平穏、治療、荷物。
自らの処置を終えいつものように浴衣姿になる。糊付けしてある奴なのでパリッとして着心地悪いが気分は良い。
洗濯機は勤勉に働いている。余が放置してあったシーツを入れて起動してくれたのだろう。
洗濯物も置いてない。これもまた余が干しに行ってくれたのだろう。
殆ど僕の物なので、手伝おうとキッチンの勝手からスリッパをつっかけて外に出る。
「おう、サンキューな。」
甚平姿の余は風に揺れるタオルの向こうから顔を出した。左腕には包帯がある。
「ああ、うん。全然。」
まだ余は少し気まずそうだ。
僕は洗濯カゴに残っていた自分の下着等を物干しハンガーの洗濯バサミに挟む。余も一応僕の下着を干すのには躊躇したのだろうか?
山の裾野とはいえ家の周りは切り開いてあるため日があたる。今日はよく乾きそうだ。あと二、三回は干すことになるけれど、場所は足りるだろうか。まあ、足りなければ洗濯ロープも使えばいいか。
うん。いい天気だ。
僕はカゴを脇に抱えて屋内に戻る余を追いかける。
「きー、次は私の洗濯していい?シーツと一緒に少しは入れたけど。」
「ああ、うん、そのつもり。」
余は洗濯の予定を尋ねながら自分の旅行カバンを漁り始める。女子にしては小さいものだ。けれど、それでも少なくない衣類が詰まっているのは修学旅行の間着ていた服を思い出せば想像出来る。
「なあ、余。消毒したか?」
血が多く出ていた左腕こそ包帯が巻いてあって、手当をしたようだが、この短時間で全身の傷に処置を施したとは思えない。
「してない。」
余はほんの少しカバンを漁る手を止めて言った。
「やろうか?手の届かない所もあるだろうし。」
「ん?ああ、頼んだ。」
次に洗うべきものをまとめながら余は返答する。まだ先程までの事を引きずっているのか、それともただどうでもいいと思っているからなのか、ぶっきらぼうに答える。
否、幾分か落ち着けているのか。素に近い様子だ。
「頼まれた。」
僕はさっき使った後、棚に戻した応急処置セットを取りに行く。
消毒液とガーゼ、あとは肌用のテープくらいでいいだろうか。
うん、絆創膏も持って行こう。
僕がリビングに戻ると余はソファーに腰掛けて牛乳を飲んでいた。
そういえば余、朝食は取ったのだろうか。
食べてなさそうだな。
「余、朝、食べたのか?」
「もちろん。今取ってるよ。」
余はそう言って牛乳の入ったグラスを掲げた。
うん。落ち着いているというか気楽な感じか。
やはり、取ってないらしい。
僕は手に消毒液なんかを持ったまま、キッチンの肥やしになっていたスナックバーを取って余に渡す。
「ほれ。」
「サンクス。ああ、なんだ。リンゴ味か、これ不味いんだよな。チョコ味無い?」
僕はそういうものを口にしないので分からないが、余は口にする機会があるらしく、そんなことを宣った。
「んなもんない。」
僕が隣に座ると余はソファーの上に足を伸ばして座り僕に背を向ける。傷の多くが背中に集中しているので妥当な体勢だ。
とはいうものの余は甚平の上衣を着たままスナックバーをポスポスと齧りだし、僕は手持ち無沙汰になる。
「おい、早く脱げよ。」
僕は催促する。
「へっひへんへひふへへ。」
「飲み込んでから喋れ。」
僕は余の頭を軽く叩く。
余は牛乳を一口含んで、コクンと口腔内の物を飲み込む。
「えっち。」
「はいはい。」
僕は余の戯言を無視して甚平の紐を解き始める。
右脇の外側にあるのはすぐに解けたが左側が上手くいかない。
僕は余の肩越しに覗き込む。
「なんだ。着けてんのか。」
ついでに下心から胸を見ようと思ったのだが、ちゃんとガードされていて無理だった。
いやまあ、「発作」の時は基本見放題なのだが。まあ、そういう時だとそれどころじゃないので正直ありがたみが無いのだ。
「ねえ、何?見ようとしてんの?変態?」
