第40話:『執行官』の洗礼
防衛術式を自滅させながら、レイたちは第25層へと到達していた。この階層は、もはや物理的な法則すら書き換えられており、上下左右の引力が数秒ごとに反転する、常人であれば一歩も進めない混沌の領域だった。
「おっとっと……! おいレイ、今度は左が下になったぞ! 生きた心地がしねえ!」
トールが戦鎚斧を杖代わりにしながら、激しく変動する重力に顔をしかめる。
「ごめんね、トール。少し不快な思いをさせて。……よし、これでどうかな」
レイはトールの肩を優しく叩くと、彼の【神眼】の光をトールの足元へと流し込んだ。
(局所書き換え──トールの周囲の『重力ベクトル』を常に【足元方向】へ固定)
「お……! おお! すげえ、俺の周りだけ完全に普通に戻ったぞ!」
トールが嬉しそうに足を踏み鳴らす。レイは「よかった」と柔らかく微笑むと、アルテや他の英霊たちにも同様の修正を施していった。
「感謝します、我が主。……しかし、これほどの規模で世界の基本定数をリアルタイムで改ざんしてくるとは、敵も相当に焦っているようですね」
ガウェインが黒銀の兜の奥から、冷徹な視線を前方の空間へと向ける。
空間の歪みの中心から、まばゆい光の法衣を纏った、顔のない巨人が姿を現した。背中には十六対の光の翼があり、その手に握られた巨大な天秤からは、触れるだけで因果ごと消滅させるような神聖な魔力が放たれている。
世界システムが遣わした下位神──『システム執行官・リブラ』だった。
「加護なき異端者よ。お前たちの行為は、世界の因果の均衡を著しく損なっている。天秤の導きにより、その罪の質量分の肉体を消滅させよ」
執行官リブラが天秤を傾けると、レイたちの周囲の空間がドス黒い「因果の鎖」によって埋め尽くされ、肉体の自由が完全に奪われた。この鎖は物理的な強度ではなく、「お前はここに存在してはならない」という神のルールそのものが実体化したものだった。
「なるほど、因果の重さで僕たちを縛るわけだね。……でも、リブラさん。その天秤の基準を作ったのは、誰なのかな?」
レイは鎖に縛られながらも、全く苦痛を感じていないかのように、リブラに問いかけた。彼の金色の瞳が、リブラの持つ天秤の『構造記述』を正確にスキャンしていく。
【鑑定対象:システム執行官・リブラ】
特性:神のルール(因果律)の執行。
脆弱性:天秤の基準値は「神の利益」に偏っており、絶対的な公平性(エラー耐性)を持っていない。
「神のルールが不完全だから、僕みたいな『加護なし』が生まれて、寂しい思いをする人間が出るんだよ。……そんな歪んだ天秤なら、僕が正しい形に直してあげる」
レイの【神眼】がまばゆい金光を放つ。
(デバッグ──天秤の『均衡基準値』を【現在のレイの存在質量】へと強制上書き)
ピキィィィン……!
「な……!? 天秤が……傾かない……!? 因果の鎖が、逆に我が方を縛るだと……!?」
リブラの顔のない頭部から、初めて狼狽の声が漏れた。
レイたちの肉体を縛っていた黒い鎖が、一瞬で純金の光へと反転し、逆にリブラの巨大な肉体を幾重にも縛り付け、その神聖な魔力を内側から激しく圧迫し始めたのだ。
「神様だからって、何でも思い通りになると思ったら大間違いよ。──虚空魔法『終焉の轟雷』!」
リリスがニヤリと残虐な笑みを浮かべ、杖を掲げた。彼女の無限詠唱により、リブラの頭上から一千万ボルトを超える暗黒の雷霆が降り注ぎ、身動きのとれない執行官の肉体を容赦なく焼き尽くしていく。
「あ、が……あぁぁぁ……! 神の理が……上書きされるなど……!」
リブラの巨大な肉体が、光の粒子となって崩壊していく。
「リブラさん、さようなら。次はもっと、みんなに優しいルールを作ってね」
レイは消えゆく光の粒子に向けて、静かに、一礼を捧げた。下位神すらも容易くハッキングして駆逐したレイたちの前に、さらなる深淵への道が、ゴゴゴと音を立てて開かれていった。
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