聞いてしまった声
家に帰ると魚屋兼ダイビングショップのオーナーである友蔵さんが待ち構えていた。
「泰造ちゃん!待ってたよ!」
「友蔵、どうした?今日は何もなかったはずだが」
泰造じいちゃんは怪訝な顔をする。
「夏祭りの準備!
想像以上に進んでなくてさ、明後日くらいからって話してたけど前倒しで手伝ってくれないか!?」
「そんなに進んでないのか…よしわかった、手伝おう!
奏多、申し訳ないのだが庭の食器をキッチンに運んでおいてくれないか?
この様子だと夜遅くなるかもしれないからご飯は冷蔵庫にあるものを食べてくれ!」
「うん、わかった。いってらっしゃい」
「泰造ちゃんありがとう!
奏多くん、悪いけど泰造ちゃん借りてくね!
…あ、奏多くん!」
友蔵さんは何かを思いついたように僕に声をかける。
「奏多くんは高校生なんだよね?
よければ明日でも修平の勉強見てやってくれないかな?
本州の高校を受験するって勉強してるんだけど、ここは塾もないし学校の先生も留守にしてるしで聞ける人がいないんだ。
受験勉強なんて何十年もしてない大人ばかりだし、どうか頼めないかな?」
「このとおり!」と、友蔵さんは手を合わせて頭を下げた。
「僕なんかに勉強教えられるかわからないので…」
僕は辞退しようとしたが、友蔵さんは食い下がる。
「大丈夫だって!少なくとも何十年も前に勉強した俺よりかは全然できるって!
勉強がダメでも息抜きに会話してやってくれないかな…?受験のときの注意点とかでもいいから!」
友蔵さんは「ダメかな?」と救いを求める顔でこちらを見てくる。
「奏多、とりあえず引き受けてやってくれないか?
勉強はともかく修平くんは行き詰まっているようだから、奏多と会話することでリラックスできるかもしれない」
じいちゃんは友蔵さんに見えない位置で「水槽の借りがある」と口パクで伝えてくる。
…なるほど。
僕が断ろうとしていたにもかかわらず、じいちゃんが友蔵さんのお願いを後押ししたのは、友蔵さんが水槽を譲ってくれた件のお礼のようだ。
「わかりました。
教えられるかはわかりませんが、僕で良ければ」
「奏多くんありがとう!
明日の朝に泰造ちゃんを迎えに来るから、そのときに一緒に俺の家まで行こう。
修平のやつにわからないところとか聞きたいことをまとめておくように言っておくな!」
友蔵さんはホッとしたように明日の予定を告げる。
そして、当初の目的であったじいちゃんを連れて夏祭りの準備に向かった。
残された僕は庭の片付けに取りかかる。
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庭の食器を下げ、洗い物も終えた。
気づいたらもう夕方だった。
お昼をしっかりとったのでお腹は空いていない。
何かすることはないかと考えたときに友蔵さんからお願いされた修平の勉強を見る話を思い出す。
ここ最近は勉強をしていない。
文章を読んでも目が滑ってしまい、内容が頭に入ってこず集中できなかったこともあるが、泰造じいちゃんの家に来てから来客やじいちゃんと一緒に外出をすることが多く、昼間に1人になることがほとんどなかった。
夜は寝ようと必死になり、眠れないことがわかると散歩に出かけていた。
学んだ内容を忘れてしまったのではないだろうか。
僕は不安に駆られて机へと向かう。
手始めに宿題として出ていた数学の問題集に取り掛かる。
なかなか集中できず苦労したが、根気強く取り組んでいると次第に周囲の音が聞こえなくなった。
気づくと暗い部屋の中で机の明かりに照らされている自分がいた。
いつの間にか時間が経っていた。
こんなに集中できたのは久しぶりだ。
自身の変化に驚く。
じいちゃんは帰ってきただろうか。
僕は部屋を出てリビングへと向かう。
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リビングからは明かりと人の話し声が漏れている。
どうやらじいちゃんが電話をしているようだ。
盗み聞きをしたら悪いと思いつつ、「おかえり」と顔を出すべきか迷っていると、電話のスピーカーから女性の声で僕の名前が呼ばれる。
僕は反射的に聞き耳を立ててしまう。
「――奏多は元気に過ごしてますか?」
「ああ!最近は食欲が少し戻ってきたようだし、以前よりは睡眠も取れているように見えるな」
「――よかったです。
お義父さんも泰斗さんを亡くして辛いときにすみません」
「いやいや!俺も奏多が来てくれて毎日楽しいからな。
香織さんは全く気にすることはない。
若者と過ごしていると元気を貰えるし、むしろこちらが感謝するほうだ!」
「――そう言ってもらえるとありがたいです。
私の方は薬を変えてから症状が安定していて。
このままいけばすぐに奏多を迎えに行きます」
「香織さんもよくなってきているみたいで安心したぞ!
だが焦ってしまうとよくなるものもよくならないからな。
俺も奏多ともっといたいし、ゆっくり養生なさい!」
相手は母さんだった。
じいちゃんは僕に話すときよりも優しい声音で母さんと会話している。
電話口から、母さんの泣き声が聞こえる。
「――こんな、頼りない母親で……ご迷惑を、おかけして……っ、すみません」
言葉の合間に、しゃくり上げる音が挟まる。
鼻をすする音。
息を吸おうとして、うまく吸えずに震える音。
「本当は、私が…奏多の側で、支えてあげないと、いけないのに…!」
そこで声が途切れ、押し殺したような嗚咽が漏れた。
「…私のほうが、奏多に…迷惑、かけてしまって…っ」
最後のほうは、ほとんど言葉になっていなかった。
僕は居心地が悪くなり、じいちゃんに声をかけずに部屋へと戻った。
じいちゃんの家に来る前、母さんに迷惑をかけていないか不安で母さんの顔色ばかり窺っていた。
父さんがいなくなった今、母さんまでいなくなったら…母さんに嫌われたら…。
――僕はひとりぼっちになってしまう。
母さんが良くなっている。
それは、嬉しいはずなのに。
母さんが迎えに来る日、僕は母さんと向き合うことができるのだろうか。