余はあからさまに眉を顰める。
「いや、まあ、見ておこうかと。」
「ラッキースケベか。」
余はそう言って僕の頭をチョップする。
「痛い、ラッキースケベとはなんか違うんじゃないか?元々僕が脱がしてんだし。」
まあ、脱がしてるのもどうかと思うけどね。
「そういう話じゃなくない?」
「はいはい。」
僕は適当に流す。それから、余から食べ終わったスナックバーの袋と牛乳の入っていたグラスをもぎ取り、邪魔にならないローテーブルに置く。
「もう、誤魔化さないで、さっきだってお尻覗いたり、他も見ようとしたりしてたよね。」
やっべぇ。バレてた。
余さんはお怒りだ。
僕は脱がしていた手を一瞬止める。
「ああ、まあ、それは、傷がどんなもんかと思ってな。」
事実だ。事実だよ。
「ふーん。」
余は半眼で僕を眺める。
はてさて審判や如何に。
「まあいいや。ほら、早くしてよ。」
よし、勝った。
「了解。」
僕はそう答えて余の上衣を剥ぐ。
もう既に少し見慣れた余の背だが、落ち着いてみると改めて生々しさを強く覚える。
「沁みるぞ。」
僕はティッシュペーパーに消毒液を浸けたのを血が出ているところに当てていく。
「あーいたいいたい。」
余は何か大げさに言った。だけど、棒読みだ。
多分冗談のつもりなのだろう。
僕は絆創膏だとカバー出来ない程長いもある。
「絆創膏貼るか?」
「いや、いいよ。あのガーゼの無いやつでしょ。」
「でも、こっちのが早く治るらしいぞ。」
僕は自分にも貼った大きめの絆創膏を取って言う。
「ん?あれ、消毒しない方がいいんじゃないっけ。でも、私の場合、消毒はした方が良さそうだし。」
余は少し首を捻って肩越しに言った。
「えっ、ほんと?」
「うん。使用上の注意に書いてあったよ。」
「マジか。読んで無かった。」
じゃあ、僕ずっと間違えてたのか。
僕は箱の取説を見る。
「ほんとだ。」
使ってる僕が確かめてないのに余はちゃんと知っていたのか。
「でしょ。だからさ、ガーゼでも当てといてよ。面積も広いし。」
もう既に消毒はしてしまったし仕方ない。
「了解。なんかすまんな。」
「いやいや。」
僕は消毒を終えてガーゼを適当に切り始める。
「そうそう、きー。」
「ん?何?」
「修学旅行、ありがとね。色々驚いたでしょ。振り回しちゃった。」
余は話を変えてそう言った。
肩越しに見える目は静かに笑っている。
「いや、楽しかった。多分長良と二人より気楽に廻れたしよかったよ。」
僕は正気に答える。
「そう?」
「ああ、三日目は四人で廻れて、夏穏さんも面白かったし。」
中々夏穏さんはいい性格だったよ。本当に、長良がタジタジで面白かった。
「ふふ、あの子面白かったでしょ。」
余は楽しそうに笑う。
「うん。まあ、なんか予想外の事ばかりで驚いたけど、ほんと、楽しかったよ。」
「そっか、それは良かった。」
余はうんうんと頷く。
「実はね。私が焚きつけたんだ。あの二人。」
そして、余は自白した。
「ああ。」
僕は「やっぱりな」とも「ああそれで」とも思った。
「あれ?先刻承知だった?」
余はふわっと言った。
「んー、まあ、なんとなくかな?」
「うん。そっか。」
「まあ、一応関与してはいるんだろうなとは思っていたよ。ほら、二日目の夜の事とか。」
「ああ、そうかも。」
「長良のチキンっぷり聞いてたらさ、そんな、大胆な行動、やすやすと出来るように思えなくってな。」
手を出していいのかどうか分からないまま彼女の部屋に行って、しかもそのまま何もせずに一晩過ごすとか。
「あー、昨日もまだチキンチキン言われてたね。」
昨日は修学旅行のことを引っ張って四人で話したりとかしてしまった。僕は背景に徹することは出来なかった。
もしかしたらこのまま僕は背景に戻れないのかもしれない。
それは困るな。
まあ、それも楽しいのかもしれないか。
