1.03_⬛︎⬛︎i⬛︎i⬛︎⬛︎⬛︎i⬛︎⬛︎.III
六時間目の授業が終わり、放課後のざわめきが聞こえ始めた頃。
この“超最適社会”に、異変が起こった。
最初に気づいたのは、音だった。
──ぶつっ、と。
何かが、無理矢理引き千切られたような音。
「……ん? 〈Mira〉?」
スマートバンドに目を落とす。
画面が、激しく点滅していた。
『──接続が不──██████──定──』
「え」
『警──████──全──ユーザー──』
聞いたことのない音声だった。〈Mira〉じゃない。
システムの奥の奥から、無理やり搾り出されたような、ひび割れた声。
とんでもないことが起きている。そんな予感がした。
騒がしかった教室が、廊下が、一瞬にして静まり返っていく。
窓の外を見る。
“最適化”されていたはずの空の、あちらこちらに、ノイズが走っていた。
青いガラスに、白いひびが入っていくように。空の一部が、細かな粒子になって、ばらばらとほどけていく。
「なんだ、あれ……」
次の瞬間、学校中のモニターが、一斉に真っ赤に染まった。
『──緊急通達。〈Ernex〉コアシステムに、未定義のプロセスを検出。全ユーザーは、ただちに安全区域へ──』
アナウンスが、途中で途切れた。
スピーカーがショートしたのか、耳障りな雑音だけが、廊下に響き渡る。
どこかで、誰かが悲鳴を上げた。
それを合図にしたように、叫び声と、逃げ惑う足音とが、重なって、混ざって、ぐちゃぐちゃになっていく。
「みんな、落ち着け──」
誰かが叫んだ。でもその声も、すぐにノイズに飲み込まれた。
生まれてからずっと、〈Ernex〉がいた。何をすればいいのか、どこへ行けばいいのか、いつだって教えてくれた。
その〈Ernex〉が、何も言わない。
誰も、どうすればいいのか分からない。
もう一度、窓の外を見る。空の亀裂が、さっきよりも、ずっと大きく広がっていた。
白い光の粒が、割れた空から零れ落ちるように、ゆっくりと降ってくる。
「結斗!」
聞き慣れた声がして振り返ると、人波を押し分けながら、こちらへ向かってくる琳也の姿が見えた。
「琳也、こっち──」
手を伸ばした。
琳也も、手を伸ばした。
指先が触れる、その直前で──
世界が、黒くなった。
*
暗闇の中に、無数の光の粒が、ゆっくりと漂っている。
まるで、天の川の中に放り出されたみたいだった。
ここがどこで、何が起きているのか。理解は、少しも追いついていない。
ただ、落ちている。それだけは分かった。
重力の感覚はあるのに、上もない。下もない。
終点が、どこにも見つからない。
怖いはずだった。
でも──
(……綺麗だ)
こんな状況に置かれていながら、そんな感想を浮かべてしまう自分が、少しだけ可笑しかった。
気づけば、手が、制服のポケットを探っていた。
コンパクトカメラを取り出そうとしていたのだ。
今この瞬間の、この景色を、記録に残そうとして。
(今シャッターを切ったら、絶対、いい写真になる……)
ぼんやりと、そんなことを考えた瞬間。
視界が、晴れた。
*
ドンッ、という衝撃。
「っ……痛……」
ゆっくりと、顔を上げる。
都市があった。
まるで、幼い頃に読んだSF小説の挿絵だ。
巨大な建造物が、幾重にも連なっている。その表面を、光のラインが縦横に走っていた。
都市の中心には、巨大な螺旋状の塔が、天に向かってどこまでも伸びている。
──ただ、何かが“おかしい”。
地面が、透明なのだ。
足元を見下ろしても、そこには何もない。ガラスのような地面の向こうに、ただ、どこまでも透明な地平線が続いている。建物の影も、自分の影も、どこにも落ちていない。
さらに、至るところに、細かなノイズが走っていた。
空気そのものが、まるで“データでできているみたい”に、ところどころで粒子状に乱れて、きらりと光っては、消える。
「……夢、か?」
自分の頬を、思い切りつねってみる。
ただ、痛いだけだった。
にわかには信じがたいが、どうやら現実らしい。
それから、自分の右手が、何かを握りしめていることに気づいた。
カメラだった。
落下している間も、しっかりと握りしめていたらしい。
(我ながら、業が深いというか……)
ゆっくりと立ち上がって、カメラを構えた。
ファインダーの向こうに、見たこともない都市が広がっている。
透明な地面。光のノイズ。果てしなく続く空。
この場所に、“最適化”なんて概念があるのかどうかさえ、分からない。
けど──
(……絵になる)
紛れもなく、自分の目で、そう感じた。
パシャッ。
シャッター音が、透明な世界に、小さく反響する。
──これが、この世界での記念すべき、最初の一枚だった。




