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第22話 赤き獅子達の襲来

緑の国(エバーグリーン王国)、樹都エルダナ。

 天を衝くほどに巨大な世界樹『イグドラ』の枝葉の上に築かれたこの美しい都市の最上層で、緑の国王女であり世界樹の巫女でもあるティア・エバーグリーンは、琥珀色の瞳を険しく細めていた。


「……情報に間違いはないのね、フロラ」


 吹き抜ける風が、彼女の深緑の長髪を揺らす。

 ティアの背後に片膝をついているのは、緑の国使節団の戦術参謀であり、情報収集の達人であるエルフのフロラだった。


「はい、ティア様。青の国(アルカナム王国)の王宮深部に潜ませていたスパイからの急報です。赤の国(カルディア王国)と青の国の間で、公式な『取引戦(賭けドンジャラ)』が成立しました。……そして、赤の国が提示した賭けの対象は……鈴木ケン殿の身柄です」


 ピキッ、と。

 ティアが握りしめていた木製のティーカップに亀裂が入り、温かい紅茶がテーブルにこぼれ落ちた。


「サミー・アルカナム……あの食えない狐女。ついに本性を現したわね」


 ティアの脳裏に、五百年前の記憶が蘇る。

 この世界に召喚され、圧倒的な強さと優しさで世界を救った少年、田中勇。彼が死の間際に残した「次に来る者の味方になれ」という言葉。

 五百年の孤独を耐え抜き、ようやく見つけ出した田中の後継者であるケンを、青の国は自らの野望のための「最強の駒」として利用しようとしているのだ。


「赤の国がケンの身柄を要求した……表向きは、初代英雄であるタナカ様の血を引く赤の国こそが、新たな裁定者を庇護するにふさわしいという大義名分でしょうね。でも、サミーがそれをやすやすと受けるはずがない。彼女はケンを『蠱毒』に放り込んで鍛え上げ、赤の国の刺客を返り討ちにするつもりよ」


「いかがなさいますか、ティア様。このままでは、ケン殿は青と赤の権力闘争の道具として、心をすり減らすことになります」


 フロラの懸念に、ティアは静かに立ち上がった。

 その琥珀色の瞳には、五百年の戦いを生き抜いてきたエルフの王族としての、静かで冷烈な覚悟が宿っていた。


「……見過ごすわけにはいかないわ。田中君が残した希望を、人間の小競り合いで潰させるものですか」

 ティアは、エルフの伝統的な礼装である純白の外套を翻した。

「青の国へ向かうわよ。四国協定に基づき、私、ティア・エバーグリーンがこの取引戦の『見届け人』として同席することをサミーに通達なさい。緑の国が公式に監視の目を光らせているとわかれば、サミーも盤外での卑劣な真似はできないはずよ」


「御意に」

 フロラが風のように姿を消す。

 ティアは遥か彼方、青の国がある方角を見つめながら、小さく呟いた。


「……ケン。どうか、彼らの毒に呑まれないで。あなたは、あなたのドンジャラを打てばいいのだから」


     * * *


 青の国(アルカナム王国)、魔都エルシオン。

 王立図書館の最深部に設けられた、公式取引戦用の大闘技場。

 そこは、先日までケンが血みどろの百勝戦を繰り広げていた地下牢とは打って変わり、大理石と豪奢なシャンデリアで彩られた、国の威信を懸けた豪奢な空間だった。


 しかし、その優雅な空間は今、足を踏み入れた者たちが放つ圧倒的な『覇気』によって、空気がひび割れんばかりの重圧に支配されていた。


「ガァッハッハッハッ!! なんだぁこの闘技場は! 青の国の連中は、ドンジャラを貴族のお茶会か何かと勘違いしてんじゃねえのか!?」


 シャンデリアを揺らすほどの豪快な笑い声と共に現れたのは、燃えるような短い赤髪を持つ女性だった。

 軍服を乱雑に着崩した彼女の肉体は、服の上からでもはっきりとわかるほどに筋骨隆々。丸太のように太い腕と、しなやかな豹を思わせる体躯。彼女が一歩踏み出すたびに、大理石の床が悲鳴を上げているかのようだ。


「相変わらず魔力ばかりで血の匂いがしねえ国だ! こんな場所じゃあ、闘争心エンジンがかからねえぜ!」

 バンッ! と、彼女が隣を歩く青の国の案内役の背中を叩くと、案内役は数メートル先まで吹き飛び、白目を剥いて気絶した。


「……マチ様。あまり他国の文官を苛めないでください。我々はあくまで公式な使節団として招かれているのですから」


 呆れたようにため息をついたのは、彼女の後ろを歩く、知的な銀縁メガネをかけた女性だった。

 彼女の身のこなしは静かで隙がなく、手元には分厚いデータファイルが抱えられている。以前、緑の国へ表敬訪問に赴いた際、その卓越した情報収集能力でティアたちを警戒させた、赤の国の優秀な戦術参謀である。


