第24話 赤き獅子の誇りと戦乙女の求婚
ジャララララララララッ!!
大理石の闘技場に、重低音の雷鳴が絶え間なく轟いていた。
赤の国の地下深くに眠る最高級鉱石『緋緋色金』を鍛え上げて作られた、タナカ王家専用の特製ドンジャラ牌。その一つ一つが、常人ならば指の骨を軋ませるほどの重量と魔力を内包している。
しかし、盤上を飛び交うその紅蓮の牌は、まるで羽毛のような軽やかさと、砲弾のような威力を伴って乱舞していた。
「ドンジャラ!! 烈火陣(赤純正)、十点!!」
「……ドンジャラ。鋼の意志(黄純正)、十点」
「ドンジャラ。……三国志(赤・青・緑)、十八点です」
怒涛。
その二文字以外に、現在の状況を表す言葉は存在しなかった。
対局開始から、まだおよそ十時間。
地下闘技場でケンが経験した「百勝先取」の蠱毒においては、十時間などほんの序の口、互いの腹を探り合う泥沼の探り合いの段階に過ぎなかった。
だが、この卓の進行速度は、常軌を完全に逸していた。
現在の勝利数。
カルディア王国第一王女、タナカ・サクラ――三十勝。
赤の国使節団副団長、タナカ・マチ――二十五勝。
戦術参謀、コアラ――十八勝。
そして、鈴木ケン――十三勝。
圧倒的な、赤の国のペースだった。
五百年前、初代裁定者である田中勇が遺した『田中流』の神髄。それは、赤の国において「一切の迷いを捨てた超攻撃的速攻型」として進化を遂げていた。
「どうしたオッサン! 防戦一方じゃねえか!!」
マチが、筋骨隆々とした太い腕から放たれる目にも留まらぬ速さで牌を叩きつけ、豪快に笑う。
彼女の打牌には、一切の小細工がない。自分が最も高く、最も速く和了れるルートを一直線に駆け抜ける、まさに重戦車のようなドンジャラ。
そのマチの荒々しい突進を、コアラが精密なデータで完璧にフォローし、敵の当たり牌を事前に封殺する。
そして、最も恐ろしいのが、団長であるサクラだ。
彼女はマチのような派手な動きは一切見せない。静かに、美しく、冷徹に。しかし、彼女の和了りのスピードはマチすらも凌駕し、すでに三十勝という圧倒的な数字を叩き出していた。日本刀による居合斬りのように、気づいた時にはすでに首が飛んでいる――そんな、底知れぬ天才のドンジャラ。
(……速い。信じられないスピードだ)
ケンは、額から流れ落ちる汗を拭う暇もなく、脳内の『物流倉庫』をフル回転させていた。
アロンや神童との戦いで研ぎ澄まされたケンの全牌記憶能力。それは今も健在であり、彼女たちが何を欲しているのか、棚卸しのデータは完璧に機能している。
だが、それでも追いつけない。
赤の国の三人は、ケンが「安全牌」を見つけ出し、陣形を整える前に、強引なまでのスピードで役を完成させてしまうのだ。
「……リーチ」
サクラが、透き通るような冷たい声で宣告する。
(またか……! まだ五巡目だぞ……!)
