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第17話 — 四つ目とピンク頭

幕がゆっくりと開いた。


競技者たちが。


一人。


また一人と舞台へ上がっていく。


観客席から拍手が湧き起こる。


名前を呼ばれる者もいれば。


軽い拍手だけで終わる者もいた。


そんな中――


「さあ続いてぇぇぇ!!」


司会者が大きく腕を掲げる。


「期待の新星ぃぃぃ!!」


「パイプクリーナァァァァァー!!!」


会場が一気に沸き上がった。


「うおおおおおおっ!!」


「パイプクリーナー!!」


「来たぁぁぁ!!」


チビオタは目を見開いた。


「あ、現れた……」


胸が大きく高鳴る。


そこにいた。


想像していたよりも。


ずっと大きい。


腕は丸太のように太く。


胸板はユニフォームが破れそうなほど盛り上がっていた。


それでも。


表情はまったく変わらない。


パイプクリーナーは黙ったまま。


自分の席へ向かって歩いていく。


観客を見ることもなく。


手を振ることもなく。


一言も喋らない。


チビオタは紙袋をぎゅっと握り締めた。


瞳が。


憧れで輝いていた。


「すごい……」


小さく呟く。


競技が始まった。


競技者たちは。


信じられない速さで料理を平らげていく。


実況が叫ぶたび。


観客席は大歓声に包まれた。


数分後。


勝負は終わっていた。


「勝者決定ぃぃぃぃ!!」


司会者が舞台中央を指差す。


「ゼッケン二番の勝利ぃぃぃ!!」


再び大きな拍手が響く。


パイプクリーナーは。


優勝できなかった。


それでも。


何人ものカメラマンが彼へレンズを向け続けていた。


観客席からは。


今でも彼の名前を叫ぶ声が聞こえる。


しかし。


本人はまるで気にしていなかった。


そのまま静かに舞台を降りる。


まるで。


すべてがどうでもいいことのように。


チビオタは大きく息を吸った。


今しかない。


もう二度と。


こんな機会は来ないかもしれない。


胸元で。


サイン帳を強く抱き締める。


「今だ……」


深呼吸。


もう一度。


深呼吸。


「サインだけでも……!」


ごくり。


唾を飲み込む。


そして。


走り出した。


柵の下をくぐり抜ける。


カメラマンを避ける。


スタッフの横をすり抜ける。


制止する声も聞こえない。


ただ走った。


そして。


ようやく追いつく。


目の前で立ち止まった。


一瞬。


パイプクリーナーは。


その小さな障害物につまずきそうになる。


ゆっくり視線を落とした。


チビオタを見る。


「こ、こんにちは……」


チビオタは慌てて頭を下げた。


手は震えている。


「ぼ、僕は……」


「ずっとあなたのファンです……!」


小さなサイン帳を差し出す。


ペンも一緒に。


「よ、よかったら……」


「サインをいただけませんか……?」


沈黙。


パイプクリーナーは動かなかった。


ただ。


チビオタを見つめている。


数秒後。


「チッ。」


小さく舌打ちした。


そのまま横を通り過ぎる。


何事もなかったかのように。


歩き去っていく。


まるで。


チビオタなど最初から存在しなかったように。


……


差し出したサイン帳だけが。


宙に取り残されていた。


チビオタの手が。


小さく震える。


ゆっくり。


腕を下ろした。


その時だった。


警備員が近づいてくる。


「坊や。」


「ここは選手専用エリアだ。」


「さあ。」


「外へ出ようか。」


チビオタは小さく頷いた。


「す、すみません……」


チビオタは小さく頭を下げた。


肩を落としたまま。


その場を後にする。


足取りは重かった。


舞台から離れ。


舞台裏から離れ。


人混みからも離れていく。


その時だった。


目の前に。


一つの影が伸びる。


チビオタは俯いたままだった。


足元しか見えていない。


目の前で。


一足の靴が止まる。


そこでようやく。


ゆっくり顔を上げた。


……


泣き虫だった。


腕を組み。


いつものように。


少しだけ見下すような視線を向けている。


泣き虫は小さく頬を膨らませた。


ぷいっと顔を背ける。


そして。


誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。


「……こんなところで会うなんて思わなかった。」


……


チビオタは眼鏡をくいっと直した。


首を少し傾げる。


「えっ?」


「聞こえなかった。」


泣き虫は鼻を鳴らした。


まだ横を向いたまま。


「だから……」


「こんなところで会うなんて思わなかったって。」


チビオタは少し顔を近づける。


「え?」


「もっと大きな声で。」


沈黙。


泣き虫の額がぴくりと震えた。


こめかみに青筋が浮かぶ。


そして――


「何であんたがここにいるのよぉぉぉぉ!!