「堅いこと言うなよ、メガネ! 私は血がたぎって仕方ねえんだ! なにせ、あのサトシの兄貴がべた褒めしていた『五百年ぶりの裁定者』と卓を囲めるかもしれないんだからな!」


 タナカ・マチ。

 赤の国の現国王、タナカ・サトシの実の妹であり、王家の濃い血を継ぐ生粋の闘将。

 年齢は四十代に突入しているが、その肉体と闘争心は未だ第一線のバリバリであり、現在も赤の国使節団の副団長を務めている。未婚であることを度々部下にいじられるが、その度に「私よりドンジャラが強くて、私より腕力のある男がいねえのが悪い!」と笑い飛ばす豪傑だ。


 だが――そんな豪快なマチでさえも、一歩後ろに退いて道を譲る存在が、そこにはいた。


「……静かにしなさい、マチ叔母様。青の国の魔術師たちに、我が国の品位を疑われますよ」


 凛とした、しかし絶対的な冷気を伴った声。

 赤き獅子たちを従えて現れたのは、腰まで届く見事な真紅の長髪を揺らす、一人の若い女性だった。


「……ッ」

 迎えに出た青の国の文官たちが、彼女の姿を見た瞬間、本能的な恐怖で息を呑み、後ずさった。


 タナカ・サクラ。

 カルディア王国第一王女であり、使節団団長。そして、次期国王。

 彼女が纏うオーラは、豪快なマチや、直感型の父サトシとは全く異なっていた。静謐でありながら、触れれば一瞬で首を刎ねられそうな、極限まで研ぎ澄まされた日本刀のような鋭さ。

 彼女こそは、現在の赤の国において「タナカ・サトシすらも凌駕する」と噂される、田中勇以来の最高傑作のドンジャラ打ちであった。


「……出迎えご苦労様です、サミー・アルカナム殿」

 サクラは、正面に待ち構えていた青の国の統治者サミーを見据え、薄い唇を動かした。

「我がカルディア王国は、約定通りこの地に推参しました。さあ、見せていただきましょうか。貴女たちが隠し持っているという、新たな裁定者の顔を」


「ええ、歓迎いたしますよ。カルディアの猛き獅子の皆様」

 サミーは扇で口元を隠し、妖艶に微笑んだ。

「我が国が鍛え上げた『最高の傑作』……どうぞ、存分に味わってやってください」


 サミーが扇を振るうと、闘技場の奥、重厚な金属の扉が低い地鳴りを立てて開いた。


     * * *


 コツ、コツ、コツ。

 静かな足音が、闘技場に響き渡る。


 現れたのは、仕立ての良い黒のスーツを身に纏った、一人の東洋人の男だった。

 年齢は四十手前。その顔立ちには疲労の影が残っているが、男が纏う空気は、以前の彼とは決定的に違っていた。


「……ほう?」

 マチが、品定めをするように目を細める。

「細身で冴えねえオッサンかと思いきや……いい目をしてやがる。それに、なんだあの気味の悪いプレッシャーは……」


 鈴木ケン。

 百勝先取という蠱毒を生き抜き、勇者(白牌)と魔王(黒牌)の相反する力を己の器に調和させた男。

 彼の背後には、神聖な後光と、底なしの泥沼のような闇が、マーブル状に混ざり合って揺らめいているように見えた。


 だが、ケンの瞳に宿っていたのは、強者の余裕などではない。

 極寒の氷のごとき、冷たく研ぎ澄まされた『殺意』だった。


(こいつらが……赤の国。カナン村を襲った魔獣たちを裏で操り、平和な村を地獄に変えたクソ野郎どもか……)


 サミーの巧みな嘘によって、ケンの脳内では『赤の国=村人を虐殺した元凶』という図式が完全に出来上がっていた。

 ケンにとって、この取引戦はただのゲームではない。

 あの日、雨の中で理不尽に命を奪われたニーナたち、カナン村の村人たちの『弔い合戦』なのだ。


「……お前が、タナカ・サトシの娘か」

 ケンは、団長であるサクラを真っ直ぐに睨みつけた。


「いかにも。カルディア王国第一王女、タナカ・サクラ。そしてこちらが副団長のマチと、参謀です。貴方が鈴木ケン殿ですね。父から話は聞いていますが……その殺気、まるで親の仇でも見るような目ですね。我々に何か恨みでも?」