ケンが舌打ちをする。
「おっと、サクラ! そいつは私への差し込みだ! ドンジャラァ!!」
しかし、サクラのリーチ牌を、マチが豪快に撃ち抜く。
赤の国の三人は、決して馴れ合っているわけではない。互いが互いを高め合うように、三頭の獅子が獲物を奪い合うように、全力で卓上の覇権を争いながら、結果としてケンを圧倒的な速度の渦に巻き込んでいるのだ。
しかし――。
猛烈な嵐のような赤の国の連撃を浴びながら、ケンの胸の中には、焦りや恐怖とは全く異なる、奇妙な『違和感』が芽生え始めていた。
(……なんだ、こいつらは)
ケンは、目の前で豪快に笑うマチを、静かに牌を並べるサクラを、鋭い視線で盤面を分析するコアラを見つめた。
青の国の統治者、サミー・アルカナムは言った。
『赤の国は、武力による支配を望む野蛮な軍事国家だ』
『カナン村を襲った魔獣たちにドンジャラを仕込んだのも、奴らの仕業に違いない』と。
ケンは、その言葉を信じ、カナン村の村人たちと、無惨に殺された少女ニーナの仇を討つために、復讐の炎を燃やしてこの卓に座った。
だが。
ドンジャラという遊戯は、剣を交える以上に、その人間の『魂』の形を浮き彫りにする。
カナン村を襲ったオークキング。
奴のドンジャラは、卑劣そのものだった。村人を人質に取り、恐怖で精神を削り、理不尽な盤外戦術でケンの心を徹底的に凌辱した。それは、弱者をいたぶることに悦びを見出す、腐りきった外道のプレイングだった。
では、目の前にいる赤の国の女たちはどうだ。
彼女たちのプレイングには、圧倒的な暴力性とスピードはあるが――そこに『悪意』は微塵も存在しなかった。
『オッサン! その牌は甘いぜ! もっと死に物狂いで掛かってきな!』
『……貴方の守備力は評価します。ですが、それでは勝てませんよ』
マチの打牌は、どこまでも真っ直ぐで、裏表がない。自分の狙いを隠そうともせず、「力でねじ伏せてみろ」と正面から挑みかかってくる。
サクラの打牌は、氷のように冷酷だが、一切の卑怯な手を使わない。ただ純粋に、武の頂点を目指す求道者のような美しさがあった。
コアラもまた、徹底したデータ至上主義でありながら、相手のトラウマを抉るような盤外の心理戦は一切仕掛けてこない。
(……違う。こいつらは、オークキングのような『外道』じゃない)
ケンの中で、冷たいパズルが組み合わさっていく。
こんなにも誇り高く、真っ直ぐに武を競い合う人間たちが、本当に村人や子供を魔獣の餌にして喜ぶような真似をするだろうか。
否。絶対にあり得ない。
彼女たちのドンジャラからは、一切の『淀み』が感じられないのだ。
(だとすれば……サミーの野郎、俺に嘘を吐きやがったな)
ケンの双眸から、盲目的な復讐の炎がスッと消え去った。
代わりに宿ったのは、極限まで研ぎ澄まされた、静かで、底知れぬ氷のような洞察力。
青の国の思惑。自分が何かの巨大な謀略の駒として扱われている事実。それに気づいた瞬間、ケンの脳内に渦巻いていた「怒りによるノイズ」が完全にクリアになった。
「……おいおい、どうしたオッサン。ついに心が折れちまったか?」
マチが、ケンの纏う空気が急変したことに気づき、眉をひそめた。
「なんだか、急に面白みのねえツラになりやがって。アロンを倒したってのは、やっぱりただのフロックだったのか?」
「……違うさ」
ケンは、ゆっくりと息を吐き出しながら、自らの手牌に視線を落とした。
「俺はただ……お前らみたいな『本物のバカ』を相手に、勘違いしてムキになってた自分が、少し可笑しくなっただけだ」
「バカだとォ!?」
マチの額に青筋が浮かぶ。
「ああ、ドンジャラバカだ。お前らの牌には、裏表がなさすぎる。……だから、読みやすいんだよ」
ケンの手が、吸い込まれるように山の牌へと伸びる。
その瞬間だった。
ケンが引き入れた牌を見たマチの顔が、ギリッと険しく歪んだ。
「……またか。また、てめえのところに『ソレ』が行きやがったのか」
ケンの手牌の右端に鎮座したもの。
それは、漆黒の学生服を着た少年の絵柄――『白牌(勇者)』。
五百年前に世界を救った初代裁定者、田中勇を象った万能のジョーカーである。
