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朝。
〈Ernex〉が、今日という一日を構築した、その数秒後。
*
──ピピピ、ピピピピピ……
耳の奥に、容赦なく突き刺さるアラーム音。
もっとスマートな起こし方、してくれないかな。
薄目を開ける。まず視界に飛び込んでくるのは、窓の外に広がる“最適化”された空だ。
雲一つない快晴。暖かな朝日。鳥の囀り。
完璧だ。完璧すぎて、少しだけ胡散臭い。
なにせ全部、〈Ernex〉が用意したものなのだから。言ってしまえば、“偽物”である。
〈Ernex〉。
2×××年、政府が数多の研究者たちと共同開発した、人の感情と思考を解析し、社会そのものを最適化するAIネットワーク。
人々の脈拍。声の揺らぎ。視線の動き。購買履歴。学習記録。
日常のあらゆる断片をデータとして瞬時に収集し、解析する。
そうして導き出されるのは、“最も幸福度が高く、最も失敗の少ない”選択肢だ。
進学先も、就職先も、交友関係でさえ。俗に言う“最適解”が、常に目の前に提示される社会。
交通事故は激減し、犯罪は未然に防がれ、景気の波すら緩やかに均された。
誰もが安全で、誰もが効率的で、誰もが同じくらい満たされている。
……少なくとも、数値の上では。
だからこの青空も、今日という一日も、“人間にとって最良の状態”として〈Ernex〉が弾き出した、単なる計算結果に過ぎない。
本物かどうかなんて、もう大半の人は気にしていない。
いや、気にする必要がないように“最適化”されている、と言った方が正しいのかもしれない。
それが、この世界の当たり前だった。
──情報という情報がAIに管理された、窮屈で不自由な日常が、今日も始まる。
*
『おはようございます、加山結斗さん。昨晩の睡眠効率は67%でした。今日も幸福な朝です』
左腕のスマートバンドから、澄ました声が流れてきた。
感情対話特化型AI──〈Mira〉だ。
「ん……まだ眠い。あと五分。一生に一度のお願い、ここで使うから頼むよ……」
『二度寝は非効率です。あなたの睡眠は、すでに最適化されています。──なお、“一生に一度のお願い”は、先週、季節限定フレーバーのアイスを購入する際に使用済みと記録されています』
「そういう正論は、起きてから聞かせてくれ……」
枕に顔を押し付けたまま、手だけをひらひらと振って抗議する。
「最適化とか効率とか、いいんだよ。いいか〈Mira〉、人間には“だらける権利”ってもんがあるんだ」
布団を頭まで引き上げる。完全防御態勢。
──だが、間髪入れずに返答が来た。
『その権利は、あなたの生活ログには存在しません』
「勝手に俺の権利をデータベースから削除するな!」
次の瞬間、ベッドが、ぐいっと傾いた。
「うおっ!? ちょ、待て待て待て!」
『物理的起床補助を開始します』
「ちょ、待っ……うわあああっ!?」
ドサッ、と情けない音と共に、床へ転げ落ちる。
人類、敗北。
『今日は午前8時30分までに、綾城高校へ登校する必要があります。至急、着替えてください』
俺の小さなストライキは、瞬く間に鎮圧されてしまったのだった。
そう、“超最適社会”に。
*
顔を洗って、リビングに出る。
しんとしていた。
テーブルの上には、〈Ernex〉が栄養バランスを計算して自動配送してきた朝食のプレートが、一人分だけ置かれている。
トーストと、スクランブルエッグと、彩りのいいサラダ。いつも通りの、完璧な朝ごはん。
椅子は、四つある。
使っているのは、一つだけだ。
『本日の朝食の栄養充足率は98%です。よく噛んで、二十分以内に摂取してください』
「はいはい」
トーストをかじる。味は、悪くない。むしろ、ちゃんとおいしい。
ただ、一人で食べる朝ごはんは、何年経っても、少しだけ静かすぎた。
壁際の棚に、目をやる。
古い一眼レフのカメラが、埃を被らないように、ガラスケースの中に置いてある。子どもが持つには大きすぎる、黒くて重たいカメラ。
父さんのカメラだ。
父さんがいなくなって、母さんがこの家を出ていって、それからずっと、あのカメラはあそこにある。
残ったのは、あのカメラと、俺と、〈Mira〉だけだった。
「……ごちそうさま」
『完食を確認しました。素晴らしい一日の始まりです』
素晴らしいかどうかは、俺が決めたい。
*
制服に袖を通しながら、窓の外をぼんやりと眺める。
さっきまで雲一つなかった空が、〈Ernex〉の采配で、今はうっすらと霞んでいた。
朝一番の“快晴”から、通学時間帯の“程よい曇り空”へ。
きっと、直射日光が当たりすぎると登校ストレスが増加する、とか、そういうデータでも弾き出したんだろう。
……細かいな、〈Ernex〉。
*
外に出ると、住宅街はすでに穏やかに動き出していた。
学生も、社会人も、“最適な”通勤時刻を揃って守っている。駅のホームへと向かう人の流れが、ほとんど等間隔に並んでいた。まるで、定規で線を引いたみたいに。
両手の人差し指と親指で四角を作り、その枠の中に、“最適化されている”人々を収めてみる。
整列した背中。同じ歩幅。同じ速さ。
(……なんか、ビビッときた)
制服のポケットからコンパクトカメラを取り出して、その行列を一枚、収めた。
写真部の部活動というより、もはや癖だ。
パシャ、とシャッターを切る音が、静かに鳴る。
『その行為は“非効率”です』
すかさず、〈Mira〉が口を挟んできた。
「美しいものを記録したいと思うのは、人間の本能だ。効率じゃ測れないこともあんだよ」
それは、父さんの口癖だった。
〈Mira〉は少しだけ間を置いて、『なるほど、理解しました』と言った。
たぶん、本当には理解していない。




