『 Return of the war dead 』 感涙の帰郷…
15:10 豊後水道・安芸灘入り口
海面が午後の強い陽光に照らされ、金色に輝く中…
西に九州の、北に四国の、そしてその先に連なる「本土」の稜線が数万人の目に映った…それは紛れもない、日本古来の優美で険しい山々のシルエットだった。
最初に声を上げたのは、輸送船『帝洋丸』の船首に身を乗り出していた、かつてニューギニアの泥濘で餓死したはずの兵士たちだった。
「……陸だ…」
一人の上等兵が、ひび割れた唇を震わせた。
「陸だ……おい、日本の山だっ! 幻じゃねえ、ありゃあ本土だッ!!」
「ああぁ……日本じゃ……日本に還ってきたんじゃあ! 嬉しいのぉ、ぶち嬉しい……っ!!」
広島の街で家族に賑やかに送り出され…ニューギニア島のアイタペの地で斃れ…再び見る事が叶わなかった故郷の海。本土の稜線が遠くに見えた瞬間、その男は涙が溢れて甲板に膝をついた…
その叫びは、瞬く間に火薬庫へ投げ込まれた火種のように船団全体へと爆発した。
「還ってきた」という絶唱…
輸送船『能登丸』『泰山丸』の甲板では、文字通りの地獄絵図が展開されていた。いや、それは歓喜という名の狂気だった。
フィリピンのレイテ島やルソン島で、雨のように降り注ぐ米軍の重砲弾…マラリアや飢餓に斃れたはずの歩兵たちが、互いの汚れた軍服を掴み合い、子供のように声を上げて泣きじゃくっている。
「…あぁ…ほ、ほんとだ……。本当に日本なんだ…。夢じゃないんだ…!還ってきたんだ!!」
若者たちの夥しい声が響く。
ペリリュー島で斃れていった精強を誇った陸軍兵たちも、今は溢れんばかりの涙で視界を滲ませながら…
「おーいっ! 日本だっぺ! ほんとに日本だっぺよ!!」
素朴で力強い茨城弁の叫びが海を渡る。
「水戸の地はまだ遠いげどよ……でも、ここが日本なら、問題ないっぺ! 歩いてだっていけるんだっぺ!!」
ニューギニアやサイパン、ペリリュー、フィリピンの地で記憶が途切れた彼らにとって、そこが九州であろうと四国であろうと関係なかった。
海を隔てた遠い異国の地で、飢えと病と敵の銃弾に晒され、「生きて帰る」という望みを贅沢だと気持ちを押し殺して、靖國で会おうと誓って散った彼らにとって、「日本本土が見える」という事実は、これまでの苦難そのものが覆るほどの奇跡だった。
戦艦『金剛』の艦橋では…
冷静沈着であるはずの幕僚たちが、顔を覆って号泣している。
「……艦長」
航海長が、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
「我々は……我々は、本当に還ってきたのですね。あのフィリピンの熱い太陽の下や台湾沖の洋上ではなく…この優しい潮風の吹く日本に……」
島崎は答えられなかった。ただ、甲板や、様々な方向から突き上げてくる数万人の大歓喜の声に、全身を洗われるような感覚に陥っていた。
そこには、もはや「帝国軍人」という虚飾はなかった。
あるのは、ただ日本という国を愛し、その土を踏むことを、死の間際まで……いや、死んだ後さえも願い続けた「日本の子供たち」の剥き出しの魂だった。
「おーーーいっ! この国を、日本を護ってくれてありがとうなぁぁ!!」
誰かが、並走するイージス艦『こんごう』に向かって叫んだ。
自分たちが死んだ後に、この国を繋ぎ、護り続けてきた「後世の防人」たちへの、純粋な、あまりにも純粋な感謝の叫び。
その声を受けた現代の自衛官たちは、あまりの情動の激しさに、言葉を失い、ただただ不動の姿勢で敬礼を返すしかなかった…
15:35 安芸灘の沖合…
広島湾の入り口。夕刻の優しい潮風が、戦艦『金剛』の船体を叩く…
海上自衛隊の判断は、非情かつ現実的だった。三万トンを超えるその巨大なシルエットが広島や呉の市街地至近に現れれば、情報統制は瞬時に崩壊する。戦艦『金剛』は、人影のない安芸灘の沖合にひっそり投錨した。
「……ここまでのようだ」
島崎艦長は、遠く霞む呉の山々を双眼鏡で見つめ、静かに呟いた…
洋上にポツリと佇む姿は、この巨艦が現代の秩序に「回収」されるのを待つ、静かな投降のようでもあった。
1300名の乗組員も幕僚たちも…自身の持ち場の機銃や船内な壁を愛しそうに撫でた…彼らは、これから自分たちが「収容」という名の管理下に置かれることを、その重苦しい空気から察していた。
16:15 二つの入港…
船団は二手に分かれた。
駆逐艦『沖波』と輸送船六隻は広島港へ。
駆逐艦『若月』『島風』、そして残りの輸送船六隻は呉軍港の深奥へと滑り込んでいく。
二つの港に分かれた、それぞれの駆逐艦から…
『入港準備…!前進微速 赤10ヨーソロー 微速前進 赤10ヨーソロー…!』とそれぞれ声が響く…
港に近づくにつれ、船団を包んでいた歓喜の喧騒は、急速に**「畏怖」と「沈黙」**へと塗り替えられていった。