「うん。あれ長引くだろうな。なんか二人とも楽しそうだったし。」
「確かに、あれは二人とも遊んでたね。なんかどうして今まで隠してたのかわからないくらい。」
余はからからと笑う。
「そうだな。」
「それにしてもあれだけ御膳立てしてなんも無かったってのは残念だったなー。なんか探りを入れてみても本当みたいなんだよ。」
余は向こうを向いたまま首をかしげる。
「そうか?」
僕は疑念を呈する。
「なんで?」
「だって、嫌だろ知り合いの情事の話なんか?」
普通に気まずいじゃん。
「ん?ああ、まあ、確かに。そうだね。うん。嫌かも。」
余は釈然としないようだがなんとなく頷く。
「ほれ、終わったぞ。もう服着ていいぞ。」
一通り手当を終えた。
すると余はこちらに体を向ける。
服着ろよ。
「あれ?一緒の部屋に押し込められただけで何もできなかった人にチキンって揶揄しているきーは脱がした女子を何もしないなんてないよね。」
そう言って余は下着を着けたままの胸を両の腕で持ち上げる。
残念だ。持ち上げているとは思えない薄型。というか持ち上げられていない。
「はいはい。仕舞っとけな。」
「はーん。やっぱりきーもチキンか。鍬柄君の事言えないね。」
余は半眼でそう言う。
こいつ、何がしたいのか。
「はっ、そんな、ないない。」
「いやいや、こんな可愛い女の子が近くにいるのに、覗きくらいしかしないじゃん。」
それもどうなのか。逆に変態チックだ。
てか、余さん。自分で自分を可愛いっていいますか?
まあ、噓じゃないけど。
「ほう。」
「まあね。別にいいんだよ、チキンでも。仕方ないよチキンなんだから。」
余は挑発する。
「そんな、見くびってもらっちゃ困るな。」
ここまで言われたら張り合わなければ漢が廃る。まあ、僕、ひょろいけど。廃る漢がまずない気もする。
「ふーん。じゃあ、何か出来るのかな?」
余はさらに調子に乗って、僕を押し倒す。
うん。ここまでされて何もしないのはやっぱり沽券に関わる。しかし、どうするべきか。
脇でもこそぐるか。
否、そんなことではまた誤魔化したとか言ってチキン呼ばわりされる。駄目だ。
では余の薄型胸部装甲にタッチ、それからズボンに手を入れるとかどうだろう。
否、あほか。そういう関係になってしまえば今の関係が壊れてしまう。まあ、壊れてもいいような歪な関係とも思われるけれど。それでも壊れた上でもっとぐちゃぐちゃになるのは避けたい。案外そういう関係になった方が普通になれる気もしないでもないけど。
ではどうする。
こういう時とっさにいい考えが浮かばない自分はコミュニケーション能力が低いと思う。
「チキン。」
余は僕の耳元でそう言う。
なんだろう。余は修学旅行であの二人を嗾けたように僕のことも嗾けているのだろうか。嗾けることが楽しくなったとかだったら困る。
というか、嗾ける相手が自分だということは理解できているのだろうか。
余が接近してきた所為で、殆ど距離が無い。「発作」の時以外でこうも近づくのはそうないので動悸が激しくなる。
これは精神的に不安定になったときの動悸ではなく、普通に恥ずかしくなってあがった動悸だ。多分。
余の頭は僕のすぐ斜め前にあって僕の目の前には余の小さい耳がある。
あっ、これだ。
僕はそう思うやいなや余の耳に齧り付いた。
「えっちょ。」
余は戸惑いの声を上げ、身悶える。
一度ははそれに振り払われるが、またもう一度聞きに齧り付く。歯を立てないように気を付けながら、余の耳朶を甘噛みしたり耳の穴の周囲を舌でなぞったりする。
余はどこから出したのか分からない声で「あふぇ」と言う。
よし、勝ちだ。
僕は片手で余の頭を押さえて逃げられないようにし、耳の裏側を舐め上げる。
「きー、ダメだって。」
余は力尽きたように自分で体を支えるのを諦めたように僕の上に落ちてくる。
やばい。
