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第12話 蹂躙の卓と雨の青


四十歳の誕生日。ティアから贈られた世界樹の牌ケースを胸に、鈴木ケンは新たな一歩を踏み出していた。

「鈴木殿。貴方の実力は未だDランクですが、現場の空気を知ることも修行のうちです」

ルークの推薦により、ケンは正式に使節団の『補佐員』に任命された。主な任務は、緑の国の各地に点在する集落の巡回と、小規模な紛争の調停。実戦経験を積ませるためのティアなりの配慮だった。

最初の目的地は、緑の国の辺境にある人間の小集落「カナン村」だった。

同行するのは、偵察筆頭のハーピー、フィーナだ。

「いいかおっさん、補佐員ってのは『裁定者』の卵なんだ。村の人たちを安心させてやれよ!」

「ああ、わかってる。……俺に、できるかな」

カナン村は、穏やかな陽光が差し込む平和な村だった。

「おお、貴方様が新たな裁定者様ですか!」

村の長老である老婆が、震える手でケンの手を握った。

「タナカ様が去ってから五百年。私たちは、ずっと貴方様のようなお方を待っておりました」

村の子供たち……特にニーナという名の七歳の少女は、ケンに懐いた。

「おじちゃん、これあげる!」

手渡されたのは、村で採れた小さな木の実で作られた首飾りだった。

「ありがとう。……俺、頑張るよ。みんなが安心して暮らせるように」

その日の夜、村を挙げてのささやかな宴が開かれた。

物流倉庫で独り、誰とも関わらずに生きてきたケンにとって、自分を必要とし、笑顔を向けてくれる村人たちの存在は、何物にも代えがたい「救い」だった。

(俺、この人たちのために強くなりたい。……本気で、そう思う)

だが、悲劇は唐突に、そしてあまりにも残酷な形で訪れた。

翌日の正午。村の広場を、凄まじい殺気と獣臭が包み込んだ。

「ギギッ……人間、イタ」

現れたのは、三メートルを超える巨躯を誇る「オークキング」と、歪な眼鏡をかけ、知性を湛えた瞳で嘲笑う「ゴブリンキング」。

彼らは、数十年に一度生まれるという、天律の理を理解した変異種の魔獣だった。

「暴力、ダメ。タナカ、決メタ」

ゴブリンキングが、泥に汚れた『八十三枚の牌』を卓上にぶち撒けた。

「契約、シヨウ。……『取引戦』ダ。我ラ勝テバ、村人、全員、食ウ。オ前勝テバ、我ラ、去ル」

「なっ……ふざけるな! そんな勝負、受けるわけが……!」

ケンが叫ぶが、オークキングが村の建物を一撃で粉砕した。

「拒絶、村、焼ク。……打ツカ、死ヌカ?」

法による殺戮は禁じられている。だが、合意の下での「取引」の結果なら、魔物が人間を食らうこともシステムは容認する。これが、田中勇が作った「平和」の致命的なバグだった。

「クソ!フィーナは周囲の偵察に出ている……戦えるのは俺だけだ!打つ。俺が、相手だ」

ケンは震える脚を叩き、卓についた。1人で2対の魔獣を相手にする。

(大丈夫だ。俺は半年間、心理戦を磨いてきた。魔物なんて、欲の塊だ。絶対に、読み切れる……!)

しかし、それはあまりにも無慈悲な誤算だった。

一局目。ケンの手は悪くなかった。相手のゴブリンキングは無表情に牌を切り続ける。

(読め……! こいつ、何を待っている!? 恐怖か? 空腹か!?)

ケンの「ババ抜きの直感」は、魔獣の精神構造の前では無力だった。

彼らには人間特有の「迷い」や「罪悪感」が一切ない。あるのは、計算し尽くされた牌効率と、捕食者としての純粋な殺意だけ。

「……ドンジャラ。魔王、降臨」

開始わずか六巡。オークキングが、その太い指で牌を叩きつけた。

黒牌(魔王)を絡めた、この世のものとは思えない高得点の上がり。

ケンの持ち点は、瞬く間に消し飛んだ。

「……う、嘘だ……。そんな……」

「終ワリダ。……契約、執行」

「ぎゃあああああああ!」

次の瞬間、地獄が始まった。

契約に基づき、オークたちが村人たちに襲いかかる。

さっきまで笑っていた長老が、ケンに首飾りをくれたニーナが、魔獣の牙にかけられていく。

暴力ではない。ドンジャラの結果に伴う「正当な権利の行使」として、世界の理がそれを許してしまった。

「やめろ……! やめてくれ! 俺が……俺が弱かったから……!」

ケンは地を這い、魔獣の脚に縋り付いたが、一蹴された。

フィーナが必死に戦おうとするが、変異種の魔獣たちの圧倒的な魔力の前に、防戦一方となる。

「おっさん、逃げるぞ! もう……手遅れだ!」

重傷を負ったケンの襟を掴み、フィーナは強引に空へと飛び上がった。

眼下では、炎に包まれる村と、魔獣たちの咀嚼音が響いていた。

……数時間後。

激しい大雨が降る森の中、ケンは泥濘ぬかるみの中に膝をついていた。

フィーナは増援を呼ぶために一度城へ戻ったが、ケンの心は、ニーナの叫び声を聞いた瞬間に死んでいた。

「……はは、俺、何しに来たんだよ」

四十歳。不惑なんて嘘だ。迷いしかない。

自分の「下手さ」が、目の前で数十人の命を奪った。

田中勇が作ったこの世界は、弱者にとって、地獄よりも残酷な場所だった。

(死にたい。……消えてしまいたい)

冷たい雨が体温を奪い、意識が朦朧とする。

その時、泥の中に沈みかけていたケンの視界に、整然とした青い裾が見えた。

「……期待外れでしたね。『裁定者』とは、この程度の男でしたか」

冷淡な、しかし透き通るような声。

ケンが顔を上げると、そこには深い青色のローブを纏った一団が立っていた。

中央に立つのは、モノクルをかけた知性的な男。青の国の使節団。

「……殺せよ。俺のせいで、みんな……」

「死なせるのは勝手ですが、その前にこれをお返ししましょう」

男の隣から、一人の女性が歩み寄ってくる。

彼女は雨を弾く結界を纏い、泥にまみれたケンを憐れむように見下ろした。

その手には、古びた、しかし見覚えのある一冊の手帳があった。

「鈴木ケン様。貴方のその『絶望』こそが、この世界を読み解くための最後のピースです」

手渡された日記を開くと、そこには日本語の、乱れた筆跡でこう記されていた。

『――この世界は、俺の失敗作だ。佐藤を救えなかった俺に、平和を作る資格なんてなかった』

五百年前、英雄・田中勇が遺した、血を吐くような告白。

絶望に沈むケンの前に、青の国の策謀と、隠された歴史の真実が、雨音と共に姿を現そうとしていた。

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