 サクラが、涼しい顔で問い返す。


「白々しい。お前らが裏で何をやっているか、俺は知ってるんだよ」

 ケンは低い声で吐き捨てた。

「俺は、お前らみたいな『強い力を持った奴らが、弱い人間をゲームの駒みたいに扱うこと』が、この世で一番嫌いなんだ。……だから、ここで終わらせてやる」


 ケンは、闘技場の中央に用意された四人掛けのドンジャラ卓へと歩み寄り、乱暴に椅子を引き寄せた。


「おい、サミー」

 ケンが振り返らずに声を掛ける。

「ルールは、この卓で一番勝った奴が決定権を持つ、、でいいんだな?」


「ええ。ですがケン殿、取引戦は通常、青の国から貴方を含めた代表者を選出し、赤の国と――」


「いらねえよ」

 ケンは、サミーの言葉を冷酷に遮った。


「チーム戦なんざ、まだるっこしい真似はしねえ。青の国のサポートもいらない。……赤の国の女三人。お前ら全員、俺が一人で相手してやる。まとめてかかってこい」


 その宣言に、場が静まり返った。

 一対三。

 ドンジャラという四人で行うゲームにおいて、三人が同じ国の人間チームであり、残る一人が孤立しているという状況は、圧倒的という言葉すら生ぬるいほどの『死地』である。

 三人が結託して差し込み合い、あるいは一人の当たり牌を完全に絞り取る。そんなことは造作もなく行える。物理的に勝率がゼロに等しい、自殺行為だ。


「……正気ですか、ケン殿」

 メガネの参謀が、眉をひそめてメガネのブリッジを押し上げた。

「我が国を舐めるのも大概にしてください。私たち三人が協力すれば、貴方は一度も牌を上がることなく、持ち点を削り尽くされて終わりますよ」


 しかし、その静寂と呆れを打ち破ったのは、腹の底から響くような爆笑だった。


「ガァーーーーッハッハッハッハッ!!」


 タナカ・マチが、腹を抱えて大笑いし始めたのだ。

 彼女は目尻に涙を浮かべながら、バンバンと自分の太ももを叩いている。


「最高だ! 最高じゃねえか、四十路のオッサン! まさか自分から一対三ワンオアスリーを申し出てくるとはな!」

 マチはニヤリと肉食獣のような笑みを浮かべ、ケンの正面の椅子にドカッと腰を下ろした。


「男一人に、女が三人! こりゃあ随分と羨ましい『ハーレム』じゃねえか! ええ!? なあメガネ!」

「……マチ様、不謹慎です。それに、彼は我々を敵視しています」

「いいんだよ! 男は少しぐらい反抗的な方が、ねじ伏せがいがあるってもんだ! 私はずっと独り身で退屈してたんだ。久々に、このオッサンの骨の髄までしゃぶり尽くして、赤の国の恐ろしさを教えてやろうぜ!」


 マチの言葉は下品極まりなかったが、そこから放たれる闘気は本物だった。

 彼女の周りの魔素が赤黒く変色し、熱風となって周囲に吹き荒れる。これが、最前線で闘い続けてきた赤の国の武闘派のプレッシャー。


「……仕方ありませんね。貴方がそれを望むのなら、絶望をもって応えてあげましょう」

 メガネの参謀がため息をつき、ケンの左手の椅子に座る。


「……驕りか、それとも無知か。どちらにせよ、貴方のその憎悪ごと、我がカルディアの剣で断ち切って差し上げます」

 最後に、サクラが静かにケンの右手の椅子に座った。


 鈴木ケン。

 タナカ・サクラ。

 タナカ・マチ。

 青の参謀。


 赤の国の最高戦力三人を相手に、孤独な男が一人。

 盤面は完全に包囲されている。しかし、ケンの黄金の瞳は微塵も揺らぐことはなかった。

 その手元には、見えざる『勇者』と『魔王』の加護が、嵐の前の静けさのように沈黙を保っている。


「――待ちなさい」


 いよいよ洗牌が始まろうとしたその瞬間。

 闘技場の高い天井から、透き通るような美しい声が降り注いだ。


 全員が声の方向を見上げる。

 最上階の貴賓席。そこには、純白の外套を纏ったエルフの王女――ティア・エバーグリーンが、静かに見下ろしていた。


「……ティア・エバーグリーン。なぜ貴女がここに?」

 サクラが鋭い視線を向ける。


「四国協定第三項に基づく、正当な権利よ。私は緑の国の代表として、この取引戦の『見届け人』を務めさせてもらうわ」

 ティアは、手すりに手をかけ、悲しげな琥珀色の瞳でケンを見つめた。


(ケン……。あなたのその目は、五百年前に田中君がこの世界を憎んでいた時と同じ目よ。……サミーに、何を吹き込まれたの?)


 ティアは、ケンの心が憎悪に塗りつぶされていることを瞬時に見抜いていた。

 しかし、盤上の戦いに彼女が干渉することはできない。彼女にできるのは、この戦いが「正当なドンジャラ」として行われるよう監視することだけだ。


「サミー・アルカナム。緑の国は、この戦いの結末を最後まで見届けます。盤外の不正は一切許さないわ」

 ティアの牽制に、サミーは扇で顔を隠し、「ええ、もちろんですわ」とほくそ笑んだ。


「さあ、役者は揃いました。始めましょうか」


 サミーの合図と共に、四人の手が卓上の牌へと伸びる。

 赤き獅子たちの圧倒的な連携と武力。

 そして、復讐の炎に燃える、白と黒を統べる裁定者。


 見届け人のエルフが静かに祈りを捧げる中、各国の思惑が交錯する最凶の『ハーレム戦』が、今、静かに幕を開けた。

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