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第39話 修羅場と警告


 ゴトン、ゴトン……。

 赤の国の誇る最高技術の結晶、魔導列車『紅蓮の鎚号』は、大地を揺るがすような重低音を響かせながら、西の荒野を疾走していた。


 外見は重厚な鋼鉄の要塞だが、特別車両である車内は、信じられないほどの豪奢な作りになっていた。

 床には赤い絨毯が敷き詰められ、座席は最高級の魔獣の皮革。車内の照明は魔力石によって温かみのある光を放ち、揺れはドワーフ特有のサスペンション技術によってほとんど感じられない。


「ぷはァッ!! やっぱ昼間から飲むエールは最高だな!! おいガク、もっと樽を持ってこい!!」

「へ、へいッ! マチ監督、飲み過ぎっすよ!」


 食堂車として連結された車両では、出発して数時間しか経っていないというのに、早くもマチを中心とした大宴会が始まっていた。

 テーブルには山盛りの肉料理が並び、赤の国の使節団の面々がドンジャラの牌を片手にジョッキを打ち鳴らしている。


「……はぁ。これから敵地に乗り込んで殺し合い……じゃなくてドンジャラをするってのに、この緊張感の無さはなんなんだ」

 ケンは窓際の席で呆れたようにため息をつきながら、外の景色を眺めていた。

 窓の外には、カルディア王国の荒々しい岩山が飛ぶような速度で後ろへと流れていく。


「……それが赤の国の強さです、ケン殿」

 向かいの席に座るコアラが、データ端末から目を離さずに言った。

「マチ副団長たちは、決して油断しているわけではありません。極限までリラックスすることで、有事の際に一瞬でトップギアに移行できる『野生のスイッチ』を持っているのです。……まあ、半分はただの酒好きですが」

「なるほどな。まあ、変に気負うよりはマシか」


 ケンが肩の力を抜いた、その時だった。


 キィィィィィィンッ……!!

 魔導列車のブレーキが甲高い音を立て、徐々にスピードが落ちていく。

 車窓からの景色が、いつの間にか岩山から鬱蒼とした深い森へと変わっていた。


「……国境の『双樹の駅』ですね」

 隣の車両からサクラが歩いてきて、窓の外を見た。

「ここはカルディア王国と、緑のエバーグリーンの国境地帯。通常、使節団の特急便は止まりませんが……今回は、特別です」


 列車が完全に停車し、プシューッと蒸気を上げて扉が開く。

 ホームには、深緑のローブを身に纏った数十人のエルフたちが整列していた。

 その先頭に立つのは、長く美しい深緑の髪を風に揺らす、一人の少女。


「……ケン。迎えに来てくれたのね」

 緑の国王女にして世界樹の巫女、ティア・エバーグリーンだった。


「ティア! お前らも、この列車に乗るのか?」

 ケンが驚いて立ち上がると、ティアは軽やかな足取りで車内へと入ってきた。その後ろには、シルヴァやエルダといった緑の国の代表選手たちが続く。


「ええ。サトシ王からの粋な計らいよ。紫の国までは遠いし、どうせなら四国激突の前に、一緒に道中を楽しもうと思って」

 ティアはそう言うと、真っ直ぐにケンの元へと歩み寄り――。


 ギュッ。

 ためらいもなく、ケンの胸に飛び込み、その細い腕でケンの腰に強く抱きついた。


「なっ……!?」

 ケンが硬直する。エルフ特有の甘い森の香りと、柔らかな感触が彼を包み込んだ。


「ケン……久しぶりね。ずっと、ずっと会いたかったわ。貴方が赤の国で筋肉ダルマたちに酷い扱いを受けてないか、心配で夜も眠れなかったのよ?」

 ティアが、上目遣いで琥珀色の瞳を潤ませる。八百歳を超えているとは思えない、完全に十四歳のあどけない少女の破壊力だ。


 ピキィッ!!

 その瞬間、食堂車で肉を食らっていたマチの額に、巨大な青筋が浮かび上がった。


「……おいコラ。どこの森の猿かと思ったら、エルフのババアじゃねえか」

 ドスドスと重い足音を立てて、マチがティアの背後に迫る。その手には、完全に武器として握られた巨大なジョッキ。

「離れろ。その男は、私の最愛のパートナー(旦那)だ。未成年の見た目をした妖怪が、気安く触っていい男じゃねえんだよ」


 マチから噴き出す、火山のような殺気と嫉妬のオーラ。

 しかし、ティアは抱きついたまま振り返り、涼しい顔で微笑んだ。

「あら、マチ副団長。随分と妄想が激しいのね。パートナー? 笑わせないで。五百年前、この世界の誰よりもイサムの隣にいたのは私よ。……ケンの隣に立つ権利も、一番は私にあるの。胸じゃなくて、大胸筋しかないメスゴリラはお呼びじゃないわ」


「メ……ッ、メスゴリラだとォォォッ!?」

 マチの最大のコンプレックスである「筋肉と胸」を的確にえぐるティアのカウンター。


「上等だエルフ!! ここでアンタの世界樹(首)をへし折って、そのまま薪にして肉を焼いてやるよォ!!」

「やれるものならやってみなさい、発情期の脳筋女。私の『森の誓い』で、貴女の筋肉ごと卓の肥やしにしてあげるわ」


 バチバチバチッ!!

