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第5話 — タコ焼きと敗北

大会司会者がマイクを高く掲げた。


興奮していた。


とても興奮していた。


「参加者の皆さぁぁぁん!!」


「いよいよ開始の時間です!!」


「本日の秘密の競技料理は――」


沈黙。


「おにぎりでぇぇぇす!!!」


観客席が大きな歓声に包まれた。


「準備はいいですかぁぁぁ!?」


「3!」


「2!」


「1!」


「いただきまぁぁぁぁぁす!!!」


開始と同時に会場は混乱に包まれた。


参加者たちは一斉に皿へ飛び付く。


観客も次々とステージの周囲へ集まり始めた。


人。


人。


さらに人。


応援する者。


叫ぶ者。


お気に入りの選手を指差す者。


チビオタはその場で飛び跳ねそうになっていた。


「頑張ってくださぁぁぁい、デブゥゥゥ!!」


「僕は信じてますよぉぉぉ!!」


だが――


何かがおかしかった。


明らかにおかしかった。


デブはまだ一口も食べていない。


おにぎりにすら触れていなかった。


その視線は遠くを見つめたまま。


誰かを探しているような。


何かを探しているような。


泣き虫はすぐに気付いた。


大会が始まる前から。


あの違和感は消えていなかった。


そして今。


確信していた。


デブはいつもと違う。


明らかに違う。


泣き虫は勇気を振り絞る。


少なくともそのつもりだった。


「デ、デブ……」


「ま、負けないで……」


だが。


その声は届かなかった。


デブは何も聞いていないようだった。


一方その頃。


司会者は相変わらず猛烈な勢いで実況を続けていた。


「信じられませぇぇぇん!!!」


「一番の選手がすでに二皿目に突入しています!!」


「二番は少し遅れています!!」


「そして四番が追い付いたぁぁぁ!!」


「三皿目は完全な一騎打ちです!!」


「これは大接戦だぁぁぁぁぁ!!!」


観客たちは大盛り上がりだった。


「行けぇぇぇ!!」


「諦めるなぁぁぁ!!」


「もっと速くぅぅぅ!!」


その時だった。


司会者が固まる。


「……おや?」


「お待ちください……」


「三番の選手が……」


「まだ一口も食べていませぇぇぇん!!!!!」


観客席が静まり返った。


ほんの一瞬だけ。


本当に一瞬だけ。


そして。


次の瞬間には笑い声が広がっていた。


「ハハハハハ!」


「もう負けてるじゃないか!」


「まだ始まってもいないぞ!」


「帰った方がいいんじゃないか?」


「四番が優勝だ!」


「一番の方が圧倒的に強い!」


チビオタは拳を握り締めた。


汗を流しながら。


困惑しながら。


焦りながら。


「何をやってるんですか……?」


だが。


デブは動かない。


まるで何も聞こえていないかのように。


まるで大会そのものが存在していないかのように。


泣き虫は俯いた。


そして。


突然振り返る。


そのままステージ裏へ向かって走り出した。


チビオタの目が見開かれる。


「えっ!?」


「ど、どこへ行くんですか!?」


返事はなかった。


チビオタは慌てて彼女の後を追う。


その瞬間。


会場が歓声に包まれた。


「優勝者が決定しましたぁぁぁ!!!」


「優勝は四番の選手ぅぅぅ!!!」


「これにて大会終了でぇぇぇぇぇす!!!」


他の参加者たちはステージに残っていた。


拍手を受け。


祝福を受け。


称賛を受けている。


だが。


デブだけは違った。


結果発表が終わくや否や。


そのまま会場を後にしようとしていた。


まるで優勝者が発表されるよりずっと前に。


彼の中ではすでに大会が終わっていたかのように。


司会者は目を見開いた。


慌ててデブの元へ駆け寄る。


観客へ笑顔を向けたまま。


こっそりマイクを下げた。


「お、おい……」


「まだ帰っちゃダメですよ」


「もう少しだけ待ってください」


デブは歩き続けた。


聞こえていないかのように。


司会者は数秒固まった。


それから再び笑顔を作る。


「いやぁぁぁぁ!!」


「素晴らしい大会でしたね、皆さぁぁぁん!!」


観客席から拍手が湧き起こる。


その一方で。


チビオタはその場に立ち尽くしていた。


今起きたことを理解しようとしている。


「なんで負けたんですかァァァ!?」


「信じられません!!」


「やっぱりだ!!」


「あのたこ焼きを食べるべきじゃなかったんですよ!!」


「お腹が空いていました。」


「だから負けました。」


「全然説明になってませんよォォォ!!」


チビオタがさらに何か言おうとした時だった。


小さな影が横を通り過ぎる。


泣き虫だった。


彼女はデブの元へ駆け寄る。


そして。


何も言わずに抱き付いた。


沈黙。


チビオタは固まった。


完全に固まった。


デブは視線を落とす。


自分の腕にしがみ付いている少女を見る。


「大丈夫ですか?」


泣き虫の顔が真っ赤になった。


「きゅ、きゅん……」


思考停止。


完全停止。


二秒後。


彼女は全力で逃げ出していた。


近くの木の後ろへ隠れる。


そしてこっそり様子を窺う。


「きゅ、きゅん……」


デブは再び歩き始めた。


「帰ります。」


チビオタが爆発した。


「どういうことですかァァァ!?」


「負けたんですよ!?」


「もっと悔しがってくださいよ!!」


「悔しいです。」


「家に帰ってたこ焼きを食べます。」


沈黙。


「そこじゃないでしょうォォォ!!」


デブは歩き続けた。


何も起きていないかのように。


チビオタと泣き虫は慌てて後を追った。


「ま、待ってくださぁぁぁい!!」


チビオタは息を切らしながら叫ぶ。


「何があったんですか!?」


「僕は見たんですよ!」


「あなたが中村宏を倒したところを!」