「どういう理屈だ……! 私たち赤の国は、タナカ・イサム様の直系の血を引く一族だぞ! だが、この対局が始まってから十時間、私の手元には一度たりともあの『白牌』が来たことがねえ! それなのに……なんで、赤の他人であるお前のところにばかり、イサム様の牌が集まるんだ!!」
マチが、嫉妬と苛立ちを隠さずに吠えた。
無理もない。王家の誇りであるはずの『勇者牌』が、自分たちを完全に見放し、目の前の冴えない中年男にばかり加護を与えているのだから。
「さあな。案外、初代様はお前らみたいな暑苦しい筋肉女が嫌いだったんじゃないか?」
「なンだとコラァ!!」
ケンはマチを軽くあしらいながら、自らの手牌を完璧な形へと組み上げた。
(……俺にはわかるぜ。田中勇)
ケンは、白牌を指の腹で優しく撫でた。
この牌が自分に集まる理由。それは、血統などという陳腐なものではない。
田中勇が五百年前に抱いた『世界を救いきれなかった後悔』。そして、ケンが抱える『村人を救えなかった後悔』。その二つの魂の形が、あまりにも似通っているからだ。
ケンは、光も闇も、すべてを等しく受け入れる。だからこそ、システムに干渉する特異点として、この牌に愛されているのだ。
「……悪いな、マチ。ここからは、俺の『棚卸し』の時間だ」
ケンの打牌のテンポが、急激に変化した。
今まで防戦一方で後手に回っていたケンが、突如として赤の国の三人に牙を剥いたのだ。
「リーチ」
マチのリーチ宣言。
今までなら、ケンは安全牌を探して逃げ回っていた。しかし。
「――ドンジャラ」
マチが牌を捨てるよりも速く、ケンが手牌を倒した。
「勇者の翼(白牌・不死鳥・緑)、三十点」
「な……ッ!?」
マチが目を剥く。ケンは、マチが「絶対に安全だ」と信じて疑わなかった筋の牌を、万能の『白牌』を絡めることで強引に当たり牌へと変換し、直撃を奪い取ったのだ。
「チッ、まぐれ当たりが……! 次だ!」
マチが吼え、さらにスピードを上げる。
しかし。
「……ドンジャラ。三家の誓い(赤・青・緑・白牌)、三十五点」
「……ドンジャラだ。アルカナ再臨(白牌含む)、四十五点」
「……ドンジャラ。天律の完成(白牌・黒牌含む)、六十点」
三連続。
いや、先ほどの和了りを含めれば、怒涛の『四連続ドンジャラ』。
闘技場が、水を打ったように静まり返った。
サクラの表情から余裕が消え去り、コアラは信じられないものを見るようにメガネの奥で目を丸くしている。
それは、まさに神業だった。
赤の国の圧倒的な『速攻』に対して、ケンは『スピード』で対抗したのではない。
彼女たちの思考の癖、欲している牌、そして山の偏り。それらすべてを「物流倉庫の棚卸し」の如く完全に把握した上で、手元に舞い降りる『白牌』の万能性を掛け合わせる。
相手の攻撃の「起こり」を完全に読み切り、最も致命的なカウンターを、最も高い打点で叩き込む。
アロンの精密な戦術眼と、神童の計算能力。地下の蠱毒で喰らい尽くした彼らの才能が、ケンの三十九年間の経験と融合し、この卓上で完全な花を咲かせていたのだ。
ケンの勝利数、一気に十七勝。
点数計算において、赤の国の三人の持ち点がゴッソリと削り取られる。
「……ウソ、だろ」
その時。
ケンの正面に座るマチの様子が、明らかにおかしくなっていた。
バンッ、バンッ! と卓を叩いていた彼女の剛腕は、今は微かに震えている。
浅黒い健康的な肌は、首筋から耳の先まで、まるで熱病にでも冒されたように朱に染まっていた。
大きく開かれた胸元からは、滝のような汗が流れ落ち、荒い呼吸のたびに平ではあるが鍛え上げられた胸が激しく上下している。
「……はぁ……はぁ……ッ」
マチの口から、熱を帯びた、ひどく艶めかしい吐息が漏れた。
「……マチ叔母様?」
サクラが、異変を感じて眉をひそめる。
「……あ、あァ……ッ。なんだよ、これ……」
マチは、自分の両手で、熱く火照った頬を包み込んだ。
その瞳は、今までの荒々しい武闘派のそれではない。まるで、初恋を知ったばかりの少女のように、いや、それ以上に……極限の快感に打ち震える、メスの顔になっていた。
彼女は、タナカ王家の最高戦力として、長年無敗を誇ってきた。
力でも、ドンジャラでも、彼女をねじ伏せることができる男など、この世界にはサトシ以外に存在しなかった。
彼女はずっと「飢えて」いたのだ。
