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第15話 地下百勝線と悪魔達の宴


青の国の王立図書館の隠し部屋で、鈴木ケンは三日三晩、一睡もせずに『田中の日記』を読み耽っていた。

そこに書かれていたのは、世界を救った英雄の輝かしい記録ではない。平和なルールを作ったことで、逆に「才能を持たない弱者」が合法的に搾取される世界を生み出してしまったという、後悔と懺悔の言葉ばかりだった。

(……同じだ。俺が弱かったから、村の人たちは食われたんだ)

ケンの脳裏に、カナン村で魔獣に蹂躙されていく村人たちの悲鳴がフラッシュバックする。

この狂った世界で、ただ同情するだけの無力な大人は、罪でしかない。

四日目の朝、ケンは部屋を出て、サミー・アルカナムの執務室を訪れた。

「……強くなりたい」

血走った目で、泥だらけの服のまま、ケンは深く頭を下げた。

「俺には才能がない。でも、あんな理不尽な悲劇を……二度と見たくない。俺を、天律戦で勝てるように鍛えてくれ」

サミーは扇で口元を隠し、冷たく細めた目でケンを見下ろした。

「絶望に潰されず、足掻く道を選びましたか。よろしい。ついて来なさい」

サミーに案内されたのは、王立図書館のさらに奥深く。巨大な魔法陣のエレベーターで下った先にある、薄暗い地下最下層だった。

そこは、鉄格子と分厚い魔法障壁で囲まれた、巨大な地下牢兼・闘技場。

重苦しい空気の中には、むせ返るような血の匂いと、どす黒い殺気が充満していた。

「ここは、青の国が捕縛した極悪人たちを収容する地下特別監房。ドンジャラのルールを悪用して殺戮と搾取を繰り返してきた大悪党十名と……オークキングすら凌駕する知能と力を持った『ハイオーク』などの魔獣五体が収容されています」

「ま、魔獣も……!?」

カナン村の記憶が蘇り、ケンの肩がビクッと跳ねる。

「貴方を含めた十六名を、四つの卓に分けます。ルールは『百勝先取』」

サミーの言葉に、ケンは耳を疑った。

「ひゃ、百勝……!? ドンジャラで、百回上がるまでやるってことか!?」

「ええ。これが、世界の命運を決める『天律戦』の正式ルールです。才能や運だけでは決まらない。三日、四日、あるいは一週間……眠ることも許されず、極限まで体力と精神力を削り合う、狂気の耐久戦。最後まで卓に座り続け、思考を止めなかった者だけが勝つ。それが天律戦です」

サミーが鉄格子を開け放つと、四つの卓に凶悪な顔ぶれが揃い始めた。

「各グループの勝者四名で最終戦を行います。さあ、貴方の卓はあそこです」

ケンが座らされた卓には、見るからにマトモではない三人の男が待ち構えていた。

「ヒヒッ……こいつが新しい裁定者サマか。随分と美味そうな肉をしてるじゃねえか」

対面に座る男は、全身に返り血のような刺青を入れた『バーサーカー』。彼が牌を叩きつけるたびに、卓がミシミシと悲鳴を上げる。

「まあ待てよ。肉を喰う前に、身ぐるみ全部剥がして奴隷市場に売っぱらうのが先だろ?」

右に座るのは、豪奢な服を着崩した『奴隷商人』。合法的なドンジャラで数多の人間を借金漬けにし、売り飛ばしてきた男だ。

「おいおい、俺の獲物を横取りすんじゃねえよ。こいつの持ってる『裁定者の権利』……高く売れそうだぜ」

左に座るのは、目つきの鋭い『大盗賊』。盤外のブラフや視線誘導を息をするように行う、心理戦の化物だ。

(こいつら……路地裏のチンピラとは次元が違う。全員が、人間の皮を被った魔物だ)

「――洗牌シーパイ

ゲームが始まった。

序盤から、卓は異常な空気に包まれていた。

大盗賊が露骨な視線でケンの手牌を覗き込み、バーサーカーが殺気を込めた打牌で威圧する。そして奴隷商人が、ねっとりとした声でケンの過去をえぐる。

「聞いたぜぇ、緑の国の村で、魔獣に村人を食わせたらしいなァ? お前が弱かったせいでよォ!」

「っ……!」

「お前が今切ろうとしてるその牌……当たりだぜ? また誰かが死ぬぞォ?」

ケンの指が、激しく震えた。

カナン村でのトラウマがフラッシュバックする。自分が当たり牌を捨てるたびに、誰かの命が失われるという強迫観念。

相手の顔色を読もうとすればするほど、彼らが発するドス黒い悪意に呑み込まれ、ケンの手牌はバラバラに崩れていく。

「ドンジャラ!」

「ドンジャラだ、オラァ!!」

一勝、二勝、十勝。

悪党たちが次々と上がりを重ねていく中、ケンは一度も上がれないまま、ただ持ち点を削られ続けていた。

十時間が経過し、ケンの体力も気力も限界に近づいていた。

(ダメだ……読めない。顔色を見たら、食われる……)

その時、緑の国の城でティアに言われた言葉が、ケンの脳裏に蘇った。

『あなたは相手の顔色ばかりを窺って、自分の盤面から逃げているわ』

そして、フェニクスの言葉。

『凡人には凡人の、狂った戦い方がある。すべてを記憶しろ』

ケンは、深く、長く息を吐いた。

そして――相手の顔を見るのを、やめた。

(顔は見ない。声も聞かない。俺が見るのは、卓の上の八十三枚の牌だけだ)

大盗賊のブラフも、バーサーカーの殺気も、奴隷商人の挑発も、すべてシャットアウトする。

そして、泥臭い作業を始めた。

相手が「いつ」「どの牌を」捨てたか。

山に何枚の牌が残っているか。

確率的に、最も安全な牌はどれか。

「赤の戦士が二枚、青の僧侶が三枚出た……」

ブツブツと呟きながら、ケンは頭の中に巨大な物流倉庫の棚をイメージした。

一つ一つの棚に、捨てられた牌の情報を正確にしまっていく。

どんなに疲労していても、倉庫の棚卸しなら三十年間やってきた。

三十時間が経過した頃。

悪党たちの動きが、わずかに鈍り始めていた。彼らも人間だ。徹夜のドンジャラで集中力が切れ始めている。

しかし、ケンだけは違った。彼の目は血走り、頬はこけていたが、その瞳孔は異常なほど開かれ、盤面を凝視し続けていた。

「……リーチだァ、オラ!」

バーサーカーが叩きつけた牌を見て、ケンは脳内の引き出しを開けた。

(奴隷商人が三巡前に『緑の踊り子』を手出しした。大盗賊は『黄の騎士』を抱えている。そしてバーサーカーの待ちの確率は……)

極限の疲労とプレッシャーの中、ケンの脳髄が焼き切れるような熱を帯びる。

「……そこだ」

ケンが静かに『黒の魔術師』を河に置いた瞬間、バーサーカーが舌打ちをした。完全に当たり牌を回避されたのだ。

そして次の一巡。

「……ドンジャラ」

かすれた、しかし確かな声が、地下闘技場に響いた。

ケンが手牌を倒す。

「連撃、戦士揃い」

対局開始から三十五時間。

鈴木ケンが、悪党たちの卓で初めてもぎ取った一勝だった。

指の震えは、もう止まっていた。

トラウマを乗り越え、三十九歳の男が「狂気の記憶力システム」へと覚醒した瞬間だった。

(あと、九十九勝……!)

男の本当の戦いは、ここから始まる。

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