第13話 焼け落ちた村と消えた裁定者
雨は上がっていたが、カナン村を覆う分厚い暗雲は晴れることなく、重苦しい空気を落としていた。
「……ひどい有様だな」
第一使節団副団長のルークが、焼け焦げた村の門をくぐりながら低く呟いた。
普段は冷静な彼の声にも、隠しきれない怒りと痛みが混じっていた。
広場には、無残に引き裂かれた家屋の残骸と、消えかけた炎が燻っている。
そして何より、足の踏み場もないほどに散乱した、血に染まった衣服や生活の痕跡。魔獣による蹂躙が、いかに一方的で残酷なものだったかを物語っていた。
「クソッ……! クソッ!! アタシが、もっと早く……アタシがもっと強ければ!」
ルークの傍らで、泥だらけのフィーナが地面を叩いて泣き叫んでいた。
彼女は城へ救援を求めに飛び立った後、限界を超えた飛行で使節団を連れて戻ってきたが、村はすでに死の静寂に包まれていた。
「自分を責めるな、フィーナ。相手は変異種の『王』クラス二体。お前が残っていても、無駄死にしていただけだ」
第二使節団のゼファが、フィーナの肩に手を置いて慰めるが、彼自身の拳も白くなるほど強く握りしめられていた。
「……生存者は、ゼロ。それに、奇妙なほど静かすぎるわ」
魔法戦術顧問のリアンが、鋭い目で周囲の泥濘を観察しながら言った。
「あれだけの惨劇を起こした主犯……ゴブリンキングとオークキングの姿がどこにもない。いえ、それだけじゃないわ」
リアンは、広場の端から森へと続く地面を指差した。
「三メートルを超える巨体のオークキングが通れば、当然深い足跡が残るはず。でも、足跡は森の入り口で、まるで空間ごと削り取られたように突然途切れているの。……奴ら、ただ森へ帰っただけじゃない。何者かの手によって『隠滅』されたかのように、完全に姿を消しているわ」
「法で守られた虐殺を行い、悠々と姿を消したってのか……。田中勇の作ったルールは、時として本当に吐き気がするほど残酷だ」
ルークが忌々しそうに吐き捨てる。
「それで……ケンは? 裁定者はどこにいる?」
静かで、しかし底知れない威厳に満ちた声が響いた。
緑の国の王女、ティア・エバーグリーン。
彼女はぬかるんだ地面を厭わず歩み寄り、フィーナの前に立った。
「……わからない。アタシが空へ逃げた時、おっさんはまだ生きてた……。森の奥へ向かって這いずっていくのを見たんだ……! でも……」
「……ダメだ」
上空から、一羽の炎の鳥が舞い降りてきた。不死鳥のフェニクスだ。
その纏う炎は、いつになく弱々しく揺らいでいた。
「俺の探知網を最大まで広げたが、ケンの気配が完全に消えやがった。魔獣に食われたなら、魂の残滓くらいは残るはずだ。だが、あいつの気配は森の途中で、魔獣たちの足跡と同じように、まるで煙のようにフッと途切れてる」
フェニクスは忌々しそうにくちばしを打ち鳴らした。
「俺の眼をごまかせる奴なんてそうはいねえぞ」
「……フェニクス様の探知を逃れるほどの、完璧な隠蔽魔法」
リアンの顔色が変わった。
「巨大な魔獣二体の痕跡すら消し去り、ケンを連れ去るほどの大規模な空間転移……。この精密で冷たい魔力の使い手は、間違いなく『青の国』の使節団クラスの仕業よ」
「青の国だと!?」
ゼファが声を荒らげる。
「なんであいつらがこんな辺境に! まさか、今回の魔獣の襲撃自体が、あいつらの仕組んだ罠だったってのか!?」
「魔獣を操ることまでは不可能にしても、襲撃を予見し、ケンが絶望するタイミングを狙って接触してきた可能性は高いわね」
ルークの冷酷な分析に、場が静まり返った。
ティアは、広場の泥の中に落ちていた小さな物を拾い上げた。
それは、木の実で作られた粗末な首飾り。ケンがカナン村の少女、ニーナから貰っていたものだった。首飾りは無残に千切れ、泥と血に塗れていた。
ティアの琥珀色の瞳が、悲痛に揺れる。
(ケン……。あなたは今、どれほどの絶望の中にいるの?)
彼がどれほどこの村の人々を救いたいと願っていたか、ティアは知っていた。
自分の「弱さ」のせいで、目の前で何十人もの命が理不尽に奪われる。その光景が、ただの物流倉庫で生きてきた四十歳の男の心を、どれほど無残に破壊したか。
青の国は、その「絶望」の隙を突いたのだ。
「……生きているわ」
ティアは、泥だらけの首飾りをそっと自分の胸に抱きしめた。
「ケンは絶対に生きている。彼は、自分の弱さから逃げるような人じゃない。……青の国が彼に何を吹き込んだにせよ、彼は必ず、再び盤上の前に戻ってくる」
「ティア様……」
「ルーク。使節団に警戒態勢を。アルカナムの動向を探りなさい。紫の国も、この隙を見逃すはずがないわ」
ティアの声は、王女としての揺るぎない覚悟に満ちていた。
「私たちは待つわ。彼が、本当の意味で『裁定者』としての覚悟を決めて、緑の国に帰ってくる日を」
降りしきる雨の冷たさの中、緑の国の使節団たちは沈痛な面持ちで森の奥を見つめていた。
鈴木ケン、行方不明。
この事件を契機に、世界の均衡は静かに、そして確実に崩れ始めていた。




