通り雨 *アデリー
キリアンが帰った後、私は椅子に座って両手で顔を覆っていた。
大丈夫、大丈夫。しっかりしなきゃ。
大きく深呼吸をして立ち上がり、水を汲み、飲んだ。
キリアンが、お姉さまが死んだと言っていた。公爵家の嫡男と心中をした。遺体はどこにあるのかわからないとも。
オーウェンは武器を取って森へ向かった。私と町を守るために闘ってくると言って。
そして帰ってこなかった。
……私は二人の遺体を見ていない。だから泣かない。二人に会えるまでは、崩れない。
マートン子爵も父もまだ傷が癒えていない。子爵家子息で従兄弟のマルスはまだ十才。町のみんなも困窮している。私が今できることをしなければ。
とりあえず故郷に帰るのはやめて仕事を続け、姉を探そう。せめて骨を故郷に連れ帰りたい。これからは教会に絞って探してみよう。
椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げる。
……でもまさかキリアンが公爵家の子息だったとは……。そして私が自分の兄と心中した相手の妹だと知っていたとは。
キリアンはどういう思いで私を見ていたのだろう。どういう思いで私を遊び相手としたのだろう。
私は大きく息を吐き、今度はテーブルに突っ伏した。なんだか疲れた。これ以上考えるのはまた明日。
*
夢を見た。オーウェンの夢だ。
大きな家畜の飼葉桶を抱えて歩いてくる。ミルクティー色の髪の毛は陽の光を浴びて柔らかくなびいている。周囲には子どもたちがまとわりついていて「こらこら」なんて言いながら笑い、上手に子どもたちを導いて手伝いをさせる。そしてその後は子どもたちが満足するまで遊びに付き合う。
夜になれば一緒に星空を眺めた。四季を星と風で読み取るオーウェンは星座のこともよく知っていた。私はいくら教えてもらっても、どの星と星を繋げればいいのか分からなかったけど「アデリーは分からなくてもいいんじゃない」と言いながらも何度も教えてくれた。
キラキラした金髪と青い瞳のキリアンは輝く太陽のような人だけど、ミルクティー色の柔らかな髪の毛にアンバーの瞳のオーウェンはお日さまのような人。
幼馴染のオーウェンと私は自然に惹かれあい、自然に恋人となり、自然に結婚するものだと思っていた。
お姉さまは「いいわね、私にもそういう人が現れないかしら」と笑っていた。お姉さまは田舎に舞い降りた白鳥のように美しい人だったから、町の人たちは遠巻きに見ているだけだった。だから、都会に出ればすぐに恋人が見つかるわ、なんて話していた。
お姉さまとキリアンのお兄さまは惹かれあっていたのかしら。一緒にいる時は幸せだったのかしら。
*
仕事が休みのたびに教会を巡ってみた。けれどなんの手がかりも得られずに一日が終わる。
そんな毎日を繰り返した夜だった。
「アデリー! マリアの居場所がわかったぞ! 王都から半日離れた共同墓地だ」
部屋に飛び込んできたキリアンがポケットからペンダントを取り出した。鈍色に変色した銀の土台に小さなエメラルドが嵌め込まれたペンダントトップは確かに姉の持ち物だ。
キリアンは震える私の掌にそっと置いた。
「町はずれの共同墓地を管理している司教がこれを持っていた。遺体の金目のものをくすねていたようだ」
私はペンダントを握りしめた。そしてもう片方の手で胸元からペンダントを引っ張り出す。お揃いで揃えたペンダント。小さくても私たちの瞳の色と同じエメラルドを嵌め込んだ銀のペンダント。
毎日を磨いて銀に輝く私のペンダントに比べ、黒ずんだ同じデザインのペンダントは姉の手を離れてしばらく経っているのを示している。
やっぱりもうお姉さまはいないのだ。
「お墓に行きたい……」
「いや、それは……」
「共同墓地がどんなところかは知ってる。けど、お姉さまがいるところだから。場所を教えて」
しばらく黙っていたキリアンが静かに口を開いた。
「俺が連れて行くよ」
*
空は晴れ渡っているのに、どことなく陰鬱とした空気が漂っているのは、途絶えることのない黒い葬列のせいか。それとも烏の鳴き声と漂う臭いのせいか。
大きくて深い長方形の穴に、どさりと麻布の袋に入れられた遺体が落とされる。その下にも同じような麻袋が積み重なっている。
白い石灰の粉が撒かれ煙のように舞い上がる。司教の簡単な葬送の言葉が紡がれて小さな鐘が鳴り、葬送の列は再び来た道を戻っていく。
その黒くて小さな後ろ姿が去る様はまるで蟻の列のようだ。
ここに、姉がいる。
あの美しく優しかった姉が。
「……マリアの遺体を探すのは無理そうだ」
「いいわ。ここにいるということが分かっただけで」
骨を拾うのは諦めざるを得ない。
共同墓地にある聖堂に行き、手を合わせて祈る。そして、その場から離れた。
「キリアン、可能ならあなたのお兄さまのお墓に行ってもいいかしら?」
「あ、うん。案内するよ」
*
王都の大聖堂の裏に広がる青々とした芝生の中に、整然と白い墓石が並んでいる。ここは選ばれた人たちだけが眠る墓所。
王族は大聖堂の地下に柩が収められるが、ここに葬られるのは王族に近い存在だけだ。
そこにキリアンのお兄さまであり、姉と一緒に命を落とした人の墓がある。
アルフレッド・カーディン・ジラール。
「……あなたは姉を愛していたの? 大切に想っていたの?」
「アデリー……」
「姉があなたを愛していたかどうか私には分からないから、このペンダントをあなたにあげるわけにはいかない。けれど、今だけ貸してあげるわね」
私はそう言って十字の形をした墓石にペンダントを着けた。
晴れ渡っていた空にさあっと通り雨が降る。一瞬だけおぼろげな虹が見えた。
「不思議なこともあるもんだな」とキリアンが空を見上げて呟いた。
キリアンはそれ以降は何も言わず、ただ墓石をじっと見ていた。
アルフレッドの墓に「これは形見として父に持ち帰るから」と声をかけてペンダントを外す。そして「また来ます」と囁いた。




