退院、笑顔、家族。
「それでは、また何かあったらすぐ来てくださいね。」
「はい。分かりました。これからもよろしくお願いします。」
僕は余の主治医から退院前の説明を聞き終えて、余のいる病室へ向かう。
あの僕らの周りが一気に変化した日から二つの冬を越えてもう梅の花が膨らみ始めている。
僕は少し前に高校を卒業した。この四月からは地元の国立大に通い始める。上手く推薦が貰えたので入試は案外楽だった。
この一年半何度歩いたか分からない病院の廊下を歩いてナースステーション近くの一人部屋に入る。
「余。準備出来てるか?」
僕が余に声を掛けると余は座っていたベッドから立ち上がってこちらを向いた。
紺色のスカートに白いブラウス。大分伸びてやっと肩にかかるくらいまでになった髪は右側で編み込みがしてある。
そしてもう手放せなくなった色付き眼鏡を掛けている。
「うん。」
前髪が掛けられている左頰には大きな傷跡が残っていて左目は殆ど動かない。救急車で運ばれて命さえ取りとめたものの、左目を失ってしまったのだ。
入院期間は長かった。顔の怪我や、目の治療を行っている間はそれに精一杯でまだ落ち着いていたのだが、それが終わり、時間ができた頃に母親が亡くなったことを伝えられると途端、気力を失ってしまい精神的に不安定になった。
そののせいで退院までこんなに時間がかかってしまったのだ。
一年半だ。
それは僕が高校を卒業してしまうほどの期間だ。
余は一応停学中となってはいるがこれからどうするかは余次第。まあ、最後に登校した日にあんな事があったのだから、行かないように思う。
僕は余に近づく。
「これ、あらちゃんがしてくれたの。」
余は右側の編み込みに軽く触れて言う。
あらちゃんとは確かにお世話になっていた看護師さんだったはずだ。嵐ヶ丘さんだったかな?
「そう。いいね。」
「うん。」
余はあんまり表情を変えなくなった。特にあの作り笑いは全くしない。
それも精神的に落ち込んだ所為なのかとも思えたが、よく考えると今まで作っていただけで本来の気質は落ち着いたものだったはずだ。
この一年半、父親はなんだかんだ言って僕と一緒に暮らしてくれたし、時折母親も帰ってきた。天涯孤独になった余の治療費も僕の両親が持ってくれた。僕は何となく親のことを疑いつつも家族がいると実感が持てる時間を過ごせた。
僕の卒業と同時に父親はまた家を出た。けれど、盆暮れ正月くらいは母親と一緒に帰ってくると言っていた。期待せずに待ってみようと思う。
一年半前だったらそれすら思えなかっただろうから僕は変わったのだと思う。
何となく家族というものがあると分かったのだ。
今だったら余があれだけ虐待を受けつつも母親への執着を無くせなかった理由も分かる。
ちゃんと家族がいると思いたかったのだろう。一人じゃないと思いたかったのだ。
今思うと僕も余に執着していたのだから、自分も余と変わらない気もする。
でももう余に家族はいない。
僕は諦めていたものを諦めながらも手に入れることが出来た。けれど、余は求め続けて結局失った。
皮肉なことだ。
余はまとめた荷物をベッドの下から出して近くの椅子に置く。
「持つよ。」
「ありがと。」
僕はその荷物を手に取る。すると余はトコトコと長い間過ごした病室を外に向かって歩き始めた。長く過ごした病室、愛着とか言うものは全く無いようだ。
僕の方は少し感慨深いのに。
「ちょっと待てよ。」
僕は荷物を置いき余を呼び止める。
すると余は立ち止まる。
「何?」
僕は振り向いた余の手に、修学旅行の時に買ってから渡せていなかった簪を掴ませる。
「退院祝い。」
余は目を丸くする。
それから余に近づいてこう言う。多分僕がずっと余に言いたかったことはこれなんだろうと思う。
「なあ、僕と家族にならない?」
僕が離れれると余はもっと目を大きく開いていた。
余はそれから少しして手の中の簪を見てにっこり微笑む。
それから僕の方を見て少し頰を赤らめた。
うん。優しくていい笑顔。
そして余は恥ずかしそうに簪を編み込みへ差し込んだ。
今まで読んでいただいてありがとうございました。この物語はとりあえず終わりです。
若しかしたらこの物語のキャラクターを使ったものが出るかも知れません。お付き合いありがとうございました。
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