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第23話 紫闇の玉座と飢える雌獅子

 少し時は戻り

 場所は青の国から遥か遠く離れた北の大地。太陽の光すら分厚い暗雲に遮られ、常に夜の帳が下りているかのような紫の国(ヴェイル共和国)、闇都ノクターン。


 その最深部にそびえ立つ黒曜石の城。魔王の直系子孫であり、この国の実質的な支配者である評議会議長ヴェイル・ノクスの執務室には、むせ返るような血の悪臭と、不釣り合いなほど芳醇な赤ワインの香りが入り混じっていた。


「……素晴らしい。絶望という名のスパイスは、ワインの味をこうも引き立ててくれるのですね」


 ヴェイルは、美しい装飾が施されたクリスタルグラスを傾けながら、恍惚とした笑みを浮かべた。

 彼の視線の先、豪奢なマホガニーのテーブルの上には、おぞましい二つの「オブジェ」が鎮座していた。


 それは、巨大な魔獣の生首だった。

 一つは、緑の国の国境付近にあるカナン村を襲撃し、無惨な殺戮を繰り広げた『オークキング』の頭部。もう一つは、その同胞である『キングゴブリン』の頭部である。

 二体の魔獣の首は、まるで内部から爆発したかのように頭蓋が縦にぱっくりと開かれ、脳髄が剥き出しになっていた。その顔は、死の瞬間にどれほどの苦痛と恐怖を味わったのかを如実に物語るように、醜く歪み、眼球は破裂寸前まで見開かれている。


「貴方たちには、私の魔力を分け与え、人間どものルール(ドンジャラ)を理解するだけの知能と力を授けてあげたというのに……。期待外れもいいところです」


 ヴェイルは、オークキングの濁った眼球を見つめながら、冷酷に呟いた。

 カナン村の悲劇。それは赤の国の仕業などではない。この紫の玉座に座る魔王の末裔が、新たな裁定者である鈴木ケンの器を試すために、裏から糸を引いて放った『実験動物』に過ぎなかったのだ。


「相変わらず、吐き気のする趣味だな。魔王のガキ」


 不意に、窓一つない密室の空間に、傲慢で聞き慣れた声が響いた。

 パチッ、と虚空で火の粉が爆ぜたかと思うと、ヴェイルの目の前の空間が歪み、一羽の炎を纏った鳥が姿を現した。

 永遠にも近い記憶を完全保持し、田中勇を誰よりも愛した炎の精霊種――フェニクスである。


「……これは驚きました。貴方が私のもとを訪ねてくるなど、20年ぶりではありませんか? 不死鳥フェニクス殿」

 ヴェイルはグラスを置き、珍しい訪問者に対して目を丸くした。フェニクスは紫の国にとって、かつて魔王軍を何度も退けた因縁の敵であり、最も恐れられている存在だ。


「勘違いするな。お前のその気取ったツラを見に来たわけじゃねえ。ただの『確認』だ」

 フェニクスは、テーブルの上の魔獣の首を一瞥し、「悪趣味な野郎だ」と吐き捨てた。


「確認、ですか」

「ああ。青の国の地下で、あのバカ(ケン)が『黒牌(魔王)』を手懐けやがった。お前ら魔族の血統にしか扱えないはずの、システムを破壊する呪いの力をな。……お前が裏で細工したのかと思ったが、その間抜けなツラを見る限り、お前自身も想定外だったようだな」


 フェニクスの言葉に、ヴェイルの端正な顔が僅かに歪んだ。

「……ええ。屈辱的ですが、私の干渉ではありません。あの鈴木ケンという男は、自らの意志と……底知れぬ『泥のような受容力』で、魔王の力すらも己の器に取り込んでしまった。田中勇の『白牌』と共にね」