「使っていた技術だって普通じゃなかった!」


「まるでプロの選手みたいだったんです!」


デブは何も答えなかった。


ただ歩き続ける。


チビオタは拳を握り締めた。


「もっと期待していたのに……」


泣き虫は何も言わない。


大会が始まる前から。


ずっと違和感を感じていた。


そして今も。


それは消えていない。


デブの表情は変わらなかった。


大会の前も。


大会の最中も。


負けた後ですら。


まるで別のことを考えているようだった。


まるで大会そのものが重要ではなかったかのように。


「くそっ……」


チビオタは小石を蹴飛ばした。


「あと少しだったのに……」


だが。


次の瞬間には顔を上げる。


「大丈夫です!」


「まだあります!」


「この街で一番大きな大会が!」


「本大会です!」


「あなたなら出場できますよね!?」


デブが立ち止まった。


初めてだった。


振り返ることもなく。


ただ答えるためだけに足を止める。


「いいえ。」


「私は大会には出ません。」


「どういう意味ですかァァァ!?」


「たった今出たじゃないですかァァァ!!」


沈黙。


デブは数秒間動かなかった。


そして。


「間違いでした。」


チビオタは固まった。


「……え?」


「さようなら。」


デブは再び歩き始めた。


昨夜と同じ道を。


同じ方向へ。


一度も振り返ることなく。


その時だった。


泣き虫がチビオタの腕を掴む。


彼が追い掛けようとするより先に。


「チ、チビオタ……」


「待って……」


チビオタは振り返った。


「なんですか?」


「デブ……」


「様子が変だった……」


「気付きませんでしたか……?」


チビオタは黙り込んだ。


大会のことを思い返す。


会話を思い返す。


ショッピングモールまでの道を思い返す。


数秒が過ぎた。


「いいえ。」


「何も変わったようには見えませんでした。」


泣き虫は目を閉じた。


深呼吸する。


もう一度深呼吸する。


そして。


呆れたように目を逸らした。


明らかに苛立っていた。


「役立たず……」


「えっ!?」


「追い掛けます。」


「静かにしてください。」


「さもないと一族ごと消します。」


チビオタは凍り付いた。


「お、オッケーです……」


二人は待った。


デブが道路を渡るまで。


そして。


十分な距離ができてから。


後を追い始める。


見つからないように。


慎重に。


デブは急ぐ様子もなく歩いていた。


人通りの少ない道へ。


さらに少ない道へ。


そして。


一軒の古い店の前で足を止めた。


古い。


とても古い。


入口の上にある看板は年月によって擦り切れていた。


文字も一部消えかかっている。


扉には「休業中」の札。


風に揺れていた。


だが。


デブは迷うことなく中へ入る。


*チリン。*


チビオタと泣き虫は角から様子を窺っていた。


困惑していた。


二人とも予想していなかったからだ。


「帰りましょう。」


「知り合いの店なんじゃないですか?」


「昼ご飯を食べに来ただけですよ。」


チビオタはそう言って歩き出した。


だが。


泣き虫が服を掴む。


強引に引き戻した。


「何かある……」


「絶対にある……」


「チビオタ!!」


「戻ってきて!!」


チビオタは飛び上がった。


「な、なんですか今度は!?」


泣き虫は腕を組んだ。


考える。


真剣に考える。


とても考える。


そして。


「明日。」


「正午。」


「この角で待ち合わせ。」


チビオタは瞬きをした。


「明日ですか?」


泣き虫は指を突き付ける。


「遅刻したら……」


「遺書を書いておいて。」


「……」


「わ、分かりました……」


二人とも気付いていなかった。


だが。


その瞬間。


すでに決めていたのだ。


デブのことを調べると。


その頃。


店の中では。


デブが扉を押し開けていた。


すると。


入った瞬間だった。


聞き慣れた怒鳴り声が飛んでくる。


「遅いぞ小僧ォォォ!!!」


カウンターの向こうにいたのは老人だった。


小さい。


とても小さい。


身長は一メートルを少し超える程度。


樽のように丸い体型。


長い白髪は一本のポニーテールにまとめられている。


毛先は床に届きそうだった。


白い髭は腰まで伸びている。


老人はデブの方へ歩こうとした。


だが。


次の瞬間。


自分の髪を踏んだ。


「うおおおおおおっ!?」


ごろごろごろっ。


そのまま転がっていく。


背後の空瓶を二本巻き込みながら。


ガシャーン。


「馬鹿な老人ですね……」


デブはため息をついた。


そして老人を起こしてやる。


老人はそのままデブにもたれかかった。


「だったら何でこんなに遅かったんだァァァ!?」


「負けました。」


沈黙。


老人は瞬きをした。


一回。


二回。


そして。


「じゃあもっと遅いじゃねぇかァァァ!!!」


「上に行きます。」


「人が話してる途中だろォォォ!!!」


だが。


デブはすでに階段へ向かっていた。


「旅の準備をします。」


老人は腕を組んだ。


初めてだった。


すぐには何も言わなかった。


「チッ……」


デブは階段を上り始める。


だが。


途中で立ち止まった。


「たこ焼きを買ってきました。」


沈黙。


「全部食べます。」


老人の目が見開かれる。


「おい!!」


「この罰当たりの小僧ォォォ!!!」


「年寄りを敬えェェェ!!!」


デブは再び階段を上り始めた。


聞いていないかのように。


すると老人が叫ぶ。


「一皿くらい残しておけェェェェェ!!!」

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