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第14話 — サンドイッチの餌

師匠とデブは腕を組んだまま。


二人は弟子を見つめていた。


少年は一歩後ずさる。


もう一歩。


やがて踵がタグボートの縁に触れた。


ごくりと唾を飲む。


すぐ下の海を見下ろいた。


あと一歩。


それだけだった。


師匠は目を細めた。


フォークの手を持ち上げる。


そのまま少年を指差した。


「おらァ」


「時間だ」


沈黙。


「考えるなァ……」


大きく笑みを浮かべる。


「飛び込めェ!!!」


「ギャハハハハハハハ!!!」


デブは顔を手で覆った。


呆れたように。


「このクソジジイ……」


「何も教えてないじゃないか」


弟子はものすごい勢いで首を縦に振る。


「は、はい!」


「し、師匠はここへ来るたびに、お、俺に飛び込めって言うだけなんです!」


師匠は甲板へどかっと腰を下ろした。


自分の足を叩きながら。


「ギャハハハハハハハ!!!」


デブは小さくため息をつく。


それから。


手で軽く合図した。


「こっちへ来い」


弟子は師匠を見る。


それからデブを見る。


少し迷った。


だが。


ゆっくりと近づいていく。


ようやく。


ちゃんとした教えが聞ける。


そう信じながら。


デブの目の前で立ち止まった。


「な、何ですか?」


沈黙。


ポフッ。


デブは両手を伸ばした。


そして。


少年をそのまま船の外へ押した。


「うわあああああああああっ!!!」


ザバーン!!


弟子はまったく身構える間もなく海へ落ちた。


必死にもがく。


腕を振り回す。


足をでたらめにばたつかせる。


「た、助けてぇ!!」


「お、俺、溺れるぅ!!」


必死に顔を水面へ出そうとする。


海水をひと口飲む。


もうひと口。


そして。


ゆっくりと水面の下へ沈んでいった。


師匠は立ち上がる。


ゆっくりとタグボートの縁まで歩いた。


浮かび上がる泡を眺める。


口元に。


小さな笑みが浮かんだ。


「お前そっくりだなァ……」


「チビデブ」


「ギャハハハハハ!!!」


デブは眉をひそめた。


「人に教えるやり方じゃない」


ここへ来て初めて。


師匠は笑うのをやめた。


視線は数メートル先の巨大な岩場へ向く。


岩の間を風が吹き抜ける。


まるで。


遠い昔の記憶を呼び起こすように。


師匠はゆっくり岩場を指差した。


「あそこだァ……」


「あの岩場でなァ……」


「俺と親父デブは毎年タコ釣りをしてた」


沈黙。


「あそこはなァ……」


「俺も先代に」


「デブ爺と一緒に突き落とされた場所でもある」


「俺たちも……」


「ちょうどあの坊主くらいの歳だった」


師匠は空を見上げた。


それから。


果てしなく続く海を眺める。


まるで。


あの日の景色が今もそこにあるかのように。


「今のお前と同じようになァ……」


「デブ爺は俺を助けてくれた」


沈黙。


小さく笑う。


「それで俺はなァ……」


「親父デブを海へ突き落とした」


「ギャハハハハハ!!!」


デブは何も言わなかった。


ただ。


水面へ浮かび続ける泡を見つめていた。


少しずつ小さく。


少しずつ間隔を空けながら。


師匠は再び腕を組んだ。


水平線を見つめたまま。


「地区大会の少し前だったなァ……」


「それとなァ……」


「あのクソサメに出会った日でもある」


沈黙。


「その数日前……」


「親父デブが俺のところへ来た」


「あいつはなァ……」


「ホットドッグ丸呑み無咀嚼流を」


「最後まで身につけられなかったって言ってよォ……」


「それで――」


「あいつは大丈夫か?」


デブはすぐに遮った。


心配を隠そうともせずに。


師匠は何度か瞬きをした。


昔の記憶から。


現実へ戻るように。


もう一度。


海へ視線を落とす。


「待てェ」


水面を指差した。


「泡を見てろォ」


沈黙。


「泡が止まったら……」


大きく笑う。


「いい勉強になる」


「ギャハハハハハ!!!」


デブは何も答えなかった。


ザバーン!!


