五話
ついに夏休みに入り、より一層に夏の暑さが増している中、俺達はとある寺院にて座禅を組まされていた。
目を閉じて、聞こえてくるお経を聞きながら、瞑想をする。
どうして、こんな事をしているかというと、以前、薪君が言っていた修行である。この修行に何の意味があるのかは俺にも分からない。
瞑想をしていれば、何かに目覚めるというような事はありもしない。
というより、目的は精神の安定なのだろう。
それが修行と何の繋がりがあるとは思えない。
バシン、と不意に肩を叩かれ、
「ありがとうございます」
頭を下げる。何かが乱れていたのだろう。因みに俺はMではない。
瞑目の下にあるのは暗闇、何かを見付け出す事は叶わず、ただひたすらに無が続く。
この寺院はどうやら、特殊な場所らしい。何故なら、人以外にも河童や烏天狗が座禅を組んでいる。その光景はどこか異様に見えるも、ここはこういう場所らしく、妖怪でも座禅が組みに来る事が出来るらしい。流石に幽霊の類いはこの場にはいないが、それでも、熱心な奴は人以外にもいるらしい。
まぁ、俺も妖怪の類いなのだから、文句を付ける事は出来ない。
座禅の後の事、俺は見知った人物に出会した。見知ったといっても、それは一度きりではあるが、俺に実体化の妖術を教えてくれた本人、赤い顔に長い鼻のあの天狗がいた。
「久し振りだな、火葬士の倅よ」
「久し振りです、大天狗様」
どうやら、彼は見知った相手らしい。互いに面識があるという事は夏になると毎度、顔を合わせているという事だろう。天狗と聞くと何らかの不思議な力を持ち、何らかの術を持つと聞く。確かに一緒に修行する相手だと考えるのなら、ちょうど良い相手だと言える。
「そっちはあの時の妖刀か...。その姿は、どうやら、人化は成功したようだな
多少の邪念を感じるが、問題は無さそうだ」
「あー......、えっと、ご無沙汰しています」
「刄さん、知ってるのか?」
「まぁ、助けてもらったというか、何て言うか」
「火葬士の倅とお前さんがいるという事は鬼条家にでも、引き取られたんだろう」
彼はそう言い当てるも、分かりきってた事なのか、あまり興味がなさそうだ。
「火葬士の倅よ、お前さんは基礎が十分出来ている。術の範囲の拡大、要するに精神力、集中力を高める必要がある
それと、妖刀のお前さんの場合は妖力、霊力が乱れておる。それじゃあ、相手に動きを読まれてしまう。お前さんの場合は自身の力を支配下に置く基礎が必要みたいだな」
たった一目で俺の状態を読まれ、理解されてしまっていた。俺自身、あの黒い獣と戦った時、自身の動きを読まれているのか、攻撃が当たる事なんてなかった。
この天狗に言われた事は俺の中で納得がいく物だった。妖怪とかと戦う場合は妖力、霊力のコントロールが必要という事らしい。このままでは何も出来ないし、俺とて強くなりたい。
「来い、烏天狗共」
天狗はそう声を掛けると、烏天狗三羽がこちらへと駆け付けてきた。
「何用でございましょう。大天狗様」
「火葬士の倅に稽古を付けてやれ。毎度、夏にやっているあれだ
人間の成長は早いからな。足元、掬われないようにしろ」
そういう訳で薪君と烏天狗三羽は外へと出ていってしまった。
「さてと、お前さんは座禅の続きだ」
「座禅ですか...」
さっき、座禅したばっかなんだけど...。足も痺れるし、結構しんどい。
「今度の座禅は普通の座禅じゃない
お前さんに足りないのは妖力、霊力に対しての精神力、集中力だ
妖術や霊術の真の基本は自身の力を支配下に置く力。明鏡止水に近付けば、自ずとその力を物に出来るようになる」