由々しき事態だ。
やり過ぎた。「発作」の時だったらあるけれど、それ以外で余とこれほどまでに密着したのは初めてだ。
余ってこんなに艶めかしい息遣いしたっけ。
僕は自分の顔が熱を帯びていくのを感じる。
余の耳も真っ赤だ。
密着した体も火照っている。
僕は余の耳を舐めながら余を抱えて上体を起こす。
余はされるがままだ。声を出さないように唇を噛んでいる。
すごく、色っぽい。
須臾、そんな姿を眺めて僕は反対側の耳に狙いを移す。
余は息だか、声だかわからないような音を発しながら、僕を引っ張って仰向けに倒れる。
そのせいで僕と余との間が広がる。余の上に覆い被さって、押し倒しているような状態だ。もう、耳を舐めることが出来る距離でもない。僕の目は鼻先から二十センチ程の所にある余の上気した顔ととろけた目元に釘付けになる。下に寝転ぶ余の体は息をする度に大きく動いている。
ああ、僕もだ。僕も息が上がっている。心臓もドキドキしている。こんなに動いていて大丈夫なんだろうか。
僕が余の頰を撫でると余はこくんと頷き、そして、小刻みに唇を震わせながら目を瞑り、口元をツンと突き出してくる。
それに僕は促されて余の顔へと吸い込まれていく。散らばった長い髪、痩せて細い首、閉じた目から伸びる長い睫毛、生物とは思えない白い肌、そのどれもが愛おしくて仕方ない。
余ってこんなに可愛かったっけ。まあ、美人だけどさ。
僕は一度余の頭を撫でてから少しずつ顔を下して行く。
ああ、これでいいのだ。
これで新しい関係がまともな、世間向けな関係になれる。
よし。
これで。
ピーーンポーーン。
「こんにちは、お届け物です。」
僕と余は二人同時に目を最大限に開ける。今までの人生でこれ程大きく開いたことはあるだろうか。
そして、静止。
頭が真っ白だ。
えっとなんだっけ。
「すみません。いらっしゃいませんか?」
また宅配業者の呼び出しがかかる。
ああ、そうだ。宅配便だ。
「はっ、はいぃぃぃぃぃぃぃ。います。います。」
完全に裏返った声で返事をして余から体を離す。浴衣を正しながら玄関に走る。せっかく糊付けしたばかりの浴衣なのにしわが出来てしまった。
玄関を開けると宅配員のおっちゃんが僕の浴衣と乱れた息づかいに訝しげな眼を向けつつ二つの荷物と伝票を差し出してくる。
僕は伝票にサインする。
「重いから気を付けてな。」
「はい。ありがとうございます。」
僕はそう言って段ボール箱二つを受け取り玄関に下す。
ふう。
少し落ち着いた。
ああ、もう、調子に乗り過ぎだ。
僕は頭を掻きながら玄関の鍵を閉める。それからまた段ボールを持ち上げてリビングに戻る。
気まずい。
余はきちんと甚平を着てソファーの隅で、クッションを抱えてうずくまっている。
気まずい。
十一時半。
こんなに時間経っていたのか。
おかしいだろ。
余も僕もノリがいい方じゃないと思っていたのになんてことを。
「なあ。余。」
「何。」
余はクッションのせいで変な声だ。
「昼飯、食う?」
僕はダンボ―ルを開けながら言う。
「じゃがバター。」
余はクッションを捨て、立ち上がって言う。
元気だ。
目が合う。
逸らす。
やっぱり恥ずかしい。
「ねえ、きー、えっと、あの、無かったことにしよう。」
余は目をきょろきょろさせて言った。
「うっ、うんうん。なんも無かったよな。無かった無かった。」
「そうそう。じゃあ、食べよっか。じゃがバター、じゃがバター。」
二人でうんうんと頷きあう。
僕は二つの段ボールを開けてジャガイモを探す。
「余、ジャガイモの箱じゃないや。」
「じゃあ、ラーメン。」
「ああ、あるある。」
僕は札幌の有名店監修の袋麺を取り出す。
「じゃあ、作ろうか。」
「うんうん、そうしよう。」
「じゃあ、湯でも沸かしてよ。」
「うんうん。」
はあ、まあ、何とかなったかな?