「フン。タナカが遺したシステムは、お前らみたいな陰湿な連中の思惑通りには動かねえってことだ。せいぜい、自分の蒔いた種(絶望)に寝首を掻かれないことだな」


 フェニクスはそれだけ言い残すと、再び炎となって虚空に消え去った。

 後に残されたヴェイルは、静かにグラスのワインを一気に飲み干した。

「……ええ。彼がどこまでこの世界を飲み込むのか、見せてもらいましょうか」


     * * *


 舞台は再び、青の国(アルカナム王国)の地下大闘技場へと戻る。


 大理石の床に設えられた特製のドンジャラ卓。

 その四方を囲む者たちが放つ闘気は、すでに致死量の濃度に達していた。


 孤軍奮闘を強いられる鈴木ケン。

 そして、彼を包囲する赤の国(カルディア王国)の最高戦力たる三人の女たち。


「さあて、オッサン。粋がって一対三ワンオアスリーなんて狂った条件を提示したんだ。後悔して泣き叫んでも、骨の髄までしゃぶってやるからな!」


 タナカ・マチが、軍服の袖を乱暴に捲り上げながら、肉食獣のような笑みを浮かべた。その太く逞しい腕には、無数の古傷と、赤の国のタナカ王家の血を引く者特有の、沸騰するような魔力が脈打っている。


「マチ叔母様。はしたないですよ。私たちはあくまで赤の国の威信を背負った使節団です。獲物をいたぶるのは勝手ですが、品位は保ちましょう」

 第一王女であり団長のタナカ・サクラが、真紅の長髪を払いながら冷たくたしなめる。しかし、その瞳の奥には、マチにも劣らない極寒の闘争心が静かに燃え上がっていた。


 そして、ケンの左手に座るもう一人。

 銀縁のメガネをかけ、手元のデータファイルを静かに閉じた知的な女性。


「……私のデータによれば、貴方の勝利確率は現在0.0001%未満です、鈴木ケン殿。無駄な抵抗は精神を摩耗させるだけですよ」


 彼女の名は、コアラ。

 赤の国使節団の戦術参謀である彼女は、ただ頭脳が明晰なだけの文官ではない。元々は赤の国のスラムで生き抜いていた孤児であり、生きるための圧倒的な『暴力』と『計算能力』を身につけていたところを、マチに拾われたのだ。

 マチは彼女のドンジャラの才能と、武術の天賦の才を高く評価し、自らの右腕として使節団に引き入れた。マチからは親愛とからかいを込めて常に「メガネ」と呼ばれているが、そのメガネの奥の瞳には、飢えた獣のような闘志がギラギラと満ちている。


「メガネの言う通りだぜ! オッサンの逃げ場はどこにもねえ!」

 マチが卓をバンッと叩いた。

「だが、手ぶらでタコ殴りにするのも面白くねえ。今回は、特別に『極上のオモチャ』を使わせてやるよ」


 マチの合図で、赤の国の従者が重厚な金属製のトランクを運んできた。

 カチャリ、とロックが外され、中から現れたのは――圧倒的な輝きと重厚感を放つ、八十三枚のドンジャラ牌だった。


「それは……」

 貴賓席から見下ろすティア・エバーグリーンが、小さく息を呑んだ。

「赤の国に住むドワーフ族が、建国以来五百年間、タナカ王家のためだけに打ち直してきた『緋緋色金ひひいろかね』の特製牌……!」


「ご名答だ、エルフの王女様!」

 マチが誇らしげに胸を張る。

「最高級の鉱石をドワーフの技術で鍛え上げた、赤の国の国宝だ。この牌はな、並の魔力や精神力を持たない奴が触れれば、その重圧に耐えきれずに指の骨が砕ける。……オッサン、てめえが偽物の裁定者なら、一巡目で手が使い物にならなくなるぜ?」