そういう訳で俺は畳の上で再び、座禅を組む事となってしまった。少し違うとするのであれば、俺の膝の上に自身の本体である刀が置かれていた。妖力や霊力の大元はこの刀から来ている。その力を汲みつつも、汲み出した力を循環させる。
しかしながら、バシンと肩を叩かれてしまった。
「不安定だ。乱れきっておる」
「.........」
いや、言われた通りにしたんですけど、何が悪いんすか?不安定だの、乱れきってだの、言われても何がよく分からない。
「お前さんがしているのは、ただ力をひたすらに汲んでるだけだ
おそらく、お前さんは攻撃の時だけ力を汲んでいる。それが相手にバレてたら、勝負にならない
それがどれだけ速い攻撃だろうと、来ると分かって飛び込むバカはいないだろう」
「そりゃ......、まぁ」
確かに、この天狗の言っている事は正しい。攻撃する瞬間が分かってしまっているんだったら、対処は簡単だ。だから、あの時の最速は回避されてしまった。
「じゃあ、どうしたら...」
「簡単な事だ。戦いの時は常に力を循環させておけばいい。攻撃を放つ時と同じぐらい満遍なく、力の揺れもなく、一定の状態に保つ
妖術使いは多少、力の流れが分かったとしても、あまり関係はないが、接近戦で戦う場合、そうはいかない。相手に動きを読ませないのが戦いの常識だからな」
「常に......、感覚が分からん。常に一定の状態を保つって事じゃろ」
常に一定の状態を保つ。それは簡単のように聞こえるが、乱れがない状態になるというのは難しい事だと思える。妖力や霊力を日常の中で意識する事なんてなかった。だから、自身の力の状況も把握が出来ていない訳で、その感覚すらも分からない。
「まずは臍で息をする事から始めろ」
「臍?臍って...、あの臍っすか?」
「その臍だ。自身の中心から始まり、自身の中心で終える。無闇に力を循環さるのではなく、自身の中心を決めて循環させる事で力が安定させる事が出来るようになる」
臍......。俺は再び、座禅を汲んで、瞑想へと入る。臍で息をする、そのイメージを持って、ただひたすらに呼吸をするが、まるで意識が入らない。俺の中の水面が揺れるかのように、
バシンと、肩を叩かれてしまった。
「......さっきより、悪くなっている」
そう言われてしまった。それは俺にだって分かる。今回に限っては自身の力の流れが分かった。だけれども、それは波紋ばかりが波打っており、安定していない。
続けて、瞑想に入るも、やはり、俺の妖力と霊力は乱れ、何回も肩を叩かれてしまっていた。
何が悪いのか、皆目検討が付かない。やはり、この体が本体ではないが故に簡単じゃないのかもしれない。人の形を取っているのは妖力のお陰であり、力をまとめて人型として今、ここにある。水面が揺れて、波紋が波打。それは一個だけではなく、幾多もの波紋。そこには静寂はなく、雨が降り注ぐような感触があった。
「お前さんの臍は本当にそこなのか?」
天狗からそう問われてしまうも、
「ここ以外にどこにあるんですか?」
自身の臍を指して、質問する。ここ以外にどこに臍があるというのだろうか。
「ワシにも分からぬ。だが、その体はお前さんの本体ではなかろう
お前さんの中心は作り物ではなく、そっちにあるんじゃないのか?」
そう言って、指差す方向は俺の本体である刀だった。
「その体は所詮、作り物。刀を振るう為の分身でしかない」
確かにそうだ。今まで自分の体のように扱っていたが、この体は妖力で構成されている。俺の力の大元はこの刀だ。
自身の本体を持ち上げて、見上げてみるも、
「あー.........、分かりゃせんど
俺の中心」
分かる筈もない。ていうか、俺の中心はどこだよ......。
「よく考える事だな。お前さんの中心がどこにあるのか、どこに力を最初に入れるのかを
