2.09_RIN⬛︎⬛︎.I
「ユイトさん、これを」
食事を終えて会議室に戻ると、ヒナタが、畳まれた黒い布を差し出してきた。
広げてみると、短い丈のジャケットだった。
縫い目に沿って、細い光のラインが走っている。胸元には、音の波形を図案にしたような、小さな紋章が入っていた。
「NOiZEの制服です。AstraCodeのデータを編んで作ってあるので、見た目より丈夫ですよ。多少の衝撃なら、防いでくれます」
「おそろいだよ! ……まあ、あたしたちのは、ちょっと形が違うけど」
ナルミが、その場でくるりと一回転してみせた。
白いドレスの裾が、ふわりと広がる。よく見ると、その縫い目にも、ジャケットと同じ細い光のラインが走っていた。胸元には、同じ波形の紋章。
「あたしとハグミのは、特注なの! バイオリン弾くとき、ジャケットだと腕が動かしにくいから、ヒナタさんにドレス型にしてもらったんだ!」
「……私のは、黒です」
ハグミが、自分の黒いドレスの裾を、そっとつまんでみせた。こちらにも、同じ光のラインと紋章が入っている。
白と黒。太陽と月みたいな二人に、よく似合っていた。
「ヒナタさん、裁縫もできるんですか」
「データの編み方を少し変えただけですよ。二人の演奏の邪魔にならないように、袖の可動域を広げて、裾の重さを調整して……三日ほど徹夜しました」
「徹夜したんですか」
「チョコがあれば、平気です」
にこりと言い切られた。
「リンなんか、勝手にフード付けちゃってるけどね」
「……異能を使うと、このラインが、その人の色に光ります」
ハグミが、静かに付け加えた。
センサーシルクの制服の上から、袖を通してみる。
軽かった。羽織っていることを忘れそうになるくらい。
胸元の紋章に、指で触れる。光のラインが、かすかに瞬いた気がした。
「似合ってるじゃん!」
「……そう、ですか」
「うん! これで、ユイトもNOiZEの一員だね!」
ナルミが、ばしんと俺の背中を叩いた。痛い。
壁際で腕を組んでいたタロウが、こちらを見て、短く言った。
「今日から、お前もNOiZEだ」
それだけだった。
でも、羽織ったばかりのジャケットが、ほんの少しだけ、重くなった気がした。
*
味のしない食事を終えて、しばらく経った頃。
拠点のどこかから、音が聞こえてきた。
弦楽器の音だった。
思わず立ち上がって、音のする方へ向かう。
通路の突き当たり、少し広い部屋の扉が、半分だけ開いていた。
そっと覗き込む。
ナルミとハグミが、並んでバイオリンを弾いていた。
二人とも、目を閉じている。それなのに、弓の動きは、一ミリのずれもなく揃っていた。まるで、一人の人間が、二本の腕で弾いているみたいに。
ナルミの音は、強かだった。まっすぐで、迷いがなくて、聴いているこちらの背筋まで伸びるような音。
ハグミの音は、繊細だった。触れたら壊れてしまいそうなのに、決して途切れない、細い糸のような音。
その二つが絡み合って、一つの旋律になっていく。
(……すごい)
しばらく、その場から動けなかった。
曲が終わり、二人がゆっくりと目を開けた。
ハグミが俺に気づいて、少しだけ目を丸くする。ナルミは、ぱっと顔を明るくした。
「聴いてたの!?」
「すみません、扉が開いてたので、つい。……すごいですね。お二人とも、バイオリン弾けるんですね」
「弾けるよ〜! 小さい頃から、ずっとやってたから」
「……二人で弾くのが、好きなので」
ハグミが、静かに付け加えた。
その短い一言に、何か大切なものが詰まっている気がした。
「感動しました。本当に」
「えへへ、ありがとう!」
「……ありがとう、ございます」
ナルミとハグミが、顔を見合わせて笑った。
「そういえばユイト」
ナルミが、弓を持ち直しながら言った。
「リン、そろそろ帰ってくるよ〜」
「どんな人なんですか?」
ナルミが、うーん、と首を傾げる。
「少し、変わってる、かな。うまく説明できないけど」
ハグミも、こくこくと頷いた。
「……まあ、会えば分かるよ」
そう言って、二人はまた弓を構えた。
再び始まった演奏を聴きながら、“少し変わってる”という言葉を、頭の中で転がした。
この拠点に来てから、変わっていない人に、まだ一人も会っていない気がする。
*
しばらくすると、窓の外が、ゆっくりと橙色に染まり始めた。
この世界にも、夕方があるらしい。
ナルミとハグミは、バイオリンをケースに片付けながら、鼻歌を歌っていた。
穏やかな時間だった。
「あ」
ナルミが、ふいに顔を上げた。
「そろそろ戻ってくる時間だ。扉、開けといた方がいいかも〜。リン、もじもじして、なかなか部屋に入ってこないことあるから」
「もじもじ?」
「そ。人見知りなの」
ナルミが立ち上がって、扉を少しだけ開ける。
それから、少しして。
ハグミが、静かに言った。
「リンさん、帰ってきました」
「え?」
足音一つ、しなかった。
でも、少しだけ開いた扉の隙間から、顔が、半分だけ覗いていた。
黒髪のウルフカット。毛先だけが、白く色を変えている。中性的で、目鼻立ちの涼しい顔が、扉の陰から、じっとこちらを窺っていた。
ナルミが、すっ飛んでいく。
「リン! おかえり〜! なんで出てこないの?」
顔が、すっと引っ込んだ。
少しして、また半分だけ、戻ってきた。
「……そういう気分だから」
その声を聞いた瞬間、何かが、頭の奥を掠めた。
(ん? この声、この言い方……どこかで……)
ナルミがリンの腕を引っ張って、半ば強引に部屋の中へ連れてくる。
フード付きのジャケットに、短いスカート。
リンは、フードを深めに被って、視線を少しだけ下げていた。知らない人間がいる空間に、明らかに慣れていない。全身から、人見知りの空気が滲み出ている。
ナルミが、そのフードの上から、頭をよしよしと撫でた。
リンが、ぴしりと固まった。フードの下で、耳の先が、ほんのり赤くなった気がする。
「なに……」
「えらいえらい、ちゃんと帰ってきた〜」
「撫でないで」
「いい子いい子〜」
「……やめろって!」
言葉は強かった。でも、振り払いはしない。
ナルミがにこにこしながら撫で続けると、リンはフードをさらに深く被って、それきり何も言わなくなった。
その沈黙の中で、リンが、部屋の中を見渡した。
視線が、俺のところで、止まる。
「……知らない顔が、いる」
目と目が、合った。
その瞬間、時間が止まったような気がした。
忘れるはずがない。
声の質。顔の形。言葉の選び方。間の取り方。
全部が、記憶の中の、たった一人に向かって収束していく。
(琳也だ)