「……なんだ、アレは。あれが話に聞いた…『ジエイタイ』か?」
『若月』の甲板で、三八式歩兵銃を握りしめた陸軍曹長が息を呑んだ。
岸壁を埋め尽くしていたのは、自分たちが知る「帝国陸海軍」とは似ても似つかぬ、異形の軍勢だった。
デジタル迷彩を纏い、顔を覆うゴーグルとヘルメットを装着した陸上自衛隊員。彼らの傍らには、直線的で洗練された形状の装輪装甲車や、自分たちを運ぶべく集められた73式大型トラックなどの車両が、まるで自分たちに威圧感を与えるように並んでいた…
「…物凄い陣容だな……。まるで敵軍を迎える守備兵のようだ」
「…あのアメ公や英豪兵より…強そうに見えるよ…w」
自衛隊側は総動員の臨戦態勢である。三万人の武装集団を迎え入れるという極限の緊張感が、岸壁から冷徹な「威圧感」として放たれていた。
メガホンから流れる、機械のように正確な誘導指示。
サーチライトの鋭い光が、錆びついた輸送船の甲板を白々と照らし出す。
昭和の兵士たちは、自分たちが「救われるべき同胞」であると同時に、「管理されるべき脅威」として扱われていることを、肌を刺すような視線で理解した…
しかし、彼らの心を最も激しく撃ったのは、自衛隊の兵器ではなく、その背後に広がる「日本の街並み」だった…
「……嘘じゃ。こんなん、ワシの知っとる広島じゃなか……」
広島港に入港しようとしていた『沖波』の甲板で、広島出身の若き水兵が絶叫に近い声を上げた。
彼らの記憶にある懐かしい広島や呉の街並みは、瓦屋根の家々が密集し、路面電車が走り、潮の香りと生活の煙が漂う、慎ましやかな和洋折衷の街だった。
だが、目の前にあるのはどうだ。
空を突くような高層ビル、中心街として栄えていたあの頃とは比べ物にならないほど発展した街並み… きっと夜になればかつての「灯火管制」など嘲笑うかのような光の海が広がるのだろう…
「六十年も経ってしもうたんか……。余り実感が湧かんが…六十年で、こんなに変わってしもうたんか」
「…もう勝ったのか、負けたんか分からん…わしらが眠っとった間に、全部移り変わって…全部のうなってしもうたんか…」
あまりにも進歩しすぎた故郷は、彼らにとって「見知らぬ異国の都市」のように冷たく映った。
自分たちが護りたかった景色が、もうどこにも存在しないという虚しさ。
時の流れという残酷な大河に、自分たちだけが取り残された孤独。
歓喜で泣き叫んでいた兵士たちの中に、悲しい沈黙が広がり、一部では「還らなければよかった」という嗚咽さえ漏れ始めた…
16:35 紛れもない「故郷」
だが、その沈黙を破ったのは、港の潮風に混じった「匂い」や山々だった…
「……いや、違う。見てみんさい、あの山の形を。黄金山じゃ。ありゃあ、間違いのう黄金山じゃ!」
『帝洋丸』の舷側から身を乗り出した兵士が、街の灯りに照らされた山影を指差して叫んだ…
たとえ建物が変わり、街並みが変わり、人々が変わったとしても、そこにある大地の骨格は変わっていないかった…
「建物がのうなっても、道が変わっても……ここは広島じゃ! ワシらがあれほど還りたかった故郷…広島なんじゃ!!」
広島出身の兵士たちが、再び激しく泣き崩れた。
彼らは理解した。自分たちが知る人々や街並みは消えたかもしれない。だが、この圧倒的な発展した街並みこそが、自分たちが命を懸けて護り繋ぎたかった「未来の故郷」なのだと。
「ええんじゃ……。何もかものうなっても、ここが故郷じゃ。祖國日本なんじゃ……!!」
その叫びは、他の地域出身の兵士たちにも波及していった。
「そうだよ… ここは日本だ! 俺たちが護った日本が、こんなに立派になったんだ!」
「そうだ…!…俺たちの孫や曾孫が、子孫たち後世の同胞があんなに綺麗な街で生きてるんだ!」
虚しさは、瞬く間に「狂おしいほどの愛着」へと転化した。
港内に待ち構える陸上自衛隊の放つ冷徹な威圧感さえ、彼らにとっては「立派になった末裔たちの姿」として、誇らしく見え始めていた。
「おーい! 後世の兵隊さ〜ん! この国を守ってくれて…こんなに立派にしてくれて、ありがとうなぁ!!」
岸壁で銃を構える陸上自衛官たちに向かって、輸送船の甲板から涙ながらの感謝が投げかけられる。
自衛官たちは、その「先祖」たちの叫びに、動揺を隠せない。
銃口を向けている相手が、これほどまでに自分たちを全肯定し、感謝してくれる存在だとは夢にも思わなかったからだ…
あと僅かにまで…数十年の時を超えた祖国への帰還が迫り…将兵たちの胸はかつて無いほどに高まった…
・豊後水道…
大分県と愛媛県の間に位置し、北の伊予灘・瀬戸内海と南の太平洋をつなぐ約40kmの海峡
・安芸灘…
瀬戸内海の中央部、広島県呉市(下蒲刈島など)から愛媛県今治市(岡村島)にかけて広がる海域の事…
・73式大型トラック…
陸上自衛隊の全職種部隊で人員・物資輸送用に運用されている汎用トラックの事…




