Episode 7
聞き慣れた声に顔を向けると,自動扉が開きウェットスーツの上にライフジャケットを着た陽翔がクラブハウスから出て来たところだった。普段見ることのないその本格的な格好に内心僕は感心する。
馬子にも衣裳とは良く言ったものだ。
「ヨット部の部員は入院している透真以外全員来て準備を始めてる。ヨット見たいなら今の内だぞ」
そう言って再び自動扉を通りクラブハウスへ戻って行く。僕は一瞬戸惑うも,扉が閉まり切る前にその後を追った。
「おい,勝手に入って良いのか?」
「見学希望の生徒が同席するって話を,顧問がマリンパーク側に通してあるって。大体,クラブハウス通らないとヨット出せないし」
左手の受付に立っている従業員の目を気にしながら陽翔の背中を追う。こちらに構わず陽翔はホールを通り抜けクラブハウスの奥へずんずん進む。それぞれ男女の更衣室の室名札が掲げられた部屋を左右に見ながら,陽翔は細長い廊下を抜けた先の扉を開く。
「おおっ」
扉の先に広がる光景に僕は思わず感嘆した。
学校のグラウンドの優に2倍以上の広さはあるだろう,右手に向かって広がるコンクリートのスペースに,普通車よりも遥かに大きいボートが連なっていた。
大型商業施設の駐車場に停めてある車のように,船尾同士を向かい合わせにしてボートが2列ずつ間隔を置いて並べられているが,車と明らかに違うのはそのサイズだ。目に見える範囲だけだがいずれのボートもマイクロバスより大きい。しかしテレビのロケなどで見かけるタイプのボートと同じサイズ感のようだから,これでも小型船の部類なのかもしれない。
良く観察するとボートは4本脚のテーブルをひっくり返したような,金属製の台の上に載せられている。恐らくここが舟艇の保管場なのだろう。
「まぁ初見でボートの大きさに驚くのも無理はないけど,俺らヨット部が利用させてもらっているのはコッチコッチ」
予想以上のボートの大きさに圧倒される僕に構わず,勝手知ったるとばかりに陽翔は左手へ進む。陽翔について行くと,ボートの並ぶこの場所の更に向こう側に広がる海が見えた。
海面は2メートルほど下らしく,手前の方はコンクリートに遮られここからだと見えないが,奥の方に桟橋とそこに係留されたボートが見える。どうやら陸上で保管されているものより更に大きいボートを係留しているらしい。陸上と合わせると見えているボートだけで軽く100隻は超えているだろう。
桟橋の向こうには防波堤が見え,その内側は今ほぼ波がないが外側は時折白波が混じる。強い風が海側から陸に向かって絶えず吹いており,あっという間に自転車を漕いで火照った体から熱を攫っていった。
陽翔は真っすぐ左手に見える体育館のような見た目の建物へと向かう。恐らく舟艇の保管庫か何かだろう,上げ下ろしのシャッターが完全に上げられヨットを運び出している柳井さんや橋本君の姿が見えた。他のヨット部員も皆ウェットスーツとライフジャケットという格好だ。
その中に,明らかに部員より身長が高く筋肉質な男性の姿が混ざっている。その見慣れない成人男性に陽翔は一目散に近寄って行く。
「吉田センセーイ,例の事故の件を調べてもらっている友人が到着していたので連れてきました」
「おー,例の探偵君か」
短髪でサイドを刈り上げた吉田先生は,スポーツマン然とした屈託のない表情で振り返る。けれど先生の言葉に僕は一瞬でかぁっと顔が赤らむのを自覚する。
生徒だけならまだしも教師にまでって……陽翔のヤロウ,覚えておけよ……っ!
今更ながら迂闊に事故原因の調査を請け負った自らの思慮の無さを呪った。即刻踵を返し自宅に馳せ戻りベッドにダイブしたい衝動をどうにかこうにか抑えつける。
「……これまで聞き取った限り僕自身船底の損傷による浸水が最も有力な可能性と考えているので,あまり期待しないでいただけると助かります」
「何だ何だ,随分後ろ向きだな。生憎うちの部の方針は当たって砕けろでね,元々マイナー競技なんだから常識にとらわれず取り敢えずやってみようというのがモットーだ。やる前から成否を気にしてちゃ動きが鈍るだけだからな。だから辻井もそんなに気負う必要はないぞ,取り敢えずやれる限りのことをやってくれれば十分だ。ぶっちゃけ顧問の立場からすると見落としの可能性を勝手に潰してくれてラッキーってのが本音だし,万一別の要因が絡んでいるなら真面目に再発防止策を練らなきゃならん。練習の邪魔にならないなら好きなように動いてくれ」
砕けた口調で吉田先生は僕の肩をポンポンと叩く。日本史は選択していないため直接授業を受けたことはないが,気さくでサバサバとした性格からか同級生からの人気は高いらしい。学生時代からスポーツを続けているのだろう,体格だけ見ると体育教師のようだ。
正直接点がないにも関わらず近過ぎるこの距離感が僕は苦手だが,一般的には生徒から好まれるタイプの教師と言えるだろう。
「ではヨットを見せてもらっても良いですか? 一応資料見せてもらっていますけど,実物見て構造を理解しておきたいので」
「おーいいぞ。準備中だしちょうど良い。橋本,高橋! 辻井にヨットの造りを説明してやってくれ」
吉田先生はそう声を張り,ヨットを運び出している橋本君と陽翔の方を指差す。僕は先生に軽く頭を下げ2人に駆け寄る。
「今日の練習は2人がペアなの?」
他の部員の様子を観察しながら僕は質問する。観察する限り今日の練習で使用するヨットは4艇のようだ。女子部員が3人で準備をしているものの男子は柳井さん・徳丸さんのペアと鈴木君・菅沼君の1年生同士でヨットを運び出している。
「透真が復帰するまでの間はなー。相性があるからあんまり固定のペアを変更するのはやらない方が良いんだけど,こればっかりはしゃーない。スキル的に1年はきついだろうし,部長ペアを態々崩す意味もないしな」
「今まで陽翔が橋本君と組んだことはないの? というか,安田君が出られない間2人で大会出れば良くない?」
「陽翔とは入部した直後1,2回練習で組んだことあるけど,それもそれぞれの相性を探るためですぐ透真とペア組んだからな。正直現状陽翔と組んでどのくらいのパフォーマンス出せるかは未知数だ。それにスキッパーとクルーでは全然役割が違うから,ペアを変えると言っても簡単に普段の役割も変えるわけにはいかない。陽翔は器用だからどっちも熟せるけど,俺クルーはできないし」
ヨットを海に向かって引っ張る橋本君が答える。ほとんど組んだ経験がなく相性が良いかも分からないから,すぐ大会に出場というわけにもいかないらしい。この辺りの事情は組み合わせによって実力が左右されるペア競技ならではといったところか。
ヨットは直接水面に出されるらしい。保管庫の海側のコンクリートは緩やかに下りそのまま海面に突入している。他のヨットが坂を下り海へ運び出される中,橋本君と陽翔は坂の手前でヨットを停める。
「諸々の準備は俺がやっとくわ。陽翔は麗紋君にヨットの説明をしてあげて」
橋本君はそう言ってセイルやロープの確認を始める。破れや摩耗がないか確認しているのだろう。さすがに慣れているらしくその手際はテキパキと素早い。一方陽翔は僕のいる右舷側中ほどに回り込み船首側を指差した。