 ケンを挟んで、赤の国最強の戦乙女と、緑の国最強の巫女による、文字通りの『正妻戦争』が勃発した。

 両者から立ち上る凄まじい魔力が車内を揺るがし、エルフたちと赤の国の軍人たちが慌てて距離を取る。


「や、やめろお前ら! 列車が壊れる!! サクラ、コアラ、止めてくれ!!」

 ケンが助けを求めるが。


「……野蛮ですね。私たちは関わらないでおきましょう、コアラ」

「……同意します、サクラ王女。嫉妬に狂った女のパラメーターは計算不可能です。巻き込まれれば命の保証はありません」

 二人はスッと目を逸らし、優雅にティータイムを始めてしまった。


     * * *


 その日の夜。

 激しい宴会と女たちの修羅場がようやく終わりを告げ、消灯時間が近づいていた。

 ケンは一日の疲労(主に精神的なもの)を癒やすため、自分の客室が割り当てられている一等寝台車へと向かった。

 ドアのプレートには『鈴木ケン』と書かれている。


「はぁ……ようやく休める。マチとティアをなだめるだけで寿命が縮んだぞ……」

 愚痴をこぼしながらドアを開けたケンは、次の瞬間、全身を硬直させた。


「……遅かったな、マイハニー。待ちくたびれたぞ」

「な、なんでお前がここにいるんだよォォォッ!?」


 客室の中央。

 そこには、なぜかドワーフの職人が持てる技術の粋を集めて作り上げたと思われる、無駄に豪華な『ハート型の特大天蓋付きベッド』が鎮座しており、そのど真ん中に、薄手のネグリジェを着たマチが妖艶な(物理的な威圧感を伴う)ポーズで横たわっていた。


「なんでって、私たちはパートナーだろう? 赤の国の使節団副団長という私の権限(意向)で、お前の部屋の壁をぶち抜いて、私の部屋と繋げさせたんだ。つまり、ここは私たちの『愛のスイートルーム』というわけだ!! ガッハッハ!」


「職人の技術をそんなことに無駄遣いするな!! ていうか、権力濫用だろ!!」

「いいから来いケン! あの小生意気なエルフのババアに、私たちの絆の深さを見せつけてやる必要がある! さあ、今夜の『夜の天律戦』の幕開けだ!!」


 マチが獲物を狙う虎のような目をして、ベッドから飛び起きてくる。

 その愛情表現は恐ろしいほどに純粋だが、物理的な質量が伴うため、四十歳のおじさんにはあまりにも荷が重すぎた。


「ば、馬鹿野郎! 明日は敵地に乗り込む大事な日だぞ! 体力を温存しなきゃいけないんだ! お、俺はちょっと展望車で風に当たってくる!!」

「あッ! 逃げるなケン! 照れ隠しにも程があるぞォ!!」


 背後から迫るマチの愛の突進を間一髪で躱し、ケンは全速力で部屋を飛び出した。

 廊下を走り抜けながら、ケンは心底思った。(やっぱり、俺の平穏な物流倉庫での生活は、もう二度と戻ってこないんだな……)と。


     * * *


 魔導列車の最後尾にある、ガラス張りの展望車。

 マチの追跡を振り切ったケンは、荒い息を吐きながら、そこから流れていく暗い夜の景色を眺めていた。


「……災難だったわね、ケン。あの発情ゴリラに食べられそうになって」

 背後から、静かな声がした。

 振り返ると、ローブを脱ぎ、ゆったりとした私服に着替えたティアが立っていた。昼間の喧嘩腰の態度とは違い、その表情には五百年の時を生きる者特有の、深く、静かな憂いが宿っている。


