3.02_⬛︎I⬛︎⬛︎⬛︎.II
「ユイト〜、お疲れ〜」
日が沈んだ頃、ナルミが声をかけてきた。
「……さっきから見てたんだけど」
「え?」
「特訓。ずっとやってたじゃん」
見られていたとは思わなかった。
は、恥ずかしい……!
「ほら、ハグミとリンもいるよ〜」
ナルミの後ろに、ハグミが静かに立っている。そしてその横──フードを少し下ろして、壁にもたれたリンが、こちらを見ていた。
「外、出ない? いいもの見せてあげる」
ナルミが続ける。
「気分転換に。ハグミも、リンも、どう?」
思わず、リンの方を見た。
「……リン、出歩いて大丈夫なのか? 朝まで、ベッドで寝込んでただろ」
「……平気。もう、一人で動けるって言った」
「でも──」
「しつこい」
ぴしゃりと言われた。フードの奥の目が、少しだけむっとしている。
「縁奏で、もう問題ないところまで回復しています」
ハグミが、横から静かに言い添えた。
「少し歩くくらいなら、むしろ身体にいいと思います」
「……ならいいけど。きつくなったら、すぐ言えよ」
「……ん」
短い返事だった。でも、否定はされなかった。
*
ナルミを先頭に、四人でNeo-Edenを歩く。
いつもの通路を抜けて、見慣れない路地に入った。建造物の間を縫うように進んでいくと、緩やかな上り坂が現れた。
「ここ、初めて来たかも……」
「でしょ! あたしとハグミが見つけた、穴場なんだ」
坂の途中で、何度か後ろを振り返った。
リンは、息一つ乱さずに、ハグミの隣を歩いていた。昨日、あれだけぼろぼろだったのが嘘みたいだ。
「……見すぎ」
「え」
「さっきから、何回こっち振り返ってるの。……もう四回目」
「そんなの数えてたのかよ」
「……平気だって、言ったでしょ」
リンはそう言って、ふいと顔を逸らした。フードの縁から覗く耳の先が、ほんの少しだけ、赤い気がした。
長い坂を登り切ると──視界が、一気に開けた。
Neo-Edenの街並みが、眼下に広がっていた。
「……」
言葉が、出ない。
建造物の頂部に走るライン状の模様が、遠くまで光を伸ばしている。青、白、金──それぞれが微妙に違う色を持ちながら、都市全体を包んでいた。中心にそびえ立つAstralSpineの光が、周囲の建造物に反射して、重なって、また反射して。まるで、光でできた海のようだ。
ガラスと光のラインが作り出す夜景は、現実の都市とも、映画の中の未来都市とも似ていない。
この世界にしかない光景だった。
(……夢みたいな景色だ)
横を見ると、リンが、光の海を黙って見下ろしていた。いつもの無表情だったが、その目は静かに、でも確かに、同じ景色を見ていた。
と、ナルミが口を開く。
「ここ、ルミナテラスって呼んでるんだ」
「正式な名前じゃないですけど。私たちの間で、です」
ハグミが補足した。
しばらく、四人でその景色を眺めていた。誰も何も言わず、ただ、目の前に広がる光の海に、それぞれ身を委ねていた。
*
ルミナテラスから拠点へ戻ってきた頃には、体がずいぶん重くなっていた。
部屋に入るなり、ベッドに倒れ込む。
(……もう、眠れそうだ)
来た当初はそうじゃなかった。環境が分からなくて、不安で、夜になっても目が冴えていた。ベッドに入っても、何時間も起きていた。それが今は、体が自然と“眠る時間だ”と感じている。
(この世界に、慣れてきたってことか)
そのまま目を閉じる。ルミナテラスから見た景色が、まだ瞼の裏に残っていた。
*
翌朝、会議室にNOiZEのメンバー全員が揃った。
タロウ、ヒナタ、ナルミ、ハグミ、リン──そして俺。計六人がテーブルを囲む。
「ユイト」
タロウが口を開いた。
「お前の異能は覚醒した。次のステップは、それを自由に扱えるようにすることだ。今日から実戦で慣らしていく」
「……はい」
「少しハードになるが、頼む」
タロウがヒナタに目を向けた。ヒナタが光学模型を展開する。
「では、今日の任務の説明をします」
地図上の一点が、赤く光った。
「Neo-Edenの北部、F-9区画です。今朝の観測で、上位desireの反応が確認されました」
上位desire。
その言葉を聞いた瞬間、背筋がひやりとした。
この世界に来た日、広場で出くわした靄。ヒナタは、あれを「弱い方」だと言った。
それでも俺は、壁に叩きつけられて、指一本動かせなかった。タロウたちが来てくれなければ、間違いなく死んでいた。
C-7区画では、下位desireの群れを相手に、あのリンが倒れた。
その、“上”。
膝の上で握った拳が、いつの間にか、じっとりと汗ばんでいた。
「目標は、そいつの討伐だ。出撃メンバーは、ナルミ、ヒナタ、ユイトの三人」
タロウが引き取った。
「俺とハグミはここで待機する。リンも──」
「出る」
リンが言う。タロウが静かに首を横に振った。
「今日は休め。また倒れたら、次の任務に差し障る」
リンが少し間を置いた。それから、「……分かった」と短く返す。
ナルミが目を丸くした。
「……リン、今日はやけに素直じゃない?」
「っ……たまたま」
リンはそう言い残すと、そのまま会議室から足早に去っていった。
会議室の窓の外に、拠点の出口へ向かう小さな背中が見えた。フードを深く被った、リンの背中だった。
(……部屋に、戻るんじゃないのか)
昨日まで、ベッドから起き上がるのもやっとだったはずだ。今日は休め、と言われたばかりなのに。
「……リン、外に出ていきましたけど。大丈夫ですかね」
思わず口に出すと、タロウが、窓の外にちらりと目をやった。
「近場の見回りだろう。あいつは、じっとしていられない性分だ」
それだけ言って、タロウは視線を戻した。
遠ざかっていく背中が、通路の角を曲がって見えなくなるまで、俺は目を離せなかった。
彼女の姿が見えなくなった後、さて、とヒナタが手を叩く。
「ナルミさん、ユイトさん、出発の準備をしましょう。切り替えが大事ですよ」
*
廊下で、ナルミとヒナタに合流した。
ナルミは、バイオリンケースを背負っている。
「それ、毎回持っていくの?」
「うん! あたしの異能も、バイオリン使うから」
「そうなんだ……」
「ユイトは? 何か持った方がいいんじゃない?」
「俺の異能は、指で四角を作るだけだから……手ぶらでいいんだよね」
「ん〜……それはそれで、かっこいいかも?」
無言で話を聞いていたヒナタが、いつものように板チョコをポケットから取り出す。一口かじろうとした、その瞬間。
「あ、それ三等分しよ!」
ナルミが、板チョコに手を伸ばした。
ヒナタの動きが、止まる。
「……なぜですか」
「任務前の英気を養うため!」
「僕のチョコで、英気を養わないでください」
「ケチ!」
「ケチではありません。これは、僕のチョコです!」
しばらく攻防があったが、ヒナタが根負けして板チョコを差し出した。
「……三等分、ですよ」
「任せて!」
ナルミが、パキッと折る。
……五対三対二、くらいになった。
「……これが三等分ですか?」
「誤差!」
「誤差ではありません。これは明らかに──」
「誤差!!」
二人が言い争い始めた。
言い合う二人と、これから向かうF-9区画の方角を、交互に見る。
(……大丈夫か? これ)