ワシは火葬士の倅の様子を見てくる。その間、しばし、休憩でもしてればいい。焦る必要もないだろう」
そう言って、天狗は外へと出ていった。
「.........中心、最初に力を入れる場所
やれ、たいぎーのぅ」
俺の本体はこの刀である。そして、刀を振るう時の要は柄にある。持ち手が無ければ、刀を握る事は叶わない。
「俺の真ん中」
もう一度、座禅を組んで意識を集中させる。戦いおいての自身の中心をイメージする。今の今まで俺の中心がどこにあったのかを探るように妖力と霊力を流す。俺の真ん中は右手、いや、刀の柄。
最初に始まるのは刀を握ってから、俺の中心はそこにあり、俺の始まりはそこにあり、そして、同時に終わりもそこの柄に存在している。故に始まりと終わりの中心は仮初めの肉体にあらず、俺の臍は刀の柄にこそ存在している。
「刄さん」
不意に声が聞こえ、目を開けるとそこには薪君の姿があった。
「昼になったから、ご飯にしよう」
何処と無く、不貞腐れているように思えるが何があったんだろう。
「大天狗様が油断するなと言うから、どれくらい強くなったのかと思えば、薪坊は相変わらずだよなぁ~。少し力んでしまって損したぜ」
そう声が聞こえて、成る程と頷いた。そういう訳なのね。そっちもそっちで中々だった訳だ。
「鬼条先輩、ご苦労様でした」
そう言って、声を掛けてきたのは斎藤君だった。そういや、彼はこの寺で住み込みで修行してるんだった。彼の格好は坊主そのものではあるものの、頭は丸めていない。彼自身は坊主になる予定はないそうだ。
「ああ......。一方的にやられてたけどな
刄さんの方はどうだった?」
「俺の方は感覚が掴めそうかねぇ。ようやっと、自分の臍とやら分かった所じゃ」
「そうか......。じゃあ、俺も頑張んないとな」
俺達の昼食は寺で提供される精進料理だった。始めて体験するが、見た感じヘルシーでダイエット中の女性には好まれそうといった感じの印象を受ける。
「うん、美味しい」
箸を持って、昼食にありつく。
「刄さんって、妖怪なんですよね?」
「?
そうじゃけど......。それがどうかした?」
「刀の妖怪なのに食事が必要なのかなって思って」
「別に食事はせんでも、俺の場合は死にゃーせんよ。じゃけど、これでも元は人間じゃけぇね
食欲は未だに残っとるし、食べれるのなら、食べておきたい」
「元、人間......。じゃあ、何で妖怪なんかに」
「そりゃ、俺にも分かりゃせんよ。気が付いたら、刀になってて、元の名前なんかも忘れてしもうとったけぇね」
「もういいだろ、斎藤。そういうのは無遠慮に聞く事じゃないぞ」
「......すみません」
「別に気にしゃあせんよ。もう終わった事じゃし、大切なモンはちゃんと残ってる」
別に過ぎ去った事は仕方ない。取り返す事なんて無理だ。だけど、大切な物は俺の中にある。この経過は誰でもない俺の物で間違いない。それは俺が一番分かっている。
「後悔なんざ、刀になった時点でかなぐり捨ててきたけぇね。後は笑い飛ばすしかなかろうよ」
笑い飛ばせるのなら、俺はまだまだ、やれる。まだまだ、進める。まだ、何も塞がれていない。
「......笑い飛ばすか...。俺には」
彼は小さく呟き、少し、暗い表情を見せる。
「今度はちゃんとぶん殴らないとな」
払拭するように、そう言うも、その台詞何となく似合わないような気がした。
午後、再び、修行を開始する。薪君は再び、外での組み手に、俺は座禅の続きをする。
これが正解かどうかは......、いや、正解はないのかもしれないが、俺にとっての正解はこれだと信じたい。
「ふむ、午前より大分、安定した
どうやら、自身の臍を見付けたみたいだな」
