第二部第三十七章
もう数日もすると、盛高はすっかり元気になり、しっかりと歩けるようになった。
安楽に指示されたとおり、従者の清兵が院の御所への報告をぬかりなく行ったので「それでは、その救護所にて数日様子を見るように」とのお達しがあっただけで、今回の騒動について、次郎三郎らにお咎めが降りる心配も無くなった。
盛高の順調な回復により、事態は早期に収拾を迎えた。
盛高は、御所へ帰る決心をした。
「そろそろお勤めに戻らねば……」
「もう少し静養されてもよろしいかと……」
そういうゆきの本音は、彼ともっと多くの時間を過ごしたいということであったのは言うまでも無い。
そこへ、住蓮と安楽がやって来た。
「盛高、帰ることに決めたか」
住蓮の問いに盛高は大きく頷いた。
住蓮と盛高は、すでに和解を済ませており、もはや二人の間には何のわだかまりもない状態だった。
「うむ、時実……。いかん、いかん、どうしても昔の名前で呼んでしまう、許してくれ。今は住蓮と名を変えたのだったな、本当、世話になった」
盛高はこう言って、住蓮に一礼すると、続いて、傍らの安楽にも礼を述べた。
「安楽殿も、まことにかたじけのうござった。貴殿の薬がまことによく拙者の体を癒してくれたのは間違いないゆえ……」
安楽と、住蓮はお互いを見つめあって大きく頷いた。防鴨河司副長官を傷つけたのだから、本来一大事であったはずだが、皆の力で、全て、ことがここまでうまく運ばれたことで、二人の心が安堵感に包まれていたのは言うまでも無い。
「ともかくも御所へ帰らねば……」
そう決めたからには早い方がよい。あまり休養が長引けば、御所からいらぬ詮索が入るやもしれん――盛高は、これ以上彼らに迷惑をかけることは出来ないと判断した。彼はいよいよ吉水の里を去る日を決めた。
「明日、ここを立去ることにしよう!」
盛高の言葉に、安楽と住蓮は手を差し出した。三人はがっちりと手を握り合った。
「達者で!」
「また機会あらばお会いいたそう!」
そんな男達の会話を尻目に、ゆきは複雑な心境だった。また、別れねばならない。ずっとそばにいたいのに!
幸せな数日だった。片時も離れず看病をしていたのだから、それも殆ど二人きりで!
そうして、うらめしそうな目をして、男達の会話を眺めているゆきに、盛高は気づくと、
「ゆきさん!」
と、彼はゆきに声をかけた。
「はい?」
突然、声をかけられてゆきは動転した。
「ゆきさん、大事な話がある。よいか?」
「大事な話?」
「二人きりで」
「二人きりで?」
住蓮と安楽は場の空気を察知すると「それでは、我らはここで……」と言って、小屋を出た。後には二人が残された。
「ゆきさん……」
盛高はゆきの両肩に手を置いた。ゆきは体の震えを感じた。
「ゆきさん、――私は、今まで復讐心を糧に、この人生を生きてきた。そして、癒えぬ心の傷を癒すために、悪人退治をしては悦に浸っておった……」
「はい……」
黙ってきているゆきに、盛高は話し続けた。
「ところが、ある日、鴨の河原に座って耳を澄ましていると、まことにこの世の思えない美しい念仏の旋律が聞こえてきた。――住蓮と再会したあの日だ。私は未だに、仏を信じる身ではないが、それでも、あの日のことは、何か仏の導きがあったのだろうか、そう思われて仕様が無いのだ」
「盛高様……」
ゆきは、突然の盛高の真剣な告白に戸惑って黙っていた。
「もう、今までの生き様を踏襲しても何になろう。私は今の役職を辞して、故郷、近江の馬渕の里へ戻ろうと思う。そこで…… 」
「そこで……」
と言葉を返すゆきであったが、さすがに失望の色を隠せなかった。---「いよいよ私達二人、別れようってことなのね」と、思ったその次の瞬間、ゆきは盛高から強く手を握り締められた。そしてこう告げられた。
「ゆきさん、それがしと一緒に故郷に帰ってはくれんか。自慢するわけではないが、とても良い所だ。きっと気に入ってくれよう。しからばその後に……」
と言う、盛高の言葉を、ゆきは最後まで聞くことは出来なかった。
「これは、まさか、夫婦になってくれ、という……」
そう考えが及んだ瞬間、頭の中は真っ白になり、考えが定まらなかった。目からは止めどなく涙が溢れて来た。ただ泣きじゃくるしか出来なかった。
「ゆきさん、いいんだね、いいんだね……」
盛高は優しくゆきを抱き寄せた。
「新しい生活を始めよう、人間らしい生き方を!仏の道を歩まねばならぬのなら、それもよし。ゆきさん、生きることを私に教えてくれ!いや、もうすでに教わったか、それでも、もっと教えてくれ!そして、二人で幸せに暮らそうではないか!」
ゆきは、漸く泣き止むと、今度は盛高の顔をしっかりと見据えて、大きく頷いた。
「はい!」
「ありがとう!」
二人は固く抱き合った。
盛高はすると、突然、かって夢で見た阿弥陀仏の言葉を思い出した。
「盛高よ、そちにはまだすべきことがある……。私の代わりに……」
というあの言葉を……。
「一体何を語ろうとしたのであろうか…」
その言葉の持つ意味を考えながら、彼はますます強くゆきを抱きしめた……。
時の立つのを忘れて、いつまでも……。
(第二部終わり)




