第二部第三十六章
「時実に会わせて欲しい!」
重ねて訴える盛高に、ゆきは当惑した。
盛高の誤解が既に解けたことは分かっていたが、住蓮は、それでもまだ盛高と再会を果たすのは時期早々、と考えて顔を見せないでいた。
周囲も同意見であった。それは、いくら口では「誤解だった」と言ってはいても、心の整理がついていない状態で顔と顔を合わせれば思わぬ事態が生じないとも限らない、と皆が考えたからである。
「盛高が心に育んできた復讐心は、そう簡単に消えるものではあるまい…」
そう誰もが不安に思っていた。至極当然のこととは言えた。
ゆきも例外ではない……。
「盛高様、もう少し時間を置いて……」
ゆきがそう言いかけたのを、盛高は首を横に振って、遮った。そして落ち着いた口調でこう言った。
「違う、違う……。直接本人に会って謝りたいのだ。心の底から!本当に、私の勝手な思い込みで、彼を追い詰めたことを。それに……」
ゆきは、これを聞いて驚くと同時に、それでも安堵の表情で顔を和ませた。
ゆきの表情が緩んで、笑顔が戻ったのを見て、盛高も表情が和らいだ。
彼は続けた。
「それに、妹、時子の面倒を最後まで献身的に見てくれた御礼も言わねばならぬ……」
ゆきは答えた。同時に涙が頬を伝って流れ出した。
「分かりました……。分かりました。盛高様、本当に誤解を解いてくださって有難うございます。盛高様と住蓮様が顔と顔を合わせ、正式に和解されれば、時子様もきっと喜んでくださるでしょう!」
盛高も頷いた。
「時子の墓参りもせねばならんしな……」
「まことに」
盛高も涙顔になっていた。
時子のことを思いだすと、盛高は心が痛んだ。彼女の一番辛い時期に自分は傍にいてやれなかった。思えば、自分が家を出るとき、すでに妹は発病していたのだろうか?――様々な思いが脳裏を駆け巡るたび、盛高は若気のいたりで家を飛び出してしまった自分を責めるしかなかった。
「人を責めるばかりで、本当に責められるべきは己の身勝手さだった!」
心からの悔い改めであった。
「時子は、最後は、最後は苦しんだのか?」
盛高のこの問いに、ゆきは、一瞬天を見上げた。この質問にはどう答えたらよいのだろう?真実を伝えることが果たして……?
少し間をおくと。彼女はこう盛高に答えた。
「おときさん……、いえ、時子さんは、最後は住蓮様の腕の中で、安らかに息を引き取られました」
これを聞くと、盛高はため息をついた。そして目を瞑って黙ってしまった。
「おそらくは、嘘をついてるのだろう――そんなことは分かっている。最後は苦しんだに違いない。いや苦しんだに決まっている。それは断末魔にも似た苦しみであったろうか……」
彼の心は悲しみで満ち溢れた。
「いやそんなことは分かっていることなのに、あえてこんな質問をした自分を慰めようと、ゆきさんは嘘までついているのだ!――いや、自分が嘘をつかせているのだ!」
いろんな思いが心に渦を巻いて、盛高を苦しめた。すると、盛高は自分の愚かさにも腹が立ってきて、手をぐっと握り締めた。
「俺が馬鹿だった!」
そう吐き捨てるとあとはただ黙っている……。
そんな盛高の心情を察してゆきは、こう慰めの言葉をかけた。
「盛高様、時子さんは、本当つらい日々を過ごされたと思います。でも……」
「でも?」
ゆきは盛高に手を差し伸べると、労わるように彼の手を優しく握った。そして続けた。
「彼女は、本当、多くの仲間に支えられていました。あの里の中でも人気者でしたし……。血を吐いて倒れてからというもの、皆が代わる代わる寝ずの看病を続けました。彼女のためなら、と皆が必死で頑張りました。臨終のおりも、皆に見守られ、息を引き取られました……。」
「そうか……」
盛高は天を仰いだ。
「盛高様、盛高様にはお願いがありまする。時子さんのために……」
ゆきは、盛高の目をしっかりと見据えると、続けた。
「時子さんは、生前故郷のことを思い出しては、よく涙しておられました。私たちもよく彼女から聞かされました、馬渕の里の話……。盛高様、どうか彼女の遺灰を故郷へ持ち帰り、そこの地に埋めてあげてください」
「故郷の馬渕へ……」
突然の提案にただ盛高は黙って耳をそばだてていた。
「はい、住蓮様が、いつかはと、常々仰っておられますが、お勤めに忙しく、近江まで行くことが叶いませぬ」
「そうか……」
ゆきは続けた。
「あの里の人々はいわれのない差別で、同じ人間でありながら、故郷からある意味追放されたも同然なのです。二度とは帰れない……。親からも帰ってくるなと言われる……。なんというむごいことでしょう。せめて、遺灰だけでも、せめて……。あなた様の手で、馬渕の里に葬ってあげて下さいませ」
ここまで言うと、ゆきはわっと泣き崩れた。盛高も、妹のことを思うと悲しくて、貰い泣きで、顔はくしゃくしゃとなった。
「分かった。分かった。それが時子のためになるなら……」
あとは言葉にならなかった。二人は手を握り合い、時子の思い出に浸りながら、いつまでも泣き続けた。