一先ずは、合格出来たようだ。
「おっし...」
思わず、そう声が出る。
出来たという結果、成果を達成する事は俺個人からすれば、嬉しい事の一つだ。
「これで座禅は卒業した。今度は実戦に入るとしよう」
そんな訳で俺も野外へと出る事となった。外へと出ると薪君と烏天狗の一体一の模擬戦闘が繰り広げられていた。
彼の拳は軽々と回避され、烏天狗はまるで宙を舞うが如く、あしらうように相手の動きを見切っていた。
薪君は自身のあの炎の技を使う様子もなく、ただひたすらに近接戦闘をしていた。
「火葬士の倅はどうだ、刄」
そう天狗に尋ねられて、
「何て言うか、薪君に似合ってないように見える」
俺はそう答える。
「ほぅ...、成る程な」
「確かに妖怪退治にゃ、体力とか身体能力は必要じゃろうけど
火葬士っていうのは火を操る事を得意としてるイメージがあるんじゃけど...」
ついでに俺の見解を口にする。
「まぁ、本人が自身の身体能力でどうにかしたいんじゃったら、話はべつじゃけど」
「火葬士というのは基本的に炎を操る事を得意とする一族だ
あの倅は人間の術士にしては高い身体能力を持っている。お前さんの言う通り、別に相手の土俵の上で戦う必要はない
それと焦りを感じる。人間の寿命は短いが、あの倅はまだまだ若い。焦る事はない。それとあのバカ共は悪ふざけが過ぎている
少しばかし、お灸据えてやらねならん」
確かにおちょくっているように見えなくもない。
「二対二の模擬戦闘...、ですか?」
先程まで模擬戦闘は中断された。
「ああ、そこの妖刀はまだ不安定な部分が多いが、経験ぐらいはさせてやってもいいだろう
聞いた話によると、そこの倅の付き人らしいではないか
経験ぐらいはさせておいては損はない。いいな、倅」
「私達は構いませんよ
二対二なんて言わずに二対一で」
「薪坊が私達に烏天狗に勝てるとは思っていませんが」
どうやら、彼らは俺達を舐めているようだ。俺のような妖怪成り立てと人間では足元にも及ばないと。
「分かった。お前達がそう言うのであれば、そうしよう
それと、火葬士の倅、薪よ。遠慮しなくていい。あやつらとていっぱしの妖怪だ。そう簡単には死にはしない」
「ですが...」
「遠慮しなくていい」
因みに俺は刀に鎖を巻かれ、抜けないようにされてしまった。流石に斬ってしまうのは良くないという事で、それはそれで仕方がない。
そんな訳で鬼条薪、鬼条刄対烏天狗の模擬戦闘が始まった訳だ。
俺は一先ず、呼吸を整える。自身の刀の柄から全身へと力を循環させる。未だに不安定だが、今まで変わらない。ただ、出来る範囲で殴ればいい話だ。
駆け出して、向かうは烏天狗。正直に真っ直ぐ、鞘に収まった刀で殴り掛かる。
「!?」
相手は思わず、横へと避けてしまった。やはり、相手は天狗だけあって素早い。その素早さはあの黒い獣より速い。だけれども、俺にゃ関係ない。これはただの模擬戦。
勝っても負けても、そんなのはどうでもいい。俺の目的は力の安定だ。
そんな訳で俺が勝手に暴れている訳ではあるが、彼は手を出してこない。それは何か違うようにも感じる。
これじゃあ、模擬戦闘の意味がない。
「やれ、たいぎーのぅ...」
思わず、力が抜けてしまう。彼が何に迷っているのか知らないが、何となく気に食わなかった。
俺一人が本気になっているなんて馬鹿らしい。そう思っていると、相手の蹴りを食らい、自身の本体を落としてしまった。
「大天狗様、見ての通りですよ」
そう烏天狗の一人がそう言った。
「お前達は分を弁えろ。でなければ、足元を掬われてしまうぞ」
「そのように仰いますが、成り立ての妖怪と人間では実力に差があるように思えますが?」
「はぁ......
