海の味
「他に好きなことある?」
「うーん…他は特には思いつかないかな」
「じゃ次は嫌いなものを教えて!」
瑠璃さんはいたずらっ子のような顔で笑う。
「嫌いなもの…か…
うーん…思いつかないかも」
「そうなの?私はいっぱいあるよ!
ご飯を横取りする人魚仲間でしょー、ご飯を横取りする海鳥達でしょー、襲ってくるサメでしょー、よくぶつかってくるマンボウでしょー…」
瑠璃さんは嫌いなものを羅列するが、半分はご飯を取られることが原因だ。
早く食べないとご飯が取られると瑠璃さんは言っていたが、しっかり嫌いの部類に入っているようだ。
「あとは雷が嫌い!
音はうるさいし、うっかり海面近くにいると身体が痺れちゃうし…
あ、でも魚が浮いてるからご飯を確保しやすいのは嬉しいかも!」
結局食べ物の話になっている。
瑠璃さんらしいなと思う。
「あ…そういえば前によくお話してた魚も浮いてたことがあったの。
いつもみたいに話しかけても全然起きなくて、寝てるのかなって思ったの。
それでその子だけは食べずに私の寝場所に連れて帰って一緒に寝たんだよね。
でも次の日も起きなくて…だから海に離してあげたんだけど、ここがすごく痛くなっちゃって…不思議な感覚だったなー」
瑠璃さんは胸のあたりを押さえる。
身近な人がいなくなり、胸が痛くなる感覚は僕にも覚えがある。
「瑠璃さん、その子は…きっと寝てたんじゃなくて、死んじゃったんだと思う」
「え…?」
瑠璃さんの動きが止まる。
「死んじゃうって…人間がすぐ死んじゃうのと同じこと?あの子も?」
「うん。
死んじゃうと息をしなくなって、動かなくなって…もう起きないんだ。
話すことも触ることもできなくなって、もう…会えなくなっちゃうんだ…」
気づくと僕の目から涙が溢れている。
泣きたいわけではないのにコントロールができない。
止めようとすればするほど涙は溢れる。
「奏多!?目から水が出てる!」
瑠璃さんが慌てて僕の顔をペタペタ触る。
どうやら涙を知らないようだ。
「ごめん、大丈夫。
涙が勝手に出てくるだけだから」
僕は瑠璃さんを安心させようと笑う。
うまく笑えないし泣いていることもあって顔はぐしゃぐしゃだろう。
瑠璃さんは僕を見つめると顔を近づける。
驚いて仰け反ろうとする僕より早く、瑠璃さんは僕の顔を舐めた。
「あ…え…?」
「涙っていうの?奏多の涙って海の味がするんだね!」
ぽかんとしている僕と悪戯が成功した子供みたいに笑う瑠璃さんを月明かりが照らす。
時が止まったように思った。
僕が反応しないことに痺れを切らしたのか、瑠璃さんはまた顔を舐めようとしてくる。
「ちょ、ちょっとストップ!
え、なんで舐めたの?」
僕は近づいてくる瑠璃さんの顔を手で止める。
「え、どんな味がするのか気になったから」
瑠璃さんはきょとんとする。
「普通は舐めないよ!」
「そうなの?初めて見たからどんな味がするのか気になっちゃうじゃない!」
改めて瑠璃さんは人間ではないことを理解する。
「ねぇ!涙って勝手にでてくるものなの?
泰造ちゃんの涙とか見たことないけど、そのうち見ることができるのかな?」
「泰造ちゃんは何味かな」と瑠璃さんは考え込んでいる。
僕の涙はすっかり止まっていた。
「じいちゃんも涙は同じ味だと思うよ。
涙は悲しかったり嬉しかったり感情が昂ったときに流れるものだから、そんな簡単に流れるものではないんじゃないかな」
「そうなんだ!
