第39話:神域のソースコード
『守護神像・エクス・マキナ』が恭しく跪いた第20層の虚空。そのさらに奥へと開かれた大穴は、もはやダンジョンというよりは、まばゆい光の数式が乱反射する「世界の裏側」そのものだった。
足元には実体のある床がなく、半透明な光のタイルが歩くたびに波紋を広げる。壁や天井に相当する場所には、人間界の全言語を統合したかのような、見たこともない複雑な「記述の川」がゴーゴーと音を立てて流れていた。
「みんな、足元は不安定だけど大丈夫? 酔ったりしていない?」
レイは後ろを振り返り、トールとアルテ、そして神話の英霊たちに穏やかな微笑みを向けた。彼の口調は、まるでピクニックにでも来たかのように優しく、周囲の異様な空間とのギャップが凄まじい。
「ああ、平気だぜレイ! だけどよ、この空気……魔力ってレベルじゃねえぞ。吸い込むだけで体が内側からカッカと熱くなりやがる」
トールが『竜殺しの戦鎚斧』の柄を握り直し、ごくりと唾を飲み込む。
「肯定。トールが感じているのは、魔力の原型たる『原初の記述エネルギー』です。神の加護を持たない通常の人間であれば、この場に3分留まるだけで精神のデータが飽和し、自我が崩壊します。……ですが、マスターの展開する保護領域の内側だけは、完全にその影響を遮断されています」
アルテがサファイアブルーの瞳に文字列を走らせながら、レイの袖をそっと引いた。
「ありがとう、アルテ。君がいつも隣でナビゲートしてくれるから、僕も安心してハッキングができるよ」
レイはアルテの頭を優しく撫でると、彼女は無機質な表情のまま、どこか嬉しそうに目を細めた。
「ふん、神どものお膝元というわけか。千年前、私を『不純物』としてこの深淵に閉じ込めた手際だけは褒めてやるが、今見ると随分と脆弱な継ぎはぎのシステムだな」
リリスが黒い羽をパタパタと揺らし、空中に流れる光の数式を不機嫌そうに睨みつける。
「そうだね、リリス。僕の【神眼】から見ても、この世界は一見きれいに見えるけど……実はいたるところに無理な修正が当たっていて、バグだらけなんだ。神様たちも、この世界を維持するのに随分と苦労しているみたいだ」
レイは金色の瞳──【神眼の支配者】の焦点を、虚空の遥か彼方へと合わせた。
視界が白黒に反転し、世界の根幹たるエリアの全容が、無数の光の文字列となって脳内に直接流れ込んでくる。
【エリア情報:世界の終層・中核領域(第21〜40層)】
管理権限:下位神『システム執行官』の制御下。
状態:レイたちの侵入に伴い、システムが防衛モードへと自動遷移。加護の出力を世界全域で一斉に10倍へと強制ブースト中。
(そっか……。僕たちを止めるために、人間界にいる『加護持ち』たちの力を強引に引き上げているんだ。そんなことをしたら、人間の肉体がもたないのに……本当に残酷なシステムだなぁ)
レイは心の中で静かに嘆息した。神のシステムは、世界を維持するためであれば、末端の人間がどうなろうと知ったことではないらしい。王都の教会が「神の奇跡」と崇めるものの正体が、これほどまでに無機質で冷酷なプログラムであることに、レイは深い悲しみを覚えた。
「──侵入者、確認。神の理を乱す不純なるバグよ、これ以上の進行は世界の崩壊を招く。即刻、その存在を初期化せよ」
突如として、頭上から機械的でありながら、圧倒的な神の威圧感を孕んだ声が響き渡った。
空間の記述の川が激しく逆流し、レイたちの前方に、数千もの白銀の光の手格好をした防衛術式──『システム・ハンド』が形成され、一斉に掴みかかってくる。
「みんな、危ないから僕の後ろに下がっていて」
レイは優しい笑みを浮かべたまま、一歩前に出た。彼の金色の瞳が、夜空の星のようにまばゆく輝きを放ち、迫り来る数千の手を正面から見据えた。
(書き換え──防衛術式の『攻撃対象判定』を【エクス・マキナ】から【神のシステム自身】へと反転)
ピキィィィン……!
空間が美しく鳴動した次の瞬間、数千の白銀の手は一斉にその軌道を反転させ、自分たちを生み出した空間の数式そのものを激しく引き裂き、破壊し始めた。自滅していく防衛システムを見つめながら、レイは静かに歩を進める。
「さあ、神様たちの歪んだルールを、僕たちで綺麗にお掃除しに行こうか」
少年の物静かな宣言とともに、世界そのものを書き換える旅路が、ここに幕を開けた。
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