3.04_⬛︎I⬛︎⬛︎⬛︎.IV
ナルミの音が、さっきより少し揺れていた。
「っ、駄目、多すぎる! キリがないよ!」
演葬は集中力を使う。消す対象が定まらないまま弾き続ければ、ナルミの方が先に削れてしまう。
行列が、ナルミに向かって鎌首をもたげた。
(どうする)
異能は使えない。昨日一日かけても、一度も光らなかった。
それでも──。
両手の人差し指と親指で、四角を作った。
光らない。分かっている。でもこれは、異能の構えである前に、俺の構図の確かめ方だ。
四角の中に、行列を収める。
先頭から最後尾まで、何百もの人型が、完璧に揃って動いている。
完璧に、揃って──。
(……いや)
一体だけ。
中ほどに、一体だけ、ほんの半拍遅れている人型がいる。
皆が右足を出すとき、そいつだけまだ左足を残している。皆が首を振るとき、そいつだけ一瞬、止まっている。
写真でしか気づけないくらいの、ずれ。
朝の駅で、俺が本当に撮りたかったのは、ああいう“ずれ”だった気がする。
「ヒナタさん! 真ん中より少し後ろ、背中に光のラインが三本ある奴! そいつだけリズムがずれてる!」
ヒナタが、一瞬だけ俺を見た。
そして、画面を叩く。
「……確認しました。その個体だけ、データの密度が桁違いです。核です」
金色の光が、ナルミへ飛ぶ。
「ナルミさん、そこです!」
「──了解っ!」
ナルミの音が、変わった。
揺れていた旋律が、一本の線のように研ぎ澄まされる。橙色の光が弓から弦へ、弦から空気へ、まっすぐに伸びていく。
狙われた一体の輪郭が、ふっと薄くなった。
消えた。
核を失った行列が、初めて足並みを乱した。右足と左足が、てんでばらばらに地面を叩く。繋がっていた肩と背中が剥がれ、人型が一体、また一体と崩れていく。
崩れたそばから、光の粒になって空へ昇っていった。
何百ものfragmentが、AstralSpineの方角へと流れていく。
*
「……はあぁ〜〜〜っ」
ナルミが、その場にへたり込んだ。
「疲れた〜! 三十秒って言ったけど、絶対一分は弾いてた〜!」
「一分十二秒です」
「細かい!」
ヒナタがチョコをかじりながら、律儀に訂正する。すっかりいつもの調子に戻っていた。
ナルミが、座ったままこっちを見上げた。
「ていうかユイト、さっきのなに!?」
「え」
「なんで分かったの!? あたし全然分かんなかったんだけど!」
「いや、指で四角作って見てたら、一体だけずれてるのが見えて……」
「異能出てないのに!?」
「出てないのに」
ナルミはぽかんと口を開けて、それから、にかっと笑った。
「すごいじゃん! カメラマンの目ってやつ?」
「……写真部の目、かな」
ヒナタが、小さく頷いた。
「異能が出なくても、ユイトさんの“見る力”そのものが武器になるのかもしれません。撮影の異能も、きっとその延長にあります」
「延長……」
両手の指を見る。光ってはいない。普通の指だ。
でも、さっき、何かを掴みかけた気がした。
「よし、帰ったら特訓ね! あたしが付き合ってあげる!」
ナルミが勢いよく立ち上がって、ばしんと俺の背中を叩いた。痛い。
「ちょ、ナルミ、もうちょっと手加減──」
言いかけた、その時だった。
ひゅっ、と。
耳元で、風が鳴った。
頬に、熱い線が走る。
遅れて、背後で何かが地面に突き刺さる音がした。
振り返ると、透明な地面に、一本の矢が刺さっていた。
紅く光る矢だった。
矢はすぐに輪郭を失い、紅い粒子になって、ほどけるように消えていく。
「ユイトさん、伏せて!」
ヒナタの声。画面が一斉に展開される。
「方角、北北西。距離……六百メートル以上? この距離で、当てた……?」
北北西。
等間隔に並ぶ建物の、そのずっと向こう。一際高いビルの屋上に、小さな人影が見えた。
遠すぎて、顔は分からない。
ただ、風になびく袴と、肩で揃えたポニーテールだけが、やけにはっきりと見えた。
人影は、構えていた弓をゆっくりと下ろした。
そして、ハグミが言っていた通り──まるで神隠しのように、ふっと消えた。
「……消えた?」
ナルミが呟いた、その直後。
ヒナタの画面が、一斉に赤く点滅した。
「──反応、至近! 正面です!」
目の前の空気が、揺れた。
さっきまで何もなかった交差点の真ん中に、一人の少女が立っていた。
六百メートル先にいたはずの人影が、瞬きひとつの間に。
白い弓道衣に、黒い袴。肩で揃えたポニーテールが、ゆっくりと揺れて、落ち着く。手には、身の丈ほどもある長い弓。
弦に沿って、紅い光が細く走っていた。
少女が、顔を上げる。
乱れ一つない黒髪。凛とした眉。育ちの良さがそのまま形になったような、静かな立ち姿。
弓道場の前を通るたびに、何度も、何度も、遠くから目で追っていた横顔が──今は真正面から、こちらを見ていた。
ただ、その目だけが違った。
俺の知っている、あの儚い目じゃない。何も映していない、ガラス玉みたいな目だった。
「……葛」
名前を呼ぶ。
葛は、答えなかった。
代わりに、静かに矢をつがえた。
その矢じりは、まっすぐ、俺の心臓に向いていた。




