3.03_⬛︎I⬛︎⬛︎⬛︎.III
拠点を出て三十分ほど歩いた頃には、チョコをめぐる攻防も、ようやく決着がついていた。
結果から言うと、ヒナタの負けだった。
ナルミが手にした一番大きな欠片は、とっくに彼女の胃の中だ。
「ごちそうさまでした〜!」
「……返してください」
「もう無理だって〜」
「では、せめて次は大きい方を僕にください」
「考えとく!」
絶対に考えていない返事だった。
ヒナタは小さくため息をついて、ポケットから新しい板チョコを取り出した。今度はナルミに見つからないよう、背を向けてかじっている。
(……何枚入ってるんだ、あのポケット)
*
F-9区画は、Neo-Edenの北の外れにあった。
C-7区画のように、建物が溶けているわけではない。むしろ逆だ。
同じ高さ、同じ形の建物が、定規で引いたように等間隔で並んでいる。窓の数も、光のラインの間隔も、全部同じ。どこまで歩いても、景色がほとんど変わらない。
「……なんか、気持ち悪いね」
ナルミが珍しく小声で言った。
「整いすぎてる」
「整っている、というより、揃えられている、という感じですね」
ヒナタが周囲に画面を展開する。指先が触れるたび、画面の縁が淡い金色に光った。
「反応はこの先です。上位desire。下位とは比べものになりません。ユイトさん、無理はしないでください」
「……分かってます」
分かってはいる。
問題は、分かっていても、何もできないかもしれないことだった。
昨日一日、あれだけ試して、指先は一度も光らなかった。
*
区画の中央、広い交差点に出たところで、ヒナタが足を止めた。
「来ます」
最初に聞こえたのは、足音だった。
ザッ、ザッ、ザッ。
一定のリズム。一つではない。何十、何百と重なった足音が、寸分の狂いもなく揃っている。
通りの奥から、それは現れた。
人、いや、人の形をしたものが、列を成していた。
顔のない人型が、前の背中にぴたりと張りつくように並び、同じ歩幅で、同じ速さで、行進してくる。先頭から最後尾まで、隙間がまったくない。よく見ると、前後の肩と背中が溶け合って、繋がっている。
一本の、長い長い胴体。まるで巨大なムカデだ。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
(……似てる。あの朝の、行列に)
朝の駅のホーム。〈Ernex〉が導き出した“最適な”通勤時刻を守って、ほぼ等間隔に並ぶ人の列。この世界に来る前の朝、指で四角を作って、カメラに収めた、あの行列。
先頭の人型が、顔のない顔をこちらに向けた。
それに合わせて、後ろに続く何百もの頭が、一斉に同じ角度でこちらを向いた。
ザッ。
足音が止まる。
次の瞬間、行列が、うねった。
*
「散って!」
ナルミの声と同時に、三人ばらばらの方向へ跳んだ。
直前まで立っていた場所を、行列の胴体が鞭のように薙ぎ払っていく。地面の光のラインが、まとめて削り取られた。
「ナルミさん、左から来ます!」
ヒナタの画面から、金色の光の筋がナルミと俺へ飛んでくる。
次の瞬間、視界の端に、半透明の線が浮かび上がった。行列の胴体がこれから通る軌道が、薄く光って見える。
「僕の異能、分析です。敵の動きを先読みして、皆さんに送っています。光った線からは離れてください!」
ナルミはその線をちらりと見ただけで身を捻り、紙一重でかわした。慣れている。
「ありがとヒナタさん!」
ナルミが背中のバイオリンケースを下ろし、留め金を弾くように外した。
中から取り出したのは、飴色に艶めく一挺のバイオリン。迷いのない手つきで顎に挟み、弓を構える。
「三十秒ちょうだい! 消すから!」
いつもの明るい声ではなかった。低く、鋭い。
弦に弓が触れた瞬間、ナルミの全身が橙色に光った。夕陽を溶かしたような、温かくて、それでいて強い光。
強かな音が、区画に響いた。
拠点で聴いた、ハグミの繊細な音色とはまるで違う。ハグミの音がそっと傷口に触れる指先だとしたら、ナルミの音は振り下ろされる拳だ。一音一音が太く、まっすぐで、迷いがない。空気そのものを震わせて、押し返していくような音だった。
「演葬。ナルミさんの異能です。狙ったデータを消せますが、弾いている間は無防備になる」
ヒナタが、画面を操作しながら短く言った。
「ユイトさん、ナルミさんの前に立たないでください。射線を塞いでしまいます」
「射線?」
「消す対象を、ナルミさんが“見ている”必要があるんです」
ヒナタが空中の画面を叩く。光の粒が一斉に飛び、行列の胴体に次々と命中した。弾けた部分から、fragmentが散る。
──が、すぐに塞がる。
削られた人型の隙間に、後ろの人型が詰めてくる。列は一瞬も乱れない。
「……再生している?」
ヒナタの眉が、わずかに寄った。
画面の数値を素早く追い、ヒナタが首を振る。
「……いえ、再生ではありませんね。削った分を、後ろの個体が詰めているだけです。一体ずつ削っても、列そのものは崩れない」