 マチの挑発に対し、ケンは無言で手を伸ばした。

 赤く輝く『戦士』の牌を一つ指でつまみ上げる。

 ズンッ、と。物理的な重量以上の、五百年の歴史と闘争の重みがケンの指先にのしかかる。常人であれば悲鳴を上げて落とすほどの負荷。

 しかし、ケンは表情一つ変えず、その牌をカチャリと卓に置いた。


「……いい牌だ。俺が倉庫で運んできたドラム缶よりは、少し軽いな」

 ケンは、黄金に輝く瞳でマチを睨み返した。

「さっさと始めろ。俺は、お前らみたいな弱者をいたぶる連中の顔を、一秒でも早く歪ませてやりたいんだよ」


 その瞬間、ケンの全身から噴き出した圧倒的な『殺意』と『覇気』。

 百勝先取の蠱毒を生き抜き、魔獣と天才を喰らい尽くした男の、本物の闘気。


「……ッ!」

 サクラ、マチ、コアラの三人は、同時に背筋に電流が走るのを感じた。

 今まで彼女たちが見てきたどんな強者とも違う。まるで、深淵の底から這い上がってきた修羅そのもの。


「……ククッ、アハハハハハ!」

 マチが、歓喜に全身を震わせた。

「いいぜ! 最高だ、オッサン! その目、その殺気! てめえはただのヒヨッコじゃねえ、極上の『餌』だ!」


 サクラもまた、薄い唇を吊り上げた。

「……ええ。どうやら、退屈せずに済みそうです」


 コアラがメガネを中指で押し上げる。

「……データ修正。対象の危険度、ランクSSへ引き上げ。全力で排除します」


 赤き獅子たちの血が、完全に沸騰した。

 それはまるで、血の滴る極上の一つのケンを囲み、誰が一番美味い部位を喰らうかと涎を垂らす、三頭の飢えた雌獅子のようであった。


「――洗牌シーパイ!」


 ジャラララララララッ!!

 緋緋色金の牌がぶつかり合う、重低音の雷鳴のような音が闘技場に轟く。


 決戦が、幕を開けた。

 第一局。先手を取ったのは、赤の国だった。


「リーチ」

 開始からわずか五巡目。サクラが、氷のような冷徹さで牌を横に曲げた。


(速い……!)

 貴賓席のティアが目を瞠る。赤の国のドンジャラは、初代タナカ・サトシから受け継がれる『攻撃的速攻型』だ。圧倒的なスピードと圧力で、相手に考える隙を与えずに押し潰す。


「遅いですよ、団長」

 しかし、そのサクラのリーチ宣言を遮るように、コアラが手牌を倒した。

「ドンジャラ。鋼の意志(黄純正)、十点」


 流れるような見事な連携。ケンの打牌をコアラが先読みし、サクラのリーチという圧力でケンに安全牌を誤認させ、そこをコアラが撃ち抜く。一対三という数の暴力が、牙を剥いた瞬間だった。


