2.14_RIN⬛︎⬛︎.VI
desireが、ゆっくりと距離を詰めてくる。
リンは、フードの縁を指でつまんだまま、まっすぐ前を見ていた。その視線は、少しも揺れていない。
こちらを向いている目玉の数を、数えようとして、やめた。数えたら、余計に怖くなる気がした。
「……大丈夫なの、これ──」
「喋るなって、言ったよね」
リンの声が、横から飛んできた。
「いや、でも──」
「大丈夫かどうかは、やってみないと分からない。だから、喋らないで」
返す言葉もない。
急いで、近くの建物の陰へと逃げ込んだ。
すぐ目の前で、リンとdesireが、向かい合っている。
心臓の音が、うるさい。
*
リンが、動いた。
一歩。
たったその一歩で、空気が変わった。
フードの内側が、蒼白く光り始める。毛先の白い部分が、雷の色に染まって、ばちばちと輝いた。
C-7区画に淀んでいたノイズの霧が、その光に押されて、波紋のように揺れる。足元から、細い光の線が、地面を這うように走り──
次の瞬間、リンが、消えた。
残ったのは、一筋の蒼白い軌跡だけだった。稲妻が地面を焼いたような細い線が、暗い区画の地面に刻まれて、すぐに消えていく。
そして、desireの真横に、リンが現れた。
desireの目玉が、一斉にリンの方を向く。
でも、遅い。
リンの腕が、鋭く振り抜かれた。
空気が、裂けた。
音のない斬撃が、desireの表面を縦に走る。目玉の一つが弾け飛び、球体の表面に、深い亀裂が走った。desireが、痙攣するように震える。亀裂の隙間から、光の粒が漏れ出した。fragmentが、淀んだ空気の中を、ゆっくりと漂っていく。
そして、消滅。
(……すごい)
終わった、と思った、その瞬間。
区画の奥から、また、現れた。
一体じゃない。建物の影のあちこちから、同じ球状のdesireが、次々と滲み出してくる。目玉だらけの表面が、ぬめるように光を反射しながら。
二体。三体。四体。五体。六体。七体……。
「……多い」
リンが、ぼそりと呟いた。
「タロウさんの話だと、三体から五体のはずじゃ──」
「別の群れと、合流したのかも」
それだけ言って、リンが、再び地面を蹴った。
一体のdesireが、全身を風船のように膨らませた、その瞬間。リンが、真正面から突っ込んだ。
表面すれすれで鋭く向きを変え、側面を駆け抜けながら、腕を何度も振るう。斬撃が横一文字に走り、目玉の密集した帯を、まとめて刈り取った。
fragmentが、四方に散る。
続けて、リンが地面に片手をついた。手をついた場所から、蒼白い雷が、地面を這うように走る。別のdesireの真下を突き抜け、その腹を下から突き上げた。
desireが宙に浮いた、その一瞬。リンが跳んで、斜め上から、腕をまっすぐに振り下ろす。
fragmentが、煙のように散って、消えた。
残りの五体が、一斉にリンを向いた。
リンは、動じない。一番近くの一体の側面へと回り込み、斬撃を叩き込む。また、fragmentが舞った。
(あと、四体……!)
そう思ったのも、束の間だった。
リンの動きが、変わった。
かすかに、でも確実に、リンの息が荒くなっている。
フードの内側の蒼白い光が、さっきよりも弱い。地面を蹴るたびに走っていた雷の軌跡も、だんだんと淡くなっていた。
残り四体のdesireが、まるで示し合わせたように、少しずつ位置を変えていく。じりじりと、リンを追い込んでいく。目玉の向きが変わるたびに、空気がぞわりと粟立った。
*
desireが二体、左右から同時に迫った。
リンが、左を斬る。右が来る。そちらへ向き直った、その背後に──もう一体。
「リン、後ろ!!」
叫んだ。今度は、嘘じゃない。
リンが振り返る。
間に合わなかった。
desireの全身が膨張し、弾けた。
衝撃波が走る。
リンの身体が、横に大きく吹き飛んだ。地面に叩きつけられ、そのまま、数メートル転がって、止まる。
「リン!!」
リンが、上体を起こそうとして、地面に手をつく。
腕が、震えている。起き上がれない。
それを嘲笑うように、残り三体のdesireが、ゆっくりとリンを取り囲んでいく。無数の目玉が、一斉に、倒れたリンへと向けられた。
やばい。
建物の陰で、必死に考える。
(どうする。どうする。どうする)
冷静に考えろ。俺には異能がない。武器もない。ここから飛び出したところで、三体のdesireを相手にできるわけがない。
……死ぬ。
分かっている。全部、分かっている。
それでも。
リンが、もう一度、立ち上がろうとした。また、崩れた。腕も、膝も、ひどく震えている。
(──俺が、助けないと)
足が、動いた。
考えるより先に、建物の陰から、飛び出していた。




