一度の異様な熱狂の渦に包み込まれていた。
「ウオオオォォォォォォッ!!!」
「殺せェ! 奪えェェッ!! これが次代の世界を決める戦いだァァ!!」
すり鉢状にせり上がった巨大な観客席には、数万を超える魔族、亜人、そして各国の観戦者たちがひしめき合い、地鳴りのような歓声を上げている。
空気を震わせるのは、純粋な闘争本能と、他者が蹴落とされる様を見たいという暗い欲望。闘技場全体を満たす瘴気のような熱気は、並の人間であればその場に立っているだけで気を失ってしまうほどの凄まじいプレッシャーだった。
闘技場の中央、一段高くなった石造りのステージ。
そこに置かれた一枚の巨大な黒曜石の卓こそが、世界の未来五百年を決める「模擬・天律戦」の舞台である。
ステージを囲むように、四つのベンチが配置されている。
赤の国(カルディア王国)、青の国(アルカナム王国)、緑の国(エバーグリーン王国)、そして紫の国(ヴェイル共和国)。
それぞれから選ばれた『四名』の代表選手たちが、ついにこの場に集結していた。
「……すげえ熱気だな。俺が今まで打ってきた地下百勝戦の会場が、ただの裏路地に思えてくるぜ」
赤の国のベンチで、鈴木ケンは額に滲んだ冷や汗を拭った。
隣には、氷の王女サクラと、データ端末を叩き続ける情報参謀のコアラが座っている。そして、彼らをサポートするためのメカニックとして同行したドワーフの少年・ガクが、緊張でガチガチに震えながら予備の魔力石を抱えていた。
「当然です、ケン殿。ここは歴史の分岐点。彼らは皆、自分たちの望む『新しいルール(世界)』が制定されることを信じて、狂喜しているのですから」
サクラが、凛とした声で言った。
「しかし、恐れることはありません。我らカルディアの代表は、歴戦の勇士のみ。四人の絆で、必ずや勝利を掴み取ってみせます」
「サクラ王女の言う通りです。私の計算上、我々の勝率は現時点で三十五パーセント。四カ国の中では最も高い数値を叩き出しています」
コアラが銀縁メガネをクイッと押し上げる。
「三十五パーセントか。……微妙に安心できない数字だな」
ケンが苦笑した、その時だった。
『――四国の誇り高き代表たちよ。そして、世界を憂う全ての民よ』
闘技場の上空、紫色の魔力によって拡張されたヴェイル議長の声が響き渡った。
観客たちの歓声が、一瞬にして静まり返る。
『これより、次代の天律の書に名を刻むための前哨戦……「模擬・天律戦」を開幕する!』
ウオオオオオオッ!! と、再び爆発的な歓声が上がる。
『ルールは昨晩通達した通り。四カ国同卓による「星」の奪い合いサバイバルだ。各選手には、試合開始時に十個の星が与えられる。上がった者は、敗者から星を奪う。星がゼロになった者は、その時点でリタイアとなる。
三日間の激闘の末、最も多くの星を保持していた国が優勝だ。……さあ、言葉は無用。卓に座れ、各国の先鋒たちよ!!』
ヴェイルの合図と共に、四つのベンチから、それぞれ一人の選手が立ち上がった。
「ガッハッハ! 行ってくるぜケン! 私の戦乙女としての華麗な初陣、とくと見ておけ!!」
赤の国から先陣を切ったのは、副団長タナカ・マチ。
巨大な大剣を背負い、豊満な大胸筋と見事なシックスパックを惜しげもなく晒した彼女の登場に、観客席からは一際大きな歓声(と一部の悲鳴)が上がった。
「頼んだぞ、マチ! 相手のペースに飲まれるなよ!」
ケンの声援を背に受け、マチは自信満々に卓の『東(赤)』の席へと座る。
続いて緑の国のベンチから立ち上がったのは、筋骨隆々としたドワーフの男だった。
「へへっ。まさか俺がいの一番に指名されるとはな。ティア様のためにも、緑の国のドワーフの意地、見せてやりますよ」
緑の国使節団の四番手、グレン。
元々は赤の国の出身だが、森の豊かさとティアの思想に惹かれて移住した変わり種のドワーフだ。豪快な速攻型のプレイスタイルを得意としている。彼が『南(緑)』の席につく。
青の国からは、頭から目深に青いフードを被った、陰気な顔つきの男が現れた。