それじゃ、奏多は悲しかったから泣いたの?それとも嬉しかったの?」
瑠璃さんは首を傾げる。
瑠璃さんと話していると気が抜ける。
他人に話すべきことではないのに、話してしまってもいいのではないかと思えてくる。
「さっきは悲しかった…と思う。
悲しいもあるけど、寂しいとか怖いとか…いろんな感情があったんだと思う」
瑠璃さんは真剣な面持ちで話を聞いている。
父さんのことを話すべきか迷っていたが、彼女の顔を見て話す決断をする。
「僕の父さんが今年の春に死んじゃったんだ。
さっきの瑠璃さんの友達の魚の話を聞いて父さんを思い出しちゃって。
もう父さんには会えないんだなって思ったら悲しくて、寂しくて…胸が…苦しくなっちゃって…」
また涙が溢れてくる。
瑠璃さんは何も言わずに僕を見つめている。
「父さんはさ、いつも笑ってたんだ。
母さんと結婚できて幸せだ!奏多が生まれてきてくれてもっと幸せになれた!2人と過ごせる俺は世界一の幸せ者だ!…って口癖みたいに言ってたんだ。
母さんも僕もまたそれかって笑ってた。
父さんの言葉が…嬉しかったんだ…
父さんは凄くてさ、嫌なことがあって気分が沈んでいても、父さんはあの手この手で…笑顔にさせてくるんだ」
息を吸おうとすると、喉の奥がひくりと引きつる
「僕は…父さんと母さんのもとに生まれて、2人と過ごせて…本当に、幸せだった」
幸せだった。
自分の口から出た過去形が、胸に刺さる。
「でも、父さんが死んじゃって…母さんは、ずっと泣いてて…。
僕まで泣いてたら、父さんが心配するから…ちゃんとしなきゃって…
母さんにも、笑ってほしくて…いろいろ、やったんだ。
でも…っ、ダメだった…」
声が裏返る。
何を話しているのか、自分でももうよくわからない。
それでも瑠璃さんは口を挟むことなく、黙って隣で聞いてくれている。
「僕は、父さんみたいに…母さんを、笑顔にできない。
それどころか、僕まで…笑えなくなっちゃった。
じいちゃんにも、迷惑かけてるし…母さんだって、自分が大変なのに…僕がいるから、焦って…ちゃんと治せてないんじゃないかって…」
鼻の奥がつんとして、言葉が途切れる。
膝の上で握りしめた手の甲に、ぽたぽたと涙が落ちた。
「迷惑ばっかり、かけて…。
もし、みんな、呆れて…離れていっちゃったらって、思ったら…怖くて…っ」
喉が詰まって、うまく息が吸えない。
「ひとりぼっちに、なっちゃったら…どうしようって…」
「奏多はひとりぼっちにならないよ!
みんなが離れちゃっても、私は奏多の側にいるよ!
だから、奏多はひとりぼっちになんてならないんだから」
瑠璃さんは僕を抱き締める。
彼女の低い体温が布越し伝わってくる。
――自分以外の体温に安心する。
僕は瑠璃さんの背中に腕を回す。
先ほどとは違う理由で涙が溢れている僕の顔を彼女には見せたくない。
「奏多!苦しい…」
「あ、ごめん」
僕は涙を拭ってから瑠璃さんを解放する。
「びっくりしたー!
奏多って意外と力強いんだね!」
「ごめん、痛かった?大丈夫?」
「大丈夫だよ!
これなら私のことも持ち上げられるようになるのも近そうだね!」
瑠璃さんはニッと歯を出して笑う。
「ねぇねぇ!
奏多のお父さんとお母さんの話をもっと聞かせてほしい!
楽しい話だと嬉しいな!」
「うん、暗い話ばかりでごめんね」
やっぱり話すことではなかったかなと反省をする。
「違うよ!
話を聞いてると奏多のお父さんもお母さんも奏多のことが大好き!って思いが伝わってきたの。
だから楽しい話がたくさんあるんじゃないかって思って!」
瑠璃さんの言葉で過去を振り返る。
家族と過ごした日々はどれも幸せで楽しい思い出だった。
それなのに父さんがおらず母さんも泣いてばかりの今と比較して、今は手に入らない悲しい思い出として扱っていたことに気がつく。
僕自身が悲しい思い出としてしまった過去の記憶を楽しい思い出として塗り替えてあげないと――
「うん、いっぱい楽しい話があるんだ。
聞いてくれる?」
「もちろん!たくさん聞かせて」
綺麗な星と月明かりに照らされて、僕は隣にいる人魚に幸せな家族の話を語った。
お読みいただきありがとうございます。
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