自分の全力を、正面から、圧倒的な力で粉砕してくれる『真の強者』の存在に。
そして今。
目の前にいる冴えない中年男は、自分が手も足も出ないほどの神業で、四連続のカウンターを顔面に叩き込んできた。
圧倒的な敗北感。
自分より遥かに強い力に、為す術もなく蹂躙されるという、生まれて初めて味わう『圧倒的な被支配の感覚』。
それが、生粋の戦闘狂であるマチの脳内麻薬を爆発させ、一種の『絶頂』へと到達させてしまったのだ。
「……あ、はぁっ……! すげえ……すげえよ、アンタ……!!」
マチは、恍惚とした表情で、ガタガタと震える足で立ち上がった。
そして、獲物を狙う肉食獣のように、いや、熱烈な恋心を抱いた乙女のように、潤んだ瞳でケンを真っ直ぐに見つめた。
「オッサン! いや、ケン……!! アンタ、最高にイカしてるぜ!!」
「……は?」
ケンは、突然様子がおかしくなった筋肉女を前に、ドン引きして固まった。
「決めた! 私、決めたぜ!!」
マチは、闘技場に響き渡る大声で、とんでもない爆弾発言を投下した。
「私がこの百勝戦で勝ったら! その権利で、アンタを私の『婿』に迎える!! 赤の国に来て、私と結婚して、毎晩毎晩、骨の髄までアンタのドンジャラを堪能させてもらうぜ!!」
シィィィィン……。
大闘技場に、痛いほどの沈黙が落ちた。
「…………は?」
ケンは、口をポカンと開けたまま、手元の白牌を落としそうになった。
「マ……マチ叔母様!! 貴女、一体何を血迷っているのですか!?」
常に冷静沈着な氷の王女サクラが、かつてないほど取り乱し、こめかみを押さえて叫んだ。
「私たちは公式の使節団ですよ!? 敵国の裁定者を個人的な性癖で婿にするなど、父上が許すはずがありません!! 第一、歳の差も……いや、それはギリギリ同世代ですが! とにかく破廉恥にもほどがあります!!」
「……データ更新」
コアラが、死んだ魚のような目で、手元のファイルをパラパラと捲った。
「副団長の脳細胞が、極度の敗北感と発情により完全に溶解しました。正気度、ゼロパーセント。……もうダメです、この人。完全にメスの顔になってます」
「うるせえ! 王家の血を引く私が、自分より強い男を種馬……いや、伴侶に選んで何が悪い!!」
マチはサクラとコアラの制止を完全に無視し、ギラギラと燃える瞳でケンを見つめた。
「聞け、ケン! 私はマジだぜ! 今まではただのゲームだったが、ここからは私の一生を懸けた『婚活ドンジャラ』だ! 死に物狂いで私を抱き潰しに来い!!」
「……誰が抱き潰すか、この脳筋ゴリラ!!」
ケンは、恐怖と混乱がないまぜになった声で叫び返した。
(なんだこの展開!? 復讐の弔い合戦だったはずが、なんで四十代の筋肉女から貞操を狙われるサバイバルゲームになってんだよ!!)
青の国の謀略に気づき、静かなる怒りに燃えていたケンのクールな心境は、マチの暴走によって完全にぶち壊された。
だが、事態は最悪な方向に転がり始めていた。
「……いいでしょう」
サクラが、深い溜息と共に、スッと目を細めたのだ。
「叔母様がそこまで惚れ込んだ男。……次期国王である私が、味見もせずに譲るわけにはいきませんね。この男の身柄、赤の国へ持ち帰るための『最高の供物』として、私も全力で狩りに参加させていただきます」
「……私も、興味が湧きました。私のデータバンクに、貴方の遺伝子情報を刻み込んでみたい衝動に駆られています」
コアラまでもが、メガネを光らせながら危険な発言を口にする。
「お、おい……お前ら、冗談だろ……?」
ケンは、冷や汗をダラダラと流しながら、三人の女たちを見回した。
先ほどまでの「誇り高き武人」の顔はどこへやら。
今の彼女たちは、極上の獲物を如何にして自分のモノにするかという、剥き出しの「メスの欲望」に支配された、文字通りの『飢えた猛獣』へと変貌していたのだ。
「行くぜ、マイハニー!! 愛の烈火陣だァァァッ!!」
「戯れはここまでです。全開で参りますよ」
「データ解析完了。捕獲プロセスに移行します」
赤き三頭の雌獅子による、文字通りの『肉食系ハーレム包囲網』。
鈴木ケン、四十歳。
青の国の地下蠱毒を生き抜いた男を待っていたのは、別の意味で命と貞操を懸けた、最高に理不尽で狂った天律戦の始まりであった。