手には杖ではなく、分厚い魔導書を抱えている。
「……ククク。野蛮な筋肉ダルマと、森の木こりが相手ですか。アルカ様、この私の『演算』で、奴らの知能の低さを証明してご覧に入れましょう」
青の国のエリート魔導士、ゼノン。
かつてケンが青の国の地下で戦った相手と同じように、魔法による盤外戦術と確率論を至上とする冷徹な男だ。『西(青)』の席につく。
そして最後。紫の国のベンチからは、巨大なコウモリの羽を生やした魔族の男が、空を滑るようにして卓へと舞い降りた。
「キシャァァ……。人間共の生血、久しぶりにすすってやるぜ」
紫の国代表、吸血鬼種の魔族。
ヴェイルの後ろで無邪気に足をブラブラさせているセーラー服の少女から、何事か耳打ちされ、不気味に目を光らせながら『北(紫)』の席に腰を下ろした。
赤の戦士、緑のドワーフ、青の魔導士、紫の魔族。
全く異なる種族、異なる思惑が、一枚の黒曜石の卓で交差する。
ステージの中央、空中に浮かんだ魔力石のモニターに、四人の名前と、それぞれの所持している星の数【★10】が映し出された。
『それでは……第一回戦、開始!!』
審判を務める仮面の魔族が、大声で宣言した。
「洗牌だ!! オラオラ、もたもたしてんじゃねえぞ!!」
マチが、闘気と共に両腕を広げ、黒曜石の卓の上で豪快に牌をかき混ぜる。
ジャラララララララッ!!
牌がぶつかり合う凄まじい音が闘技場に響く。ただ牌を混ぜているだけだというのに、マチから立ち上る赤い魔力のオーラが、他三人に強烈なプレッシャーを与えていた。
「チッ……。ただの筋肉馬鹿かと思えば、随分と濃密な魔力を持っているじゃないですか」
青の魔導士ゼノンが、不快そうに顔をしかめる。
「キエェェッ! 上等だぜ女! 俺様の闇の力で、その威勢をへし折ってやる!」
紫の魔族が牙を剥く。
配牌が終わり、第一局が始まった。
マチのプレイスタイルは、一言で言えば「圧倒的なパワーと覇気」である。彼女は細かい確率や相手の心理など読まない。自分の引きの強さと、直感を信じて、一直線に最高打点の役を目指す。
「大剣(赤の1)! 炎剣(赤の2)! そして剣聖(赤の3)! ガッハッハ、私の手牌は燃えているぞォォッ!!」
バチンッ! バチンッ!! と、卓が割れんばかりの勢いで牌をツモり、そして捨てる。
そのあまりの気迫に、緑のドワーフであるグレンでさえ、少し気圧されていた。
「……すげえな、マチ副団長。あのプレッシャー、盤面全体を自分の領域に引きずり込んでる」
ベンチで見ていたケンが、感嘆の声を漏らす。
「はい。彼女の闘気は、相手の冷静な思考を奪い、判断を遅らせる効果があります。事実、青と紫の選手の脳波データに僅かな乱れが生じています」
コアラが、端末を見ながら補足する。
マチの猛攻は止まらない。
僅か六巡目。マチは、雷のようなスピードで上がり牌を引き当てた。
「そこだァァァッ!! ドンジャラ!!」
バァァァァァンッ!!!
マチが叩きつけた牌が、赤い火花を散らす。
「烈火陣(赤純正)! さらに同色セット三つ! 圧倒的筋肉の勝利だ!!」
ワアァァァァァァッ!!
赤の国の観戦者たちが、一斉に歓声を上げる。
マチが振り込んだ(最後に牌を捨てた)のは、紫の魔族だった。
『タナカ・マチ、上がり! ヴェイル共和国から、星を二つ奪取!』
空中のモニターの数字が変動する。
赤:★12
紫:★8
「キィィィッ! バカな……俺様の呪術(紫牌)の幻惑が、全く通じなかっただと!?」
紫の魔族が、信じられないという顔で自分の手牌を見つめる。
「ガッハッハ! 筋肉の前には、小手先の幻術など無意味だ! さあ、どんどん行くぞ!!」
圧倒的な幸先良いスタート。
カルディア王国のベンチは歓喜に包まれたが……。
ケンは、ふと、嫌な予感を感じて背筋を震わせた。
(……おかしい。青の魔導士が、全く悔しがっていない。紫の魔族も、一瞬怒ったフリをしただけで……すぐに、誰かに視線を向けた?)
