『 The timeless return of the dead 』遠い過去から今への涙の上陸…
16:39
輸送船の甲板は、大勢の歓声と泣く声に包まれていた…
そんな中…舷梯を登り、錆びついた手摺りを越えて乗り込んできた陸上自衛官たち。その近代的で無機質な装備、自分たちより頭一つ分高い背丈、そして何より、戦場を知らぬはずなのにどこか冷徹な「規律」を纏った姿に、若い日本兵たちは最初、本能的な畏怖を覚えた…
しかし、その沈黙は長くは続かなかった。
彼らの胸の内で、故郷へのの愛着と、六十年という空白への底知れぬ不安が、堰を切ったように溢れ出したからだ。
特に広島や呉出身の兵士たちの勢いは凄まじかった。
「のう、未来の兵隊さん! 教えてくれんさい! 呉の街はワシらがおらん後…どうなったんじゃ……!?」
「広島の相生橋はどうなった!? 紙屋町は……ワシの家は、本通りの近くなんじゃ! まだ街は栄えとるかのう…!」
彼らの瞳には、先ほど海上で見た「光り輝く知らない都市」への恐怖が宿っていた。
「日本だ」と喜んだ直後に突きつけられた、自分たちの居場所がどこにもないかもしれないという疎外感。
喧騒のただ中で、一人の少年兵が、拡声器を構える自衛隊員の前に立ち塞がった。
防暑服を纏い、略帽を被り大きな背嚢を背負った兵…年齢はせいぜい18か19歳ほど…現代なら高校を出たばかりのあどけなさが、その煤けた顔に残っていた。
彼は、自衛隊員の顔を見つめて震える声で問いかけた。
「……自衛隊さん。一つだけ、一つだけ教えてください」
「今の日本は……安寧な世でしょうか? 他方面から脅かされたり、乏しい生活を強いられては……いないでしょうか?」
その問いに、周囲の将兵たちが一斉に静まり返った…
自分たちが南方各地の山々や密林の中で、泥水を啜り、熱病や負傷を抱え、それでも手を上げずに死ぬまで戦い抜いた唯一の理由。それは「自分たちがここで踏ん張って盾になれば、日本本土に住む家族や同胞の平穏な暮らしが一日でも延び、祖国日本の国威が続く…」という、あまりにも一途な望みだった。
「僕たちは……」
別の、眼鏡をかけた学徒出陣者とおぼしき兵士が、消え入りそうな声で続けた。
「僕たちは……少しでも御国のお役に立つことができましたか? 僕たちがペンを手放し、斃れたことは、この後世の日本を作るための、何か糧になれたのでしょうか……?」
その言葉は、鋭い刃となって自衛隊員たちの胸を刺した…
しかし、耳元のインカムからは、司令部からの冷徹な音声が流れている。
『現場各員、対象との私語を禁ずる。感情的接触を避け、速やかに収容所への誘導を開始せよ。繰り返し、私語は厳禁である』
隊員たちは、一瞬だけ目筋を震わせると…
「……これより下船を開始します…十名一組になり、前方の誘導員の指示に従いなさい!」
拡声器を通した、無機質な機械音。
若い将兵たちは、期待していた答えが得られなかったことに、一瞬だけ悲しげに目伏せた。しかし、彼はすぐに背筋を伸ばし、三八式歩兵銃を握り直した。
「……そうですか。きっと決まりなのですね。規則なのですな。分かります。僕たちも、軍人ですから」
少年兵は、自分を納得させるように何度も頷き、自衛隊員たちに朗らかな顔で敬礼を送った。
「失礼しました。……日本を…ありがとうございます…」
その「感謝」の言葉こそが、自衛隊員たちには嬉しくも苦しかった…
ただ指示を出すだけの「大人」たちに対し、死の淵から還ってきた「青年」たちが、これほどまでの敬意と信頼を寄せている。
自衛官たちは、溢れ出しそうな感情を殺し、ただ事務的に、壊れ物を扱うような手つきで彼らの背中を押し、岸壁へと促した…
