瑠璃という名前
泰造じいちゃんの操作する船に乗って沖までやってくると周りには何もなく海面に光が反射してキラキラ輝いており、自分だけの世界のように感じた。
「どうだ?ここまで来ると誰もいなくて気持ちがいいだろう」
船を止めながらじいちゃんが自慢げに言う。
「うん。日差しがきついけど誰もいなくていいね」
「がはは!日差しは海に入れば関係ないな!
でも止まっている間は日除けの布でも張っておくか」
日除けの布を探しに行ったじいちゃんを見送り、僕は海を覗き込む。
透明度が高く色鮮やかな魚がそこかしこに泳いでいる。優雅に泳ぐ魚を見ていると時間がたつのも忘れそうだ。
ぼーっとしながら覗き込んでいると、不意に大きな魚影を目の端で捉える。
なんとなく目で追うと瑠璃色の尾ビレが見えた。
思わず船から身を乗り出すと女性の顔が目の前にあった。
「うわーーーっっ」
「やっぱりじめじめくんだー!
なんで昨日急に帰っちゃったの?もっとお話したかったのに!」
「な、なんでここに?他の船なんてないのに…」
「泳いでたら君が見えたから来ちゃった☆」
目の前の女性はえへへーと照れたように笑った。
驚いて尻もちをついた僕を横目に、彼女は船にあがり船縁に腰を掛けてこちらを見下ろしている。
腰から下は綺麗な尾ビレがユラユラしている。
…本物にしか見えない。少なくともフィンなどではない。
「なんだ!どうした!??無事か!!!?」
布を探していたじいちゃんが慌ただしく甲板に戻ってくる音がする。
あれ、じいちゃんと人魚(仮)を会わせても大丈夫なのかな?不思議な生き物を前にしてじいちゃんが腰を抜かさないだろうか。
そんなことを考えているうちに祖父が甲板にやってきて人魚(仮)を視界に捉える。
あ、まずいと思い慌てて立ち上がった。
「うおおお!??まさか…お嬢さんは"ザン"なのか!???」
「うわ、懐かしいー!久々にそう呼ばれたかも!!!
確かにちょっと前は"ザン"って呼ばれてたよー!」
「まさか本当に"ザン"に会えるとは!爺さま婆さまの作り話かとばかり思っていたわ!!」
「え、ということはうっかり魚を獲ってる網に引っかかった話も聞いてる???
やだやだ!恥ずかしいから忘れてよー!!!」
「あっはっは!俺の祖先は"ザン"のおかげで生きていると感謝しておったよ!」
あっははは!!
きゅーーー!!
2人(1人と1匹?)は笑い合っている。
あれ、思ってた展開と違う…?
じいちゃんは人魚(仮)に驚くどころか受け入れている。しかも初対面とは思えないくらいに会話が弾んでいる。
元々コミュ力の塊みたいなじいちゃんだったが、人外にも適用されるとは思ってもみなかった。
「ああ、自己紹介がまだだった。
俺は照屋泰造っていうんだ。泰造って呼んでくれ!」
「わかったー!泰造ちゃんって呼ぶね☆
私は******だよ!」
彼女が名乗ったが、名前と思われる箇所が聞き取れない。
「すまない。老化のせいか耳が遠くなったみたいだ。
もう1回名前を聞いてもいいか?」
じいちゃんも聞こえなかったらしく、名前を聞き返す。
だが、先程と同様に名前の部分が甲高い音でしか聞こえず文字として認識できない。
戸惑う僕らを見て、彼女は悟ったようだ。
「あ、そっか!人間には私の名前は聞き取れないんだったね。
んー適当にあだ名でもつけてよ!」
軽い調子で彼女は言う。
僕とじいちゃんは思わず顔を見合わせる。
ノリが軽い。
コミュ力の塊であるじいちゃんも彼女の突然の提案にはついていけなかったようだ。
「あだ名ならさっき泰造じいちゃんが言ってた"ザン"でいいんじゃ…?」
「やだ!可愛くない。
それにそのあだ名を呼んでくる人達って私を見ると拝んでくるんだもん。
私は気軽な"お友達"が欲しいの!」
「まぁ、確かに。
"ザン"と言えば昔話として聞く、この島を救った英雄みたいなものだからな。
拝みたくもなる奴の気持ちもわかる」
じいちゃんは腕を組んでウンウン頷いている。
そもそも"ザン"って何なんだ。
「せっかくだしじめじめくんが決めてよ!
久しぶりに会った人間だし、私君のこと知りたいんだよね。
…あれ、そういえば君の名前知らないや。」
その言葉に驚いたようにじいちゃんは僕のことを見る。
「なんだ、まだ自己紹介してなかったのか!?