ケンの視線の先。
紫の魔族がチラリと視線を送ったのは、ベンチで無邪気に笑う『サトウ』だった。サトウは、自分の首を指でスッと切るジェスチャーを見せた。
そして、青の魔導士ゼノンは、自軍のベンチに座る『アルカ』と『シズク』に向けて、小さく、だが確実に頷いた。
(……何を企んでる? 奴ら、何か別の狙いがあるのか?)
第二局が始まった。
ここから、この「模擬・天律戦」における『星の奪い合いルール』の、真の恐ろしさとエグさが、赤と緑の国に牙を剥き始めることとなる。
「……洗牌」
静かに牌が積まれ、ゲームが進行していく。
マチは先ほどと同じように、圧倒的な覇気で卓を支配しようとした。
しかし、青の魔導士と紫の魔族の『打ち方』が、先ほどとは明確に変わっていた。
「……ふむ。これは不要ですね」
チャッ。
青の魔導士ゼノンが、不要な牌を捨てる。その瞬間。
ヒュッ……と、極めて微小な『風』が、緑の国のグレンの手元をすり抜けた。
「……ん? なんだ今の風は。地下だっていうのに……ひっ、冷てえ!?」
グレンが、ビクッと肩を震わせた。
彼が握っていた牌の温度が、一瞬にして氷点下近くまで下げられたのだ。
「……コアラ! 今の、天律違反の魔法じゃないのか!?」
ケンがベンチから立ち上がる。
しかし、上空で燃え盛る不死鳥フェニクス(審判の炎)は、全く反応を示さない。
「……いえ。魔法の使用は検知されましたが、あれはあくまで『生活魔法』の範疇。直接牌を透視したり、役を改ざんするような致命的な不正ではないため、天律システムは違反とみなしていません」
コアラが、ギリッと奥歯を噛み締める。
「青の国は、ルール違反にならないギリギリの『盤外戦術』で、相手の集中力を削ぐことに特化しているのです!」
「くそっ、手元が凍えて、牌が上手く握れねえ……」
グレンの額から、冷や汗が流れ落ちる。
ドワーフの豪快なプレイスタイルは、繊細な手元の感覚があってこそ。指先を凍らされては、満足な手牌の組み立てなどできない。
焦ったグレンは、安全だと思った牌を、震える手で卓に放り投げた。
「……キシャァァッ!! もらったぜ!!」
その瞬間、紫の魔族がその牌を強引に奪い取った(よこどりした)。
「ドンジャラ!! 闇の三角(紫+灰+桃)の同盟役だ!! ドワーフのオッサン、あんたから上がりだぜ!!」
バァァァン!! と、紫の魔族が牌を開く。
決して高い役ではない。マチのスピードに追いつくためだけに急造した、安くて速い上がりだった。
『緑の国・グレンの振り込み! 紫の国が、星を一つ奪取!』
緑:★9
紫:★9
「……チッ! 逃げ足の速い真似を。勝負はこれからだったっていうのに」
マチが舌打ちをする。
だが、この不自然な上がりは、ただの偶然ではなかった。
第三局、第四局。
異常な事態が、明確に盤面に表れ始めた。
青の魔導士と紫の魔族は、マチには一切攻撃を仕掛けようとしなかった。マチが危険牌を捨てても完全に見逃し、徹底的に『防御』に徹する。
その代わり、彼らが牙を剥くのは、常に『緑のドワーフ(グレン)』に対してだった。
青の魔導士が、風魔法や光の屈折を利用して、グレンの視界を微妙に歪ませ、心理的なプレッシャーをかけ続ける。
グレンが耐えきれずに牌を捨てると、それを待っていたかのように、紫の魔族が安い役で速攻の上がりを決める。
あるいは、紫の魔族が狂気的な魔力でグレンを威嚇し、動揺した隙を突いて、青の魔導士が確率論に基づく緻密な計算でグレンからピンポイントで上がりをもぎ取る。
「……ドンジャラ。叡智の書(青純正)。グレン殿、また貴方からですよ」
「キシャァァッ! ドンジャラ! 今度は俺様だぜ!」
『緑の国、連続振り込み! 星をさらに奪取される!』
空中のモニターの星の数が、残酷な現実を映し出していた。
赤:★12
青:★13
紫:★11
緑:★4
「……てめえら。いい加減にしろよ」
卓を叩く音が響いた。
マチの顔から、いつもの豪快な笑みが消え、底知れぬ怒りのオーラが噴出していた。
