表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

第16話 蠱毒の卓と狂気


「……ドンジャラ。連撃、戦士揃い」

鈴木ケンの静かな発声が、血と汗の臭いが充満する地下闘技場に響いた。

対局開始から三十五時間。百勝先取という狂気のルールの下、ケンがようやくもぎ取った初勝利だった。

「チッ……! まぐれ当たりしやがって、調子に乗んじゃねえぞオッサン!」

バーサーカーが苛立ちに任せて卓を殴りつける。

奴隷商人と大盗賊も、忌々しそうに舌打ちをした。彼らの目には、先程までのような「怯える獲物カモを甚振る余裕」は消え失せていた。

「ヒヒッ……まあいい。まだたったの一勝だ。俺たちはもう三十勝以上してんだからな」

奴隷商人が、歪んだ笑みを浮かべて洗牌シーパイを始める。

「それにしても、あのサミーってババアも悪趣味だよなァ。この十六人の中で、ここから出られるのはたった一人だけ。残りの十五人は……この地下で飢え死にするまで卓に縛り付けられるんだからなァ」

その言葉に、牌を並べていたケンの手がピタリと止まった。

「……なんだと?」

ケンは血走った目で、奴隷商人を睨みつけた。

「一人しか、出られない……? 負けたら、死ぬまでここから出られないのか!?」

「アァ? お前、聞いてなかったのかよ」

大盗賊が嘲笑う。

「そうだぜ。ここは『蠱毒こどく』の壺だ。一番強い毒虫一匹だけを残して、あとは全部殺し合わせる。お前もその毒虫の一匹として放り込まれたってわけだ」

ドンジャラのルールを利用して人を陥れてきた極悪人たち。そして人間を食らう魔獣たち。彼らにとってこの戦いは、文字通りの『死闘』だったのだ。

だからこそ、彼らの打牌には、一牌ごとに自分の命を削るような執念と狂気が宿っている。

(負けたら、死ぬ……!)

カナン村での記憶が、再びケンの脳裏を掠める。

手が震えそうになる。だが、ケンは自分の太ももを力一杯つねって、その震えを無理やり止めた。

(顔を見るな。声を聞くな。相手が誰だろうが、命が懸かっていようが関係ない。俺が見るのは……卓の上の八十三枚の牌だけだ!)

ケンは再び、脳内に巨大な『物流倉庫』を構築した。

赤の属性はA棚へ。青の属性はB棚へ。

誰がどの牌を捨てたか、山に何が残っているか。それを一切の感情を交えず、ただひたすらに記憶し、整理し、棚卸しをしていく。

そこから先は、地獄のような泥仕合だった。

五十時間が経過し、七十時間が経過した。

不眠不休の戦いは、人間の精神を容赦なく削り取っていく。

「があああっ!! リーチだ、リーチ!! さっさと振り込めやァ!!」

バーサーカーが、よだれを垂らしながら絶叫する。彼の瞳孔は開ききり、思考は完全に停止していた。ただ本能のままに牌を叩きつけるだけの機械と化している。

「ヒッ、ヒヒ……! 俺の勝ちだ、俺がここから出るんだ……!」

奴隷商人も、幻覚を見ているのか、虚空に向かってブツブツと呟きながら牌を弄っている。

疲労によって極悪人たちの「心理戦」や「ブラフ」は完全に機能しなくなっていた。彼らの手牌は透け透けになり、危険牌を処理する思考力も残っていない。

だが、ケンだけは違った。

彼の目は虚ろに濁り、頬はげっそりとこけ落ちていたが、その手は機械のように正確に、最も安全な牌を切り出し続けていた。

「……ドンジャラ。魔術師揃い」

「……ドンジャラ。三色同盟」

四十三勝、五十八勝、七十二勝。

ケンは、自壊していく悪党たちから、淡々と、しかし確実に勝ち星を毟り取っていく。

物流倉庫での三十九年間。思考を殺し、ただ目の前の作業を淡々とこなし続ける「耐える力」。それこそが、この狂気の耐久戦において最大の武器となっていた。

     * * *

その狂宴の様子を、王立図書館の最深部にある執務室から、サミー・アルカナムは水晶玉越しに冷徹に見下ろしていた。

「素晴らしいですね……。これほどまでに、美しく醜い泥仕合は見たことがない」

サミーは扇で口元を隠しながら、恍惚としたため息を漏らした。

「サミー様。鈴木ケンの勝数が九十を超えました。大盗賊の八十八勝を抜き、現在トップです」

傍らに立つ第一使節団副団長のベガが、手元の書類に目を落としながら報告する。

「まさか、あの凡人がここまで耐え抜くとはな」

腕を組んだ団長のシリウスが、モノクルの奥で目を細めた。

「だが、あの打ち方は異常だ。相手の心理を読むことを完全に放棄し、ただ盤面の情報だけを記憶し続けている。あんな真似を続ければ、遠からず脳が焼き切れるぞ」

「それで構いません」

サミーは冷たく言い放った。

「タナカ様が遺した日記を読んだ彼は、自分の無力さと、この世界の理不尽さに絶望している。その絶望の底で、極限の死闘(蠱毒)を味わわせる。……人間は、限界を超えた時にこそ、その本質(才能)を開花させるのですから」

サミーは水晶玉の中の、ボロボロになりながらも卓に座り続ける男を見つめた。

「さあ、見せてごらんなさい、裁定者殿。貴方が生き残るための、最後の牙を」

     * * *

対局開始から、すでに八十時間が経過しようとしていた。

地下闘技場には、狂人のようなうめき声と、乾いた牌の音だけが響いている。

「……ドンジャラ」

ケンが、ひび割れた唇から声を絞り出した。

「単色陣……九十九勝目だ」

「う、がああああ!!」

ついに大盗賊の精神が崩壊し、卓の上の牌をメチャクチャに払い除けた。

だが、ケンは微動だにしなかった。

彼の脳内では、すでに次の局の、そして最後の『百勝目』をもぎ取るための棚卸しが始まっていた。

鈴木ケン、四十歳。

異世界のどん底で、彼は自らの命を懸けた蠱毒の底を、這い上がろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