仲良くなるために自己紹介は必須だぞ!」
ほれほれとじいちゃんに自己紹介を促される。
彼女はキラキラした目で僕を見つめている。
…2人のテンションの高さにどっと疲れてきた。
最近の泰造じいちゃんは僕に気遣って普段よりテンション抑えめにしてくれていたが、彼女に引っ張られて普段のテンションになっている。
普段より抑えめなテンションのじいちゃんに申し訳なさを覚えていたので、いつも通りのじいちゃんにホッとする。
だが、このテンションで来られると今の僕では太刀打ちできない。
襲ってくる疲労感をぐっと抑え、早くこの場を離れるために質問に答える。
「照屋奏多…です。」
「そうた…奏多ね!よろしくー!
それで私のかわいいあだ名もよろしくね!」
彼女は期待に満ちた顔を向ける。
これだけ期待されるとしっかり考えなきゃいけないだろうが、僕の頭をフル稼働させてもいい案が出てこない。
まだかなーとわくわくしてる彼女を待たせるのも申し訳なく、最初に浮かんだ単語を伝えることにした。
「……あだ名ですけど、"瑠璃"(るり)はどうですか」
「瑠璃…すっごくいい名前じゃない!気に入っちゃった!」
「うぬ!瑠璃ちゃんか!いい響きだ。
奏多は名付けのセンスがいいではないか」
「そういうことで、これから私は瑠璃です!
でもなんで瑠璃なの?」
彼女…もとい瑠璃さんはキラキラした顔を僕に向ける。
じいちゃんの顔もそうだけど、期待に満ちたキラキラした笑顔に僕は弱いらしい。
「えっと…あなたの尾ビレの色が綺麗な深い青だなと思ってて…
色に当てはめると瑠璃色に近そうだったから」
昔、絵の具を混ぜて何度も作ろうとした色だった。
けれど、それを口にする気にはなれなかった。
瑠璃さんはきょとんとした顔で自分の尾ビレを見つめる。
その後、ぱっと満面の笑みで顔をあげた。
「そっかー!この青色って瑠璃色っていうんだ!やっぱり私にぴったりな名前だね!」
尾ビレをひらひらさせてニマニマと笑っている。
よっぽど瑠璃という名前(あだ名)が気に入ったらしい。
「瑠璃ちゃん、いい名前をもらってよかったなぁ!
ところで今日はこのあとどうするんだい?
予定がないならウチで茶でも飲むか?」
ん?じいちゃんは何を言ってるんだ?
どう見ても人間ではない初対面の彼女を家に招待しようとしている。
これがコミュニケーション能力が高いということなのか?いくらなんでもコミュ力が高すぎやしないか…?
目を白黒している僕を他所に、瑠璃さんはうーんと考え事をしている。
「泰造ちゃんごめん!そろそろ水に浸からないと限界だから海に戻ろうかなって。
泰造ちゃん家に行ってみたいけど、陸地に私は長くいられなくて…」
瑠璃さんはしょんぼりという効果音がぴったりな顔をする。
彼女には申し訳ないけど、僕はホッとした。
物語の中でしか見ない人魚に出会った衝撃や2人のテンションの高さで脳がキャパオーバーしている。
疲労感をどっと感じ身体が重く、早くベッドにダイブしたい。何も考えたくない。
「そうか、残念だ…確かに瑠璃ちゃんが我が家に来るとなると水をどうやって確保するかを考えねばいけないしな。」
「人間みたいに足があればいいんだけどねー。
まぁでもお家に行けないかもだけど泰造ちゃんと奏多とはもっと話したい!
明日またこの辺りで会えないかな?」
「おういいとも!だろ?奏多!」
じいちゃんと瑠璃さんがキラキラと期待した顔を僕に向ける。
この顔には弱いんだって…
「…うん、大丈夫」
「やったーーー!じゃあまた明日の同じ時間に!」
身体全体で喜びを表したあと、瑠璃さんは海に飛び込んだ。
海を覗き込むと彼女は大きく手を振って海の中へと消えていった。
「まさか話に聞いていた"ザン"があんなに可愛くて元気な子だったとはなぁ。」
「…じいちゃんごめん。疲れた。」
台風のような瑠璃さんがいなくなったことで気が抜けたのか、身体が一気に重くなりその場に座り込む。
「おお!?大丈夫か?
待ってろ、すぐに家に帰るぞ!」
じいちゃんは急いで操縦席に戻ると船着き場に向けて船を走らせた。
僕は船縁に寄りかかりながら先ほどまでのことを思い返す。
ほとんどじいちゃんと瑠璃さんが会話してただけだったのに疲労感がたまっている。
話を振ってくれたのに上手く笑えなかった。泰造じいちゃんがせっかく外に連れてきてくれたのに疲れてすぐに帰ることになった。
-----自分が情けない。
いつの間にか船着き場まで戻っていた。
「昼飯ができたら声をかけるから部屋で休んでなさい!」
じいちゃん家に着くとじいちゃんに声をかけられる。
笑顔で言われた言葉に感謝し、自室に籠る。
ベッドに横になり、目を瞑る。
よほど疲労してたのか睡眠不足が祟ったのか、目を瞑ると睡魔に襲われる。
何も考えたくないという思いで僕は意識を手放した。
沖縄に伝わる人魚の伝承をモチーフにしています