「お前ら、さっきからグレンしか狙ってないじゃねえか。私という赤の戦士が目の前にいるのに、徹底的に弱いところをいじめ抜く……それが、お前らのドンジャラか!!」
マチの怒号が、闘技場に響き渡る。
しかし、青の魔導士ゼノンは、薄ら笑いを浮かべたまま、冷酷に言い放った。
「……何か勘違いをしていませんか、赤の戦士殿。これは一対一の決闘ではない。『四カ国による星の奪い合い』なのです」
ゼノンは、手元の魔導書をパラパラと捲りながら、インテリ特有の嫌味な声で続けた。
「貴女のような脳筋の怪物を相手にするのは、魔力と手数の無駄です。チーム戦において最も効率的に自国の星を増やす方法は何か? ……簡単です。卓の中で一番弱く、一番隙があり、一番心が折れやすい『穴』を見つけ出し、そいつがリタイア(星ゼロ)になるまで、徹底的にしゃぶり尽くすことですよ」
「キシャシャシャッ! その通りだぜ! ドワーフのオッサンが弱すぎるのが悪いんだろ?」
紫の魔族も、嘲笑うようにグレンを見下す。
マチが、ギリッと奥歯を鳴らす。
ベンチにいるケンも、この『チーム戦』というルールの真の恐ろしさを、肌で理解し戦慄していた。
(……なんてエグいルールだ。誰かを『生贄』にして、星を安全に稼ぐ。……いや、それだけじゃない)
ケンの『全牌記憶(棚卸し)』のシステムが、恐るべき未来の盤面を予測する。
(もしこのままグレンがリタイアして、緑の国が全滅したら……残った青と紫は、今度は『赤』をターゲットにして、二国で結託して星を削りに来る。……最初から、俺たち赤と緑を各個撃破するつもりだったんだ!!)
単なる個人技では勝てない。
同盟という名の『共謀』と、弱者を徹底的に食い物にする『ハイエナ戦術』。これこそが、アルカとヴェイルが仕組んだ、盤外の暗黒ルールだったのだ。
「……すまねえ、マチさん。俺が不甲斐ないばかりに……」
グレンは、星が残り二つとなり、顔面を蒼白にして震えていた。額からは脂汗が流れ、彼が誇りにしていたドワーフの闘志は、青と紫の陰湿な連携攻撃によって完全にへし折られようとしていた。
「次で終わらせましょう。グレン殿、貴方の星、残り二つも私が頂きます」
青の魔導士が、冷酷な目で宣告する。
絶望的な空気が、赤と緑の陣営を包み込む。
しかし。
その絶望を、文字通りの『物理的な力』で粉砕した者がいた。
バンッッ!!!!!!
マチが、黒曜石の卓を、拳から血が滲むほどの力で叩き割らんばかりに殴りつけたのだ。
闘技場全体が、地震が起きたかのように大きく揺れた。
「……ふざけるな」
マチが、ゆっくりと立ち上がる。
彼女の全身から、先ほどまでの「赤い魔力」とは次元の違う、煮えたぎるような『真紅の闘気』が火山のように噴出していた。
そのあまりの圧力に、青の魔導士の風魔法が掻き消され、紫の魔族が悲鳴を上げて椅子から転げ落ちそうになる。
「弱者を食い物にして、コソコソと星を稼ぐ……? テメェら、それがこの世界を次の五百年引っ張っていく覇者の戦い方だと言うのか」
マチの瞳が、怒りで黄金色に輝く。
「……私の旦那が、どれだけの思いでこの闘技場に挑んでいるか、お前らみたいな小悪党には一生分からねえだろうな。……いいか、よく聞け」
マチは、自分の大剣を引き抜き、それを卓の真ん中にズドン!! と突き立てた。
「ここから先は、私の『領域』だ。……グレン! お前は絶対防御に徹しろ! 振り込まなければ、星は減らねえ!!」
「えっ……ま、マチさん!?」
「そして青と紫のコソ泥ども! テメェらがグレンから上がろうとするその前に……私が、テメェら二人の星を、力ずくで全部叩き割ってやる!!!」
自分の星の消耗すら厭わない、相手の上がりを力技で潰しにかかる『超・攻撃的防御』。
それは、緻密な計算と連携を基本とする現代ドンジャラの常識を根底から覆す、戦乙女タナカ・マチにしかできない、狂気の盤面破壊戦術だった。
「ガッハッハッハ!! さあ、本当の殺し合い(ドンジャラ)を始めようぜ!!」
猛り狂う赤の戦乙女の咆哮が、パンデモニウムの闇を引き裂いた。
鈴木ケンという男が目指す「真っ当な対話の世界」を守るため、最強の矛が今、無法のハイエナたちに牙を剥く。