いよいよ…広島港と呉港、二つの拠点では、過去の存在が物理的に、そして暴力的なまでの質量を持って現代日本に上陸が始まった…
接岸した船からは舷梯で、接岸する場がない船からは、大発動艇(上陸用舟艇)が出て…波を蹴立てて岸壁に接岸する。そこから溢れ出してきたのは、かつて南洋の島々で「土」になったはずの、夥しい数のかつての若者たちだった。
対するは迷彩服の壁を作り、銃を構えて待ち構える陸上自衛隊の隊員たち。その現代的な武装と、冷徹なまでの威圧感に、上陸した兵士たちは一瞬だけ気圧されたような表情を見せる。だが、彼らの瞳に宿る歓喜は、恐怖を容易に上書きしていった。
彼らは自衛官の脇を通り過ぎる際、誰に教わるともなく、無言で、しかし誇らしげに笑顔の敬礼を送った。
その敬礼には、言葉以上の重みがあった。自分たちが居なくなった後の故郷を護っている者たちへの、混じりけのない信頼と感謝。自衛官たちの指先が、その純粋すぎる視線に射抜かれ、微かに震える…
岸壁に降り立った瞬間、多くの兵士たちが異様な行動に出た。
将兵たちは軍靴でその硬さを確かめるように足踏みを繰り返したり、突然糸が切れたように膝をつき、現代の汚れなきコンクリートを両手で撫で回した。
「……あぁ……日本だ。うっ、ううぅ……本当に、日本なんだ……」
地面に跪くと涙が溢れた…
彼らの脳裏には、数日前までそこにいたはずの、南洋の地獄がフラッシュバックしていた。
熱帯雨林の厳しい環境…補給無き長期戦、終わりのない米軍の熾烈な攻撃…
それらすべてが、今、足の裏から伝わる「日本の土」の感触によって、無理やり過去へと押し流されていく。
「わぁ〜っ! 日本じゃあ! 日本に還ったんじゃあ!!」
広島港の岸壁では、同郷の兵士たちが狂ったように抱き合い、互いの汚れきった軍服を涙で濡らしていた。
「おい、見ろ! 街の灯りじゃ… 灯火管制もなく…綺麗に輝いとるぞ!」
「……ここが、宇品の港なんか? 本当に、ワシの知っとる広島なんか……?」
「お父ちゃん……お母ちゃん……皆んな…どこにおるんじゃ……」
「……六十年…ほんまに…そんなに経ってしもうたんか…」
彼は、自身の足元が崩れ去るような感覚に陥り、その場に泣き崩れた。
およそ六十年。その数字が持つ残酷さを、彼は今、目の前の風景という形で突きつけられていた。自分が護ろうとした「あの日の広島」は、戦火か、あるいは時の流れの中で、一欠片も残さず削り取られてしまったのだ。
「のう、自衛隊の人! 広島城はどうなった!? 本通りのは……ワシらの街はどうなったんじゃあッ!!」
叫び声が夜の埠頭に響く。自衛官たちは無言で彼を追い立てるが、その問いに答えられるはずもなかった。彼が探している「家」も「人々」も、すでに歴史の一部となり、その場所には今、見知らぬ他人が、見知らぬ幸せを享受して暮らしているのだから。
その頃…呉の昭和埠頭でも、若い将兵たちが激しい動揺に身を震わせていた。
呉海軍工廠に付近に実家があった若い海軍兵が呟いた…
「…還ってきたのに……日本に還ってきたのに、ここにはワシの知っとる日本も呉も…もうどこにも無いんじゃ……!!」
彼らは、南方の密林で、飢えに耐え、病に震えながら、「家族や銃後の安寧」だけをとして生きてきた…
だが、ようやく辿り着いたその場所は、自分たちが死に物狂いで護ったはずの、あの「愛しい人々」の気配が完全に消し去られた、美しくも悲しい未来だった…
埠頭のあちこちで、膝をつき、拳でコンクリートを叩き、あるいは空を見上げて号泣する兵士たちが続出した…
そんな中…
「今すぐ歩きなさいッ! 止まらずに前へ進みなさいッ!」
自衛隊員たちの怒号が、彼らの感傷を力尽くで引き裂く…
日本兵たちは、不満や虚しさ、そして行き場のない悲しみを全身に浴びながらも、それ以上の抵抗はしなかった…