迷うことなくタグボートから飛び込む。


あまりの衝撃に。


船体が波の上で小さく揺れた。


デブはほとんど一直線に沈んでいく。


まるで砲弾のように。


さらに深く潜る。


やがて。


弟子の姿が見えた。


もう。


もがいてはいない。


体はゆっくり沈み。


肺は海水で満たされていく。


デブは一気に加速した。


腕を伸ばす。


弟子の手首を掴んだ。


すぐに胸元へ引き寄せる。


その時だった。


気配。


ひとつ。


またひとつ。


周囲に影が現れ始める。


サメだ。


一匹。


二匹。


三匹。


四匹。


五匹。


静かに円を描いて泳いでいた。


待っている。


その時を。


デブは静かに息を整えた。


弟子をさらに強く抱える。


そして。


水面を目指して泳ぎ始めた。


視線は逸らさない。


一匹のサメが。


ゆっくり近づいてくる。


すぐ横を通り過ぎた。


触れそうなほど近く。


だが。


襲ってはこなかった。


沈黙。


デブはそのまま泳ぎ続ける。


その瞬間。


全身を悪寒が走った。


反射的に振り返る。


もう一匹。


背後から一直線に迫っていた。


さっきよりも速い。


避ける暇はない。


だが――


追いつく寸前。


さらに巨大な影が現れた。


もっと大きい。


圧倒的に。


二匹のサメが激しくぶつかる。


残り四匹も。


一斉に進路を変えた。


新たに現れた巨大なサメを囲み始める。


しばらくの間。


サメ同士が争い始めた。


十分だった。


デブは泳ぎ続ける。


少しずつ。


水面へ近づいていく。


やがて。


陽の光が海中へ差し込み始めた頃。


最後に一度だけ。


後ろを振り返る。


そこで気づいた。


あの巨大な影。


背びれが一本。


失われていた。


沈黙。


「……」


あいつだ。


伝説のサメ。


デブは迷わなかった。


ザバァン!!


勢いよく水面を破る。


すぐに弟子を持ち上げた。


「師匠!」


「坊主を!」


「早く!」


師匠は目を細めた。


デブの表情を見る。


そして笑う。


「ギャハハハハハ……」


ゆっくり顎髭を撫でた。


「まさかとは思うがァ……」


デブは荒い息のまま。


静かに頷いた。


「ああ……」


デブはすぐに海へ目を向けた。


「サンドイッチを投げろ!」


師匠は一瞬も迷わなかった。


義足を引きずりながら。


甲板を横切る。


巨大なサンドイッチへ。


フォークの手を突き刺した。


大きく息を吸う。


「ギャハハハハハハハ!!!」


そのまま船から飛び込んだ。


ザバーン!!


デブは目を見開く。


「このクソジジイ!」


「先に坊主を助けろ!」


師匠の声は。


水中へ沈む前に響き渡った。


「時間がねぇ!」


「今こそォ……」


「決着をつける時だァ!」


「ギャハハハハハハハ!!!」


再び。


水面が静かに閉じる。


沈黙。


弟子が激しく咳き込んだ。


「ゴホッ! ゴホッ!」


ゆっくり目を開く。


まだ意識はぼんやりしていた。


デブを見る。


疲れ切った笑みを浮かべた。


「お、俺……」


大きく息を吸う。


「できました……」


デブは目を瞬かせた。


驚いていた。


こんなに早く意識を取り戻すとは思っていなかった。


それでも。


静かに頷く。


「……」


「ああ」


「よくやった」


弟子を船首まで持ち上げる。


弟子はふらつきながらも。


自力で甲板へ上がった。


そして。


手を差し伸べる。


「は、早く!」


デブはその腕を掴む。


船へ上がり始めた。


その瞬間だった。


両足をタグボートへ引き上げようとした時――


ドォォォン!!!


巨大な水柱が船の横で炸裂した。


伝説のサメが。


海から飛び出したのだ。


そして。


その背中へしがみついていたのは――


師匠だった。


巨大なサンドイッチは。


まだサメの口に挟まれたまま。


フォークの手がパンから離れる。


そのまま。


サメの背中へ突き刺さった。


もう片方の手で。


師匠は船縁へしがみつく。


「チビデブ!」


「手を貸せェ!」


「こいつを船へ上げるぞォ!」


「ギャハハハハハハハ!!!」


デブは大きく息を吸った。


足を踏ん張る。


師匠の腕を掴み。


全力で引き上げた。


サメは勢いよく甲板へ落ちる。


激しく暴れ続けた。


「やったぞォォォ!!!」


師匠は子供のように笑う。


「ギャハハハハハハハ!!!」


迷いなく。


そのままサメへまたがった。


一人と一匹。


互いを見つめ合う。


目と目を合わせたまま。


数秒。


やがて。


サメは静かになった。


師匠は小さく息を吐く。


まだその背中にまたがったまま。


「そんな目で見るなァ……」


顎髭を掻く。


「お前は俺の晩飯になるはずだったんだぞォ……」


沈黙。


サメは動かない。


静かに呼吸するだけだった。


師匠も黙ったまま。


しばらく見つめ続ける。


そして。


小さく笑った。


だが。


もう笑い声はなかった。


「お前もしぶとかったなァ……」


ゆっくりと俯く。


「これで……」


「俺たちの喧嘩も終わりだなァ」


沈黙。


ずっと。


年老いたライバルを見つめていた。


目には涙が浮かび始める。


「俺は……」


ごくりと唾を飲み込む。


「俺はなァ……」


深く息を吸った。


「お前も……」


「あの日の喧嘩を覚えてたんだろォ……?」


デブを見る。


ほとんど囁くような声で。


「なあ……」


「チビデブ……」


「こいつを海へ返すのを手伝ってくれ」

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