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第7話 — お前はデブだ

チビオタと泣き虫は顔を見合わせた。


数秒間。


二人とも返事ができなかった。


老人は頬杖をつく。


二人を眺めながら。


「それで?」


「知りたいのか?」


「知りたくないのか?」


チビオタはごくりと唾を飲み込んだ。


額にはすでに汗が浮かんでいる。


「お、お願いします!」


「教えてください!」


老人は二人を見た。


二人とも瞬きすらせずに見つめ返している。


すると。


老人は椀を指差した。


「食え!!!」


二人は飛び上がった。


「この礼儀知らずのガキどもめ……」


「飯が冷めるだろうが。」


老人は鼻を鳴らした。


「まあいい。」


「どうやら本当にあの小僧に興味があるらしいな。」


泣き虫は再びスープを口に運んだ。


しかし。


視線は店内を見回し続けている。


壁。


家具。


古びた道具。


そして。


ある物が目に入った。


カウンターの奥。


そこには何枚もの古い写真が飾られていた。


その中の一枚だけ。


他より少し新しく見える。


泣き虫は目を見開いた。


「ねぇ、老人……」


「あの人は誰……?」


彼女は写真を指差した。


「デブの隣にいる人……」


老人は指の先を追うように視線を向けた。


「ん?」


老人は鼻を鳴らした。


「それか?」


椅子から立ち上がる。


座っている時は足が床に届いていなかった。


両手を背中の後ろで組む。


そして。


写真へ向かって歩き出した。


いや。


歩き出そうとした。


自分の髪を踏んだ。


「うおおおおおおっ!?」


ドガンッ!


額が壁に激突する。


ガタンッ!


写真が床へ落ちた。


沈黙。


店内が静まり返る。


老人は数秒間床に転がったままだった。


その後。


じたばたし始める。


ぶつぶつ文句を言いながら。


悪態をつきながら。


そしてようやく立ち上がった。


足を引きずりながらテーブルへ戻ってくる。


二人へ向ける視線はとても険しかった。


チビオタと泣き虫は顔を真っ赤にしている。


必死に笑いを堪えていた。


「考えるなよ。」


「ちゃんと見えてるからな。」


二人は即座に視線を逸らした。


老人は再び椅子へ腰を下ろす。


「チッ……」


髭を撫でた。


そして。


初めてだった。


老人の目が少し変わる。


どこか遠くを見るような目だった。


「あいつはな……」


「当時の世代で最強の大食い競技者だった。」


沈黙。


カラン。


チビオタの手からスプーンが落ちた。


彼は写真を見つめている。


瞬きすら忘れたように。


「ま、待ってください……」


「まさか……」


ごくり。


唾を飲み込む。


「あの人は……」


「『世界喰らい』ですか……?」


老人は後頭部を掻いた。


明らかに居心地が悪そうだった。


「そうだ。」


「あいつは――」


「俺の息子だった。」


沈黙。


「デブの父親だ。」


沈黙。


とても沈黙。


そして――


ブフォォォォォッ!!!


スープが宙を舞った。


真っ直ぐ老人の顔へ飛んでいく。


チビオタ。


泣き虫。


二人同時だった。


「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


「ありえません!!!」


「デブのお爺ちゃんですか!?」


「デブ爺ですか!?」


老人はゆっくりと顔を拭いた。


スープまみれになりながら。


「貴様ら……」


「殺すぞ。」


だが。


二人とも聞いていなかった。


チビオタはすでに立ち上がっている。


全身を震わせながら。


「底なし沼!?」


「伝説の『底なし沼』ですか!?」


「『世界喰らい』の先代!?」


「あなたがあの『底なし沼』なんですか!?」


老人は瞬きをした。


一回。


二回。


それから腕を組む。


「ふん。」


「その名で呼ばれるのも久しぶりだな。」


チビオタは身を乗り出した。


目を見開いている。


「じゃ、じゃあ……」


「あの噂は本当だったんですね……!」


「伝説のデブ一族……!」


「何世代にも渡って競技界を支配した一族……!」


その瞬間。


老人が爆発した。


「スープを食えぇぇぇぇ!!!」


「それとも器ごと飲み込ませてやろうかァァァ!!!」


チビオタは一瞬で縮み上がった。


「す、すみません!!!」


チビオタはすぐにスープを食べ始めた。


デブ爺は鼻を鳴らす。


「チッ……」


「あの小僧はな。」


「俺の孫だ。」


「世界喰らいの息子だ。」


ブフォォォォォッ!!!