彼らは痛感していた。この国を平和にしたのは、自分たちではなく、今ここで自分たちを追い立てている「後世の日本人」なのだと…
「…ええんじゃ…たとえ……何がのうなっても故郷じゃ。祖國日本なんじゃ……」
広島出身の兵士が、涙でぐちゃぐちゃになった顔で、それでも一歩を踏み出した…
「そうじゃ…勝ち負けは分からんが、日本がこんなに栄えとるんなら、それでええ…満足じゃ…報われたんじゃ、ワシらは報われたんじゃ!!」
18:20 時間を要しながらも将兵たちは皆、上陸を果たし故郷の土を踏んだ…
しかし、広島・呉の両港に上陸した数万人という膨大な「生ける歴史」である彼らは、存在を機密にする上でも、安全保障上でも…
もはや一つの組織としての体裁を保つことを許されなかった…
「これより、移動を開始します…荷物をまとめ、前方の誘導に従いなさいッ!」
防衛省の中央指揮所が下した決定は厳しいものだった。数万人の組織的団結を恐れた中央指揮所は、彼らを下船した順から、強制的に細分化し、中国地方を付近の自衛隊演習場や駐屯地内に築いた収容キャンプへ一部を関東地方へと分散することを命じたのである…
埠頭の奥には、夥しい数の大型貨物トラックと、臨時に徴用された貨物列車が待機していた。
「……おい、どういうことだ! 静岡連隊はあっちの列じゃないのか!?」
若き兵士たちの悲鳴に近い声が、夜の港に響き渡る。下船した順に無理やり列を切られ、行き先も告げられぬまま自衛隊トラックの荷台へ押し込まれていく。その結果、関東出身者が中心の「第一師団」の将兵たちが見知らぬの中国地方の演習場へと送られたりと、西日本各地の演習場キャンプへと送られる部隊は、凄まじい混乱に陥った…
特に関東地方――習志野や朝霞駐屯地近くの演習場キャンプへ、長距離移動を強いられる一部の将兵には、さらなる過酷な要求が突きつけられた…
「移動の安全確保のため、銃器および軍刀を一時預かります…速やかに銃火器を置きなさい!」
自衛官の拡声器の声が響く…
「……武装解除という事か…陛下から頂いた小銃を手放せというのか…」
「戦死された中隊長から預かった軍刀を手放すなんて…」
彼らは涙を流しながら、愛銃や軍刀を隊員たちの前に置いて通り過ぎていく…
軍刀を没収された士官たちは、腰元の虚無感に耐えきれず、魂を抜かれた抜け殻のような姿で、彼らは貨物列車へと追い立てられた。
この混沌とした収容作業の中で、たまたま「奇跡」が起きた。
関東地方に送られる数千人の中にいる水戸・高崎連隊を中心とした450人…
彼らはたまたま、部隊の結束を保ったまま一塊のグループとして抽出された。そして、彼らが送られる先は、彼らの故郷に近い関東地方の演習場キャンプであった…
「……なじして、小銃ば奪うんだっぺよ!なめんなッ! 敵でもねえ同胞に、なんで渡さなきゃなんねえだ!」
「これぁ、陛下から預かったもんだど! 離せ、この野郎ッ!」
と将兵たちが憤りを見せる中…
「耐えるんだ。今はただ、耐えるんだ。」
と宥めたのは、これまで司令官として彼らを束ねてきた中川大佐だった…
「大丈夫じゃ。我らは、内地に還ってきたのだから……。たとえ時代は変わっても、ここは日本たい。後世の同胞を信じよう…」
一方で中国、四国、近畿に分かれる貨物列車の無蓋車や、トラックでも…
「……ここは、本当に日本なのかな…」
「果たして…今のこん國に…俺たちの居場所があるのだろうか…」
向かう貨物列車の中で、様々な若い将兵が呟いた。
隣に座る戦友は、銃を奪われた空の手を握りしめ、ただ闇を見つめている。
彼らは、自分たちが何のために見知らぬ未来に甦り、なぜこのように扱われ、分散されるのか、その理由を知らない…