今回の修行はここまで、解散だ」
そういう訳で午後の修行は呆気なく、幕を閉じてしまった。
薪君らしくない。あの生き霊の事件のような、あの黒い獣ような立ち振舞いはどこに行ったんだ。何を戸惑う事がある。
「どうしたんじゃ、らしくないど」
畳の上で、らしくなく、俺は彼にそう尋ねてしまった。自分らしくないと思いながらも、聞かずにはいられなかった。
本当に自分らしくない。やれ、どうしたもんかねぇ...。
「......」
しかしながら、彼は何も答えない。黙りこくったままで返答がない。
「たいぎーのぅ......」
そう、小さく呟いて、その事に対して触れる事を止めた。彼がどうして、炎を使わないのか分からない。別に遠慮する事はないだろう。それらは使い分ければ済む話なのだから。
聞いたとしても、答えてくれないのなら、ほっとくしかない。ほっといて、余り過ぎる時間は力の循環、座禅へと使う事にした。何か出来る時間があるのな何もしないのはもったいない。
彼の事情を忘れるように座禅、瞑想へと集中させる。未だに波紋に揺らぎ、力は乱れているが、最初に比べれば、比べ物にならないぐらいには安定していた。この状態を常に戦闘状態ではやらなければならない。そう考えると今度の段階ではこの座禅ではなく、行動の中にこの状態を用いなければならない。それならば、今は座禅ではなく、行動の中にこの状態を用いるようにしなければならない。そうしなければ、次の段階に踏み込めない。
そういう訳で次の段階に入るべく、力を循環させた状態で目を開けて、座禅を組んだ状態から立ち上がろうとした瞬間だった。
「あれ?」
先程まで身体中に循環させていた筈の力の循環はいつの間にか消えてしまっていた。それは力が緩んでしまったからなのか分からないが、そこには妖力と霊力の循環はなかった。
仕方なく、もう一度、座禅を組み、力を循環させ、安定させるも、立ち上がろうとした時には力の循環は消えてしまっていた。どうやら、次の動作をする時には力の循環は消失してしまうようだ。
それって、結構、難易度高くないか。
いや、でも、戦闘の時にはちゃんと力の循環は出来てた筈だけど...。
「基礎が出来てるのなら座禅じゃなくて、構えを取ってからやってみろ」
そう声が聞こえて、目を開ける。声がした方向を見るとそこには定位置から何一つ動いていない俯いたまま薪君の姿があった。
「......」
一先ずは彼の言う通りに座禅から構えを取った状態で力を循環させる。不安定ながらも、自身の本体から仮初めの肉体へと力が循環しているのが分かった。
「座禅した状態で力を循環させるのは感覚を掴む為、実戦じゃ座禅なんて組まないだろ
一度、感覚が掴めているのなら、座禅じゃなくても出来る。それを立てっている状態で安定して出来るようにするのがベストだ」
流石だ。俺より力の循環には慣れているのは当たり前だ。何せ、彼は妖怪退治の専門家なのだから。
「......模擬戦、遠慮なんか必要なかったんじゃないかねぇ?
何に躊躇しとるかは知らんけど、力の加減ぐらいは...」
「.........無理だ。一度、俺は殺してるからな」
そう彼は声のトーンを落として、そう言った。構えを止めて、彼の方へと見る。表情は見えないものの、どこか暗い雰囲気を感じさせる。
彼はそれ以上は語らなかった。
殺してしまった。その言葉はどのような状況であろうと穏やかな言葉ではない。誰を殺めてしまったというのだ。妖怪退治を生業としている一族ならば、妖怪を殺す事なんて日常茶飯事だろう。それでも、彼が殺してしまったと言っているのだ。もしかして、人を殺めてしまったとか、それとも、無関係な妖怪でも殺してしまったというのだろうか。だけど、彼にとって殺してしまった相手というのはどうしても無視出来ない対象だったに違いない。それが彼のトラウマなら仕方がない。そのトラウマのせいで模擬戦闘に炎を用いる事を躊躇している。だからこそ、模擬戦闘で自身の炎なんて使いたくなかったのだろう。
「じゃあ、仕方ねぇか」
仕方がない。それこそ、割り切らなくてちゃいけない事だ。咎めるなんて事も出来そうにない。訳ありならば、強要も出来ない。
それに考え込むのも、面倒だ。彼のスタンスがあるのなら、突っ込んで突っつく必要もない。彼自身がこの修行で炎を使わないと決めているのだから、口出しするのも筋違いだという事に今更ながら気が付いた。
相変わらず、俺は頭が弱い。馬鹿なのは変わらない。何かが変わったつもりでいるけど、どうやら俺自身の本質は変わっていなかったようだ。
俺はまだ、彼の事を知らなかった。知ったかぶりになっていた。それこそ、恥ずべき事だ。俺自身は偏見に傾くような人間なのも忘れてしまっていた。