再びスープが飛んだ。


二回目だった。


真っ直ぐ老人の顔へ。


「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


「このクソガキどもォォォ!!!」


「一族ごと滅ぼしてやろうかァァァ!!!」


「す、すみません!」


「ごめんなさい!」


二人は同時に頭を下げた。


老人は顔を拭く。


ぶつぶつ文句を言いながら。


「忌々しいガキどもめ……」


チビオタが最初に立ち直った。


「では……」


「地方大会の事件は……」


「本当にあったんですか……?」


店内が静まり返る。


泣き虫は二人を見比べた。


明らかについていけていない。


「事件……?」


チビオタは勢いよく振り返った。


「事件って何ですかじゃありませんよ!?」


「世界中で報道されたんですよ!?」


「知らない人なんていません!」


デブ爺は小さく息を吐いた。


視線は再び写真へ向かう。


「構わん。」


「話してやろう。」


声が低くなる。


重くなる。


「今から十年ほど前だ。」


「世界喰らいは地方ホットドッグ大会に出場しようとしていた。」


「当時のあいつはすでに伝説だった。」


「そしてな……」


「伝説が大きくなればなるほど――」


「敵も増える。」


デブ爺は腕を組んだ。


「あの日――」


「俺は誰一人疑っていなかった。」


「あいつでさえな。」


「腹筋腹。」


「地方の宿敵とも呼ばれていた男だ。」


チビオタはごくりと唾を飲み込んだ。


その名前なら彼でも知っている。


「奴はあの日、競技に参加していなかった。」


「ただ見ていた。」


「舞台の端からな。」


「ケチャップの小袋を持って。」


沈黙。


「あの時は気づかなかった。」


「だが後になって思えば……」


「偶然にしては出来すぎていた。」


デブ爺は目を閉じた。


まるであの日を思い出しているかのように。


「競技はすでに始まっていた。」


「止めるには遅すぎた。」


「世界喰らいは我が一族に伝わる古い技を使っていた。」


「ホットドッグ丸呑みの術だ。」


泣き虫は目を丸くした。


「そんな技あるの……?」


「あるに決まってる。」


「俺たちはプロだ。」


デブ爺は当然のように答えた。


まるで常識を説明しているかのように。


「世界喰らいは勝利寸前だった。」


「残りはあと一本。」


「たった一本だ。」


店内は静まり返っていた。


「だが。」


「一本だけ細工されたホットドッグがあった。」


「誰かがソーセージに直接ケチャップを塗っていたんだ。」


「多くの人間は勘違いしている。」


「ケチャップは摩擦を増やすとな。」


「だが違う。」


デブ爺は一本指を立てた。


「適切な量なら――」


「摩擦を減らす。」


「しかも大幅にな。」


チビオタの背筋に寒気が走った。


デブ爺は続ける。


「世界喰らいが技を使った瞬間……」


「ソーセージだけが先に滑った。」


沈黙。


「勝手に喉へ入った。」


「速すぎた。」


「反応する暇もなかった。」


デブ爺は俯いた。


「そして……」


「もう誰にもどうすることも出来なかった。」


沈黙。


とても沈黙。


「幼かったデブは舞台へ駆け上がった。」


「泣きながら。」


「父親の名前を呼びながら。」


デブ爺の声が一瞬だけ途切れる。


「そして。」


「あれが最後の言葉だった。」


店全体の時間が止まったようだった。


「息子よ……」


「決して忘れるな……」


「お前はデブだ。」

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