この四つ目ぇぇぇぇ!!」


チビオタは飛び上がった。


だが。


負けじと叫び返す。


「そっちこそぉぉぉ!!」


「ピンク頭人形ぉぉぉ!!」


「誰が呼んだんだよぉぉぉ!!」


泣き虫は指を鳴らし始めた。


ボキッ。


ボキッ。


瞳が燃えるように鋭くなる。


「ぶっ飛ばしてやる……」


チビオタの膝が震えた。


額を汗が伝う。


一歩下がる。


もう一歩。


その時。


誰かが。


そっと泣き虫の肩へ手を置いた。


「ほほほ……」


「落ち着いて。」


「落ち着いて。」


泣き虫は振り返る。


その後ろには。


一本の杖をついた老婦人が立っていた。


かなりの高齢にもかかわらず。


その優しい笑顔は。


若者よりもずっと元気そうに見える。


老婦人はチビオタを見た。


それから。


泣き虫を見る。


「この子なのかい?」


「あなたが紹介したかった子は。」


「ふん……」


泣き虫は再び腕を組む。


ぷいっと顔を逸らした。


「そうよ。」


「大食い競技のことなら何でも知ってる。」


「筋金入りのオタク。」


老婦人は優しく微笑んだ。


「ほほほ……」


「最近は。」


「ここまで夢中になれる若い子は珍しいねぇ。」


チビオタは老婦人を見つめる。


数秒間。


どこかで見たことがある。


そんな気がした。


やがて。


老婦人は小さく頭を下げる。


「初めまして。」


「若者よ。」


「私はマンマ・グラッサ。」


沈黙。


チビオタの目が大きく開く。


「そ、そんな……!」


震える指で彼女を指差した。


「ま、まさか……」


「あなたが……」


「伝説の『ノンナ・パンツォーナ』!?」


「国際大会を制したあの人ですか!?」


老婦人は口元へ手を添え。


静かに笑った。


「ほほほ……」


「懐かしい呼び名だねぇ。」


泣き虫へ視線を向ける。


「あなたの言う通りだったよ。」


「本当に変わった子だ。」


泣き虫はすぐにチビオタを指差した。


「さっきの全部見てたんだから!」


「どうせサインをもらうなら!」


「本物の伝説を選びなさいよ!」


チビオタの目に涙が浮かんだ。


「な、泣き虫……」


考えるより先に。


両腕を広げる。


抱きつこうとした。


だが。


泣き虫は一歩だけ横へ避けた。


チビオタはそのまま通り過ぎる。


「うわぁぁぁっ!?」


べちゃっ!


顔面から地面へ突っ込んだ。


そのまま数メートル滑っていく。


泣き虫は見なかったことにした。


「勘違いしないでよ……」


沈黙。


「私はただ……」


「デブが……」


「き、きゅん……」


沈黙。


泣き虫は固まった。


瞬きをする。


一回。


二回。


「ご、ごほんっ。」


軽く咳払いをする。


「ち、違うわ。」


「デブが……」


「そんなあんたを見たら嫌がると思っただけだから。」


チビオタは黙っていた。


ゆっくり立ち上がる。


眼鏡を直す。


目元はまだ少し潤んでいた。


「ぼ、ぼ……」


大きく息を吸う。


「ありがとう……」


泣き虫は耳へ手を当てた。


「えぇぇぇ?」


チビオタは肺いっぱいに息を吸い込む。


そして。


思い切り叫んだ。


「ありがとうって言ったんだ!!


噛み終わったガム頭ぁぁぁ!!」


「なにぃぃぃぃぃっ!?」


老婦人は楽しそうに笑った。


「ほほほ……」


「本当に仲の良い子たちだねぇ。」


そして。


チビオタへ向き直る。


「さて。」


「サインが欲しいんだろう?」


チビオタの目が再び輝いた。


慌ててサイン帳を差し出す。


「お、お願いします!」


マンマ・グラッサはゆっくりと。


美しい字で名前を書いた。


書き終えると。


優しくサイン帳を返す。


「はい。」


チビオタは両手で受け取った。


まるで宝物でも扱うように。


「ほ、本当にありがとうございます!!」


深々と頭を下げる。


勢い余って。


少しよろけた。


それから。


泣き虫の方を向く。


「ぼ、僕……」


「そろそろ帰るね。」


小さく息を吸う。


少し照れくさそうに笑った。


「ありがとう、泣き虫……」


「ありがとう、マンマ・グラッサ。」


マンマ・グラッサは穏やかに微笑む。


「ほほほ……」


「こちらこそ。」


「久しぶりに昔を思い出させてもらったよ。」


チビオタは歩き始めた。


数歩進んだところで。


足を止める。


顔だけ振り返った。


泣き虫は。


マンマ・グラッサの肩を支えながら歩いている。


チビオタの口元に。


小さな笑みが浮かんだ。


「ねぇ、泣き虫。」


泣き虫が振り向く。


「なによ?」


「デブがさ……」


沈黙。


「噛み終わったガムは嫌いなんだって。」


……


チビオタは一目散に走り出した。


「こぉぉぉらぁぁぁぁ!!」


「待ちなさい!!


四つ目ぇぇぇぇ!!」


泣き虫も全力で追いかける。


マンマ・グラッサを支えていたことなど。


完全に忘れて。


マンマ・グラッサは。


遠ざかっていく二人の背中を眺めていた。


口元へ手を添える。


「ほほほ……」


「面白い子たちだねぇ。」

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