思い返して周りに迷惑を掛けてきた自分自身が脳裏に浮かび、我ながら恥ずかしいと思ってしまう。過去に戻れるのなら昔の俺を蹴飛ばしてやりたい。まあ、そんなどうでもいい事は置き去りにしておいて。
今は自分の事だ。彼は自身の力を御する事をマスターしているようだし、力を付けておいておくのは損にはならない。
彼の為になんて恩着せがましいけれど、現在、付き人であるが故に、そして、彼の祖母によろしく頼まれているのだから、責任なんて抱えたくもないけれど、それでも、彼の隣にいるのだから。
勝手な責任感を抱えてしまっているだけで、彼の為ではなく、これ自体はただの偽善でしかない。それを差し引いたとしても、やはり、俺は強くなりたいと思ってしまう。
「助言、ありがとう。後は勝手にさせてもらう。俺が偉そうに言う事じゃないけど、薪君も好きにしたらいい
おたくの事情は知ったこっちゃないけぇね。打ち勝つに行くのも、逃げるのも個人の自由じゃ。まぁ、それが薪君の優しさなのか、それとも、自身の弱さなのかは分かりゃせんけど
ほんでも、実戦じゃあ、しっかりしてくれよ。迷うなとは言わないけど、自分の足元はちゃんと踏み固めといてくれりゃええけぇ」
感謝の言葉を述べた後、薪君に対して冷たい態度だったかもしれないが、実戦において模擬戦闘のような状況は許されない。躊躇なんて出来ないし、襲い来る相手は斬らなければならない。
「分かってる。ちゃんと、仕事は全うする。俺にとっての悪、敵は灰塵させないといけないからな」
それに対して、落ち着いたようにそう口を開く。どうやら、その覚悟はちゃんとあるようだ。その言葉を聞いて、少し安心する。
「それなら、構いやせんか」
彼のトラウマは払拭は出来ていないが、それを今どうこうなんて出来もしない。きっと、いつかは足元が掬われる事だってあるかもしれないが、その時の覚悟を俺はしないといけないのかもしれない。身を守る為の躊躇しない覚悟なんて俺にあるのだろうか...。
そう思いながら、再び、構えを取って、力を循環させる。波紋に乱れ、それでも綺麗な形を求める。
俺はきっと、弱い。偽善を通すのであれば強くなるしかない。
「先輩、刄さん、夕食です」
そう声を掛けられて、いつの間にか時間が過ぎ去っているのに気が付いた。
夕食は昼とは多少、違うものの、やはり精進料理だった。箸を持って、ご飯に手を付ける。
天狗達の姿がないが、森へと帰っていったらしい。朝に見掛けた河童達の姿はあった。そう言えば、彼らも何らかの目的があってここにいるのだろうか?
「倅、倅、修行の方はどうだ?」
そう一人の河童が彼に尋ねる。
「まぁまぁ......だな」
「そうか。オイラ達は夏の相撲大会に向けて、精進してる
倅も頑張れよ」
成る程......、相撲大会...。そういうのがあるのか?何にせよ、彼らもそういう目標があってここにいるらしい。
「何て言うか、......本当に妖怪はいるんですね...」
薪君の隣で夕食を食べている斎藤君が今更ながら、そう口を開く。
「もう、見慣れてるだろ?」
「それは......、そうなんですけど...。こうして、河童とか天狗とかが多く集まるのなんて見た事はなかったし...。というよりも、つい最近まで妖怪なんて信じていませんでしたから」
「それもそうか。俺も斎藤君と一緒じゃ。元は人間じゃけど、こうなるまで妖怪がいるなんて信じてなかった。フィクションの中の存在じゃって、思っとったし」
アニメとか漫画とかの存在。語られる伝承なんてたかが人が語り継いできた、人が作り出した物語と一緒で嘘の存在だと思ってきた。
しかしながら、河童に天狗、幽霊を目の当たりにしてしまえば、信じざる得ない。そして、今まで知らない世界に俺は立っている訳だ。思えば、けったいな世界に踏み込んでしまったものだ。何せ、魂の証明までもされてしまっているのだから。
八百万の神とはよく言ったものだと、何となく感心してしまう。
踏み込んだばかりの世界に慣れ親しみは未だに持てない。妖怪世界からすれば、俺は生まれたばかりの赤子同然。歴史の浅い妖怪だ。
修行は始まったばかりではあるが一日が終わる。それでも、大きな収穫があったと思う。力の循環は基礎中の基礎ではあるが、それを習得出来たのは大きな一歩だと思いたい。
今回は汗をそんなには流さなかったものの、風呂に入ってさっさと休みたい物だ。刀の俺が汗をかくのかと突っ込むのはなしだ。そういう、野暮は入れてくれるな。俺は元人間で、現在は妖刀だ。俺の意思を勝手に解釈されて困るという物だ。




