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第14話 魔法と機械の青


冷たい雨の感触は消え、代わりに乾いた紙の匂いと、微かな機械の駆動音が耳を撫でていた。

鈴木ケンが重い瞼を開けると、そこは天に届くほど巨大な本棚に囲まれた、薄暗くも荘厳な空間だった。歯車仕掛けの奇妙なフクロウが頭上を飛び交い、青白い魔力の光が部屋全体を優しく照らしている。

「あ、目がお覚めになりましたか! よかったぁ……!」

頭上から降ってきた慌てた声に、ケンが視線を巡らせる。

「きゃっ!?」

脚立の上で本を整理していた青いローブの女性が、足を滑らせて落下してきた。ケンは咄嗟に身をよじって避けたが、彼女は大量の古書と共に床に派手に突っ込んだ。

「い、痛た……ごめんなさい、私、いつもこうでおっちょこちょいで……」

「……あんたは?」

「申し訳ありません! 私はこの王立図書館の司書を務めております、シズクと申します!」

シズクと名乗った女性は、涙目で頭を撫でながら立ち上がった。丸い眼鏡の奥の瞳は純朴そうで、どこか放っておけない愛嬌がある。

村の惨劇で心が死にかけていたケンにとって、彼女のその抜けた雰囲気は、張り詰めた糸を少しだけ緩めてくれるものだった。

「王立図書館……そうか。俺は、青の国に……」

ケンはゆっくりと身を起こした。胸の奥には、カナン村で見た絶望が、冷たい鉛のように居座っている。

「ええ、ここは青の国・アルカナムの中枢。そして我が国の知識のすべてが眠る王立図書館です」

シズクの後ろから、落ち着いた女性の声が響いた。

現れたのは、深い青のドレスを身に纏い、扇で口元を隠した知性的な熟女だった。年齢は四十代後半に見えるが、その立ち振る舞いには王者の風格が漂っている。

「はじめまして、緑の国の裁定者殿。私はこの国を統治する、サミー・アルカナムと申します」

サミーは優雅に一礼した。

「アルカナムはかつて、攻撃魔法の探求を至高としていました。しかし、タナカ様によって武力が禁じられたことで、私たちは魔力を『機械』の動力として応用する道を選びました。現在、この国は魔法と機械の融合によって独自の発展を遂げています」

「……俺を助けて、どうするつもりだ」

ケンの掠れた声に、サミーは扇をパチンと閉じた。

「貴方が絶望の淵で見つけた『真実』を、共に探求するためですよ。……入れなさい」

サミーの合図と共に、重厚な扉が開き、四人の人物が入ってきた。

先頭を歩くのは、雨の森でケンに日記を手渡した、モノクルをかけた銀髪の青年だ。

「アルカナム第一使節団団長、シリウスです」

青年は冷徹な眼差しでケンを見下ろした。

「続いて副団長の、ベガ」

彼の隣に立つ、冷たい美貌を持った眼鏡の女性が、事務的に一礼する。

「そして三番手、カペラ」

前に出た女性を見て、ケンは息を呑んだ。彼女の右半身は精巧な金属の義肢と歯車で構成されており、カシャカシャと無機質な音を立てている。

「彼女の機械化された右脳は、常人の数十倍の並列処理能力を持ちます。四卓同時のドンジャラで全勝できる、我が国の切り札です」

「……よろしく」

カペラは感情の乗らない声で呟いた。

「最後に、四番手の……名前はまだありません。私たちは『カエル』と呼んでいます」

最後に紹介された男は、異様だった。深いフードで顔を完全に隠し、右手に不気味なカエルの手作りぬいぐるみをはめている。

『ゲロゲロ。よろしくネ、オジサン』

男は一切喋らず、代わりに右手のカエルのぬいぐるみを腹話術のように動かして挨拶をしてきた。

(なんだこいつら……緑の国の使節団とは、全く空気が違う)

圧倒的な理詰めと、異様なまでの機械化、そして不気味さ。青の国のドンジャラが、ただの確率計算ではないことを肌で感じた。

「ケン殿。貴方にはしばらく、この図書館の奥深くに潜伏していただきます」

サミーが、あの『田中の日記』をケンの前に置いた。

「緑の国には、貴方は魔獣に襲われて行方不明になったと処理されています。この日記を解読し、タナカ様が残した『バグ』の正体を暴くこと。それが、貴方が再び盤上に立つための唯一の道です。……シズク、彼の世話を頼みますよ」

「は、はいっ! お任せください、サミー様!」

シズクは元気よく返事をして、また本に躓いて派手に転んだ。

使節団の面々は呆れたようにため息をつき、サミーと共に部屋を後にした。

     * * *

シズクに案内されて辿り着いたのは、図書館の最深部にある小さな隠し部屋だった。

質素なベッドと、本を読むためのランプと机だけが置かれている。

「あの……お食事や必要なものがあれば、何でも私に言ってくださいね。その……色々と、お辛いことがあったと聞いていますから」

シズクが、心配そうな、おずおずとした口調で言った。

村での惨劇を思い出し、ケンの瞳が暗く沈む。

「……ありがとう。でも、今は一人がいい」

「……はい。ごゆっくり休んでください」

シズクは深々と頭を下げ、静かに部屋を出て行った。

一人になったケンは、ランプの灯りの下で、泥と血で汚れた木の実の首飾りを机に置いた。

そして、その横に『田中の日記』を置く。

『――この世界は、失敗作だ』

五十代も半ばに差し掛かろうとしている男が、どうしてそんな無責任なものを遺したのか。

そして、この残酷なシステムをどうすれば終わらせることができるのか。

鈴木ケンは、静かな図書館の奥底で、五百年前の英雄が書き残した「絶望」のページを、ゆっくりとめくり始めた。

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