「ティアか……見てたのかよ。全くだ、あいつの思い込みの激しさには参る」

 ケンは苦笑しながら、隣に並んだティアに視線を向けた。


「でも、愛されているのは確かよ。少し、乱暴だけどね」

 ティアはクスリと笑い、そして、スッと表情を引き締めた。

「……ケン。貴方、何か隠しているわね。紫の国からの招待状に、何か特別なことでも書いてあった?」

 八百年生きるエルフの直感は、ケンの僅かな心の揺らぎを正確に見抜いていた。


 ケンは少し迷ったが、やがて懐からあの漆黒の封筒を取り出し、裏側の「日本語」のメッセージをティアに見せた。

「……これだ。俺たち現代日本の人間しか読めない文字で、メッセージが書かれていたんだ。紫の国には、間違いなく俺や田中勇と同じ、転生者がいる」


 ティアは、その文字をじっと見つめた。

 彼女には読むことはできない。しかし、その文字の「形」には、強烈な見覚えがあった。五百年前、田中勇が日記に書き記していた文字と、全く同じ構造。


「……やっぱり、そうだったのね」

 ティアの琥珀色の瞳が、悲哀と、そして強い決意の色に染まる。


「ティア。お前、何か知ってるのか?」

 ケンが身を乗り出す。


「……ケン。五百年前、イサムがこの世界に召喚された時、実は彼一人じゃなかったの」

 ティアの口から紡がれた言葉に、ケンの心臓が大きく跳ねた。


「イサムには……『サトウ』という名前の、十四歳の幼なじみの少女が一緒に召喚されていたわ。彼女はイサムと同じ黒い服(セーラー服)を着ていて、彼を狂信的なまでに愛していた。……いえ、愛というよりは、『依存』と『執着』ね」


「サトウ……。それが、歴史から抹消された『謎の10人目』の正体か」

「ええ。彼女はドンジャラの才能は圧倒的だったけれど、心が完全に壊れていたの。イサムの敵となる魔獣を、必要以上に残酷に、楽しむようにいたぶって殺したわ。……紫牌(闇魔)のモデルは彼女よ。あまりの異常性に、当時の仲間たちは彼女を恐れ、歴史の記録から意図的にその存在を消し去ったの」


 ティアは、窓に映る自分の顔を悲しげに見つめた。

「……イサムは、彼女の狂気を知りながら、最後まで彼女を見捨てようとしなかった。彼女もまた、イサムが作ったこの世界(天律)を、彼のためだと言って守ろうとした。……でも、彼女の愛は歪みすぎていたわ。彼女が望んでいたのは、平和な世界なんかじゃない。『イサムが自分だけを見てくれる世界』だったのよ」


 ティアが、ケンの手を強く握りしめる。

 その手は、小刻みに震えていた。


「ケン。紫の国からの招待状の送り主は、間違いなく『サトウ』よ。彼女は五百年間、姿を変えずに生き続けている。そして……イサムの席(裁定者)に座る貴方を、絶対に許さないはずよ」

「……俺を、殺す気か」

「殺すなんて生易しいものじゃないわ。貴方の心を完全にへし折り、絶望の底に沈めて、イサムの幻影にすがりつくための『おもちゃ』にする気よ」


 ティアの警告は、これまでのどんな魔獣の脅威よりも、深く、冷たくケンの骨の髄まで染み渡った。


「気をつけて、ケン。彼女のドンジャラは、相手の精神を破壊する『呪い』よ。盤面のデータ(全牌記憶)だけで戦おうとすれば、貴方の心は確実に壊されるわ」

「……ああ。分かってる」

 ケンは、サトシ王からの言葉を思い出していた。

『相手を知り、己を晒せ。それが対話だ』。

 狂気の少女サトウ。彼女との戦いは、間違いなくその「対話」の極致になるだろう。


「ありがとう、ティア。話してくれて」

 ケンは、震えるティアの小さな手を、優しく握り返した。


     * * *


 翌日。

 長い夜を越え、魔導列車『紅蓮の鎚号』は、ついにその目的地へと到達した。


「……着いたぞ、みんな」

 窓の外の光景を見て、ケンの声が低く沈んだ。


 太陽の光が降り注いでいた地上から一転、列車は巨大な地下トンネルへと突入していた。

 そして、そのトンネルを抜けた先に広がっていたのは――。

 巨大な地底湖の上に築かれた、永遠の夜に包まれた暗黒の巨大都市。


 赤紫色の不気味な魔力石が妖しく街を照らし、コウモリの羽を持つ魔族や、異形の姿をした亜人たちが闊歩している。空を覆う巨大な鍾乳洞の天井からは、毒々しい瘴気が霧のように降り注いでいた。


「ここが……紫の国(ヴェイル共和国)。闇都ノクターン」

 マチが、コアラが、サクラが、そしてティアが。

 使節団の全員が、その圧倒的なアウェーの空気と、肌を刺すような悪意の気配に息を呑んだ。


 ギギギギギィィィンッ……!!

 重苦しいブレーキ音と共に、魔導列車が終着駅の巨大なプラットフォームに滑り込む。


「――ようこそ、新時代の裁定者殿。そして、愚かな四国の代表たちよ」


 プラットフォームで彼らを待ち受けていたのは、数十人の漆黒の鎧を着た魔王軍の残党たち。

 そしてその中央に立つ、長い紫黒の髪を揺らすヴェイル議長と。


 ……黒いセーラー服を着て、狂気を孕んだ瞳でヘラヘラと笑いながら手を振る、一人の少女だった。


「やっほー、おじさん! ドンジャラ、いっぱい遊ぼうね!」


 世界の覇権と、五百年の怨念が交差する「模擬・天律戦」。

 その血塗られた幕が、今、絶望の地下都市で静かに切って落とされた。

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