「チッ、抜け駆けしやがってメガネ! 次は私だ!」

 続く第二局。今度はマチが豪快に攻め立てる。

「ドンジャラァ! 烈火陣(赤純正)、十点だ!」


 第三局、第四局。

 赤の国の三人は、息の合った、いや、互いに競い合うような猛スピードで和了りを連発していく。

 緋緋色金の重い牌を、彼女たちはまるで羽毛のように軽々と、そして美しく操る。その手つきは洗練され、無駄がなく、見る者を圧倒する武舞のようだった。


「どうしたオッサン! 防戦一方じゃねえか!」

 マチが、自らの手牌をカチャカチャと優雅に弄りながらケンを挑発する。

「赤の国の『速攻』についてこれねえか! 私のこの流れるような手つき、見惚れてもいいんだぜ!」


 確かに、彼女たちの手つきは美しかった。

 力強く、速く、淀みがない。

 しかし――それを静かに見つめるケンの瞳には、焦りも、恐怖も、見惚れるような感情も一切浮かんでいなかった。


「……流れるような手つき、か」


 ケンは、手元の白牌(勇者)を指の腹でゆっくりと撫でながら、ポツリと呟いた。

 そして、鼻で嗤った。


「くだらねえ。そんな泥遊びみたいな手つきで、よく自慢できたな」

「……あァ?」

 マチの眉間がピクリと跳ねる。


「美しい手つきってのはな、もっと静かで、冷たくて、命のやり取りの匂いがするものだ。お前らの打牌は、ただ力任せに牌を叩きつけてるだけの、品のない暴力だ」

 ケンは、地下の蛊毒で戦ったあの男の姿を思い出していた。


「……アロンの手術ドンジャラに比べれば、お前らの手つきなんて、まるで素人の児戯だ」


 ピタリ、と。

 その名前を出した瞬間、赤の国の三人の動きが、完全に凍りついた。


「……お前、今、何て言った?」

 マチの顔から、ヘラヘラとした余裕が完全に消し飛んだ。

 その瞳孔が収縮し、闘技場の空気がビリビリと震えるほどの、本物の殺気が膨れ上がる。


 アロン。

 かつて青の国の名医でありながら、絶望の果てに狼男と化し、満月の夜に殺戮を繰り返した男。

 実は、彼が蹂躙したのは青の国だけではなかった。彼はかつて国境を越え、赤の国(カルディア王国)の辺境の街でも、強欲な領主たちを賭けドンジャラで惨殺するという事件を起こしていたのだ。

 赤の国において、アロンは国家の威信を懸けて追跡する『S級指名手配犯』だった。


「……アロンを知っているのですか、貴方は」

 サクラの声音が、絶対零度の吹雪のように冷たくなる。


「数年前、私が副団長として部隊を率いて、奴を追い詰めた」

 マチが、ギリッと奥歯を噛み鳴らして言った。

「あと一歩、あと一本指を切り落とせば首を取れるってところまで追い詰めたが……奴のあの気味の悪い『外科手術』のようなドンジャラにしてやられて、逃がしちまった。私の人生で、唯一の汚点だ」


 マチの剛腕が、怒りでミシミシと音を立てる。

「青の国に匿われてるって噂は本当だったんだな。……で? そのアロンの手つきが、私より上だって?」


「ああ。比べるのもおこがましいね」

 ケンは、挑発の笑みを深めた。

「そのアロンは、俺が昨日、地下の卓で完全に心をへし折ってやったよ。……お前らが取り逃がした化け物を、俺がな」


 ドクンッ。

 闘技場に、誰かの心臓が激しく跳ねる音が響いた。


「アロンを……このオッサンが、倒した……?」

 マチの全身の筋肉が、歓喜と興奮で異常なまでに膨張し始めた。

 ブチブチッ! と、彼女が着ていた軍服の袖が、はち切れんばかりに弾け飛ぶ。


「……ハッ。ハハハハハッ!!」

 マチの瞳が、完全に「捕食者」のそれへと変わった。

「そうかよ! あのバケモノを倒した男が、今、目の前に座ってやがるのか!!」


「……マチ叔母様。抑えてください」

 サクラが静止しようとするが、もはや遅かった。


「抑えられるかよ!! メガネ、サクラ! 手出しは無用だ!! この極上の獲物は、私が一人で喰い殺す!!」


 マチが、緋緋色金の牌を砕かんばかりの力で握りしめた。

 コアラが舌打ちをし、サクラが静かに息を吐く。赤の国の『完全な連携』という檻が、ケンの計算通りの挑発によって、内側から破壊された瞬間だった。


「さあ来い、オッサン!! アロンを倒したその力、私の骨の髄まで叩き込んでみやがれ!!」


「……望み通り、その傲慢な顔を泥に沈めてやるよ」

 ケンの黄金の瞳が、冷酷に光る。


 三頭の雌獅子の包囲網を、一頭の狂える獅子へと変えたケン。

 赤き闘将タナカ・マチとの、盤面を焼き尽くすような一対一の死闘が、今、真の幕を開けた。

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