2.17_RIN⬛︎⬛︎.IX
「ベッドで安静にしていれば、大丈夫です」
ハグミが、少しだけほっとしたように言った。
「しばらく、寝かせてあげてください。眠って治すのが、一番なので」
「……よかった」
ナルミが、ぽつりと呟いた。さっきまでの大声が嘘みたいに、小さな声だった。
「ユイト」
タロウが、こちらを向いた。
「詳しい話は、明日聞く。今日は、リンの側にいてやれ」
「……分かりました」
リンをベッドまで運んで、椅子を引き寄せる。部屋の灯りを落とすと、窓から、Neo-Edenの光だけが、薄く差し込んできた。
──静かだ。
リンの呼吸は、さっきよりも落ち着いていた。規則正しく、穏やかに、胸が上下している。それを見ているだけで、張り詰めていた何かが、少しずつほどけていく気がした。
それから、どれくらい経っただろう。
リンの瞼が、ゆっくりと、開いた。
天井を見ている。
少しして、横を向いた。目が、合う。
その瞬間、リンの目が、すっと細くなった。
鋭かった。ただ目が合っただけなのに、心臓を射抜かれたような感覚があった。
(お、怒られる……)
背筋が、自然と伸びる。頭の中で、弁解の言葉を、高速で並べ始めた。
おんぶは、完全に俺の意志だ。「触るな」というリンの言葉も、はっきりと覚えている。申し開きの、しようがない。
(謝る。まず、全力で謝る。許してもらえなかったら、逃げる。逃げ道は、扉一つ。確保よし)
リンが、口を開きかけて──閉じた。
また、開きかけて──また、閉じた。
(……どうした。まさか、怒りのエネルギーを溜めているのか!?)
リンが、ふいに、視線を逸らした。
天井でもなく、壁でもなく。ただ、こちらとは違う方向を向いた。
耳が、少し赤くなっている。
(……あれ?)
「……ユイト」
「は、はいっ!! 謝罪の言葉を述べさせてください!!」
「……別に、聞いてない」
「聞いてください!!」
「……後で」
リンが、また少しだけ、間を置いた。視線は、まだ逸らしたままだ。
「……あ、の」
声が、かすかに詰まった。
「……ありがとう」
静寂。
「……え」
「聞こえてたでしょ」
「聞こえてたけど……今、なんて言った?」
「言わない」
「一回だけ、もう一回だけ──」
「言わない」
リンが、ぷいと、こちらに背を向けた。
「……約束破っておんぶしたこと、怒らないのか?」
「……今は、まあ」
「後で怒るってこと?」
「っ、もう! うるさい!」
笑いそうになるのを、必死に堪えた。
それから、できるだけ、優しい声で言った。
「……どういたしまして」
リンは、何も言わなかった。
でも、フードのない横顔が、ほんの少しだけ、赤くなっていた。
*
その頃。
AstralSpineの解析室で、ヒナタは一人、LumenHeartの新しいログを見つめていた。
> [ALERT] Unauthorized access detected.
> origin: AstraCode / destination: 【_ERROR】
> user_id: [REDACTED]
チョコをかじりながら。でも、その横顔は、珍しく、少しも笑っていなかった。
「……何が、起きてる?」
一人きりの呟きが、静かな部屋に溶けていく。
パネルを操作する音だけが、響いていた。タップ。スクロール。タップ。それ以外には、何の音もしない。
画面の光が、ヒナタの横顔を、青白く照らしている。
その背後。
廊下の暗がりに、誰かが、立っていた。
音もなく。気配もなく。ただ、じっと、ヒナタの後ろ姿を、見つめている。
やがて、その人影は──何の前触れもなく、闇の中に、溶けるように消えていった。




