Episode 6
4月25日の午前9時過ぎ。いつもの土曜日ならようやく起き出す時間帯だ。
玄関を出た僕はあくびを噛み殺しながらガレージへ向かう。そこに停めてあるママチャリの籠にショルダーバックを入れロックを開錠する。スタンドを蹴り上げ後ろ向きに庭へママチャリを出した。
空を見上げると春らしく柔らかな日差しが降り注いでいる。今朝見た天気予報では今日一日天気の崩れはなく,この季節らしい過ごしやすい気温になる見込みとのこと。ただこの日差しの温もりがまた一段と眠気を誘う一因だ。
重たい瞼をしばたきサドルに跨ると,ペダルを漕いで自宅の敷地を後にする。
僕の実家は新居浜市の中でも特に古い住宅が建ち並ぶ地域にある。住宅の半分が木造で耐震強度が不安に思えるくらい古びたそれで,残りの半分が僕ら世代の親くらいの年代が立てたと思しき戸建てだ。他に見えるものと言えば住宅にほど近い畑と遠くに見える山々くらいで,今自転車を走らせている車道も車1台がなんとか通れるほどの道幅しかない。
緩やかな坂道を下り終えると右手に小川が見えてきた。現代的な戸建てが増えてきたエリアをしばらく走っている内にふと気付く。
今日風が少し強いか?
コンプレックスである天パの髪が風になびき鬱陶しい。平地に入りペダルに体重を漕ぐ足に力を籠める頻度も増してきた。地域の集会所を右手に見ながらズレてきた眼鏡の位置を左手で直す。
よりにもよって週末用事がある日に……今日はツイてないな。
小川沿いを道なりに進んでいく内に車が行き交えるところまで出てきた。この辺りまで来ると一見して木造立てと分かる民家の方が少ない。予讃線の架道橋下を通り過ぎ緩やかな登り道を進む。平坦になった車道をしばらく進んだところで左手に最寄りのコンビニが見えてきた。と同時にようやく信号機が見えたので歩道側に自転車を寄せる。さすがに県道まで出ると風がいつもよりも明らかに強いと感じる。
信号が変わるのを待ち平和通りを横切る。このまましばらくは道なりに進むだけだ。ペダルを漕ぐ足に更に力を込めスピードに乗ろうとするも,中々ホイールの回転数は上がらない。この辺りは道路が平坦で本来ならば走りやすいのだけれど,風の強さのせいでいつもより体力を浪費している感覚だ。周辺が比較的開けており,背の低い民家が散見する住宅地という環境も風の影響を受けやすい理由だろう。
それから5分ほど走っていると,微かに潮の匂いが漂い始めた。かと思うと開けた交差点に辿り着く。ずっと右手に見えていた小川はここで交差点の下を通り左手の河口域へ繋がっている。
交差点を直進してすぐ左手の海岸線沿いの小さな車道に曲がり入る。恐らく近隣住民くらいしか使わない道路なのだろう,見通しが良くほぼ直線の道なのだが対向からやって来る車両の姿はない。
気のせいか進むにつれて潮の匂いが強まっているように感じる。同時に民家も疎らになり,遮蔽物が減ったせいでよりペダルを漕ぎにくい感覚も強まった。小道を走り抜け,橋を渡り海岸線の左手に移る。
この辺りは同じ新居浜市内とはいえ,生活圏から離れており土地勘がない。海岸線左手の道路に入ったところで一旦自転車を脇に停める。スマホを取り出すついでに呼吸を整える。体力を使ったせいでじんわりと額に汗が滲むのを感じる。
スマホでマップを開くと,マリンパークへはこの目の前の道をしばらく道なりに進めば良さそうだ。時刻を確認すると9時10分過ぎ。この具合だと,遅くとも9時半には到着できるだろう。
スマホを戻し再びペダルを漕ぐ。海岸線から道路を挟んで左手には民家が立ち並んでいる。比較的新しい住宅が9割ほどを占めるが,石垣の上に板塀を張った歴史を感じさせる住宅もある。やはり漁業関係の住人が多いのだろうか。
いつの間にか海岸線は遠退き,右手にも民家が立ち並ぶ地区に進み入っていた。そう思ったのも束の間で,ものの1,2分ほどでまた右手にブロック塀の向こうに河口域が姿を現す。2,300m先には船溜まりが見え,陸側には潮を浴びて錆びたトタン小屋が並び海側には小型の漁船がそれぞれの小屋の前に停泊している。
年代を感じさせるトタン小屋を横目に走り抜けていると,逆に道路左手の住宅はかなり新しい民家が立ち並んでいることに気付いた。昔ながら漁師の家系の集まる一帯というわけでもないのだろうか。そんなことを考えている内に道路は海岸線を離れ左手に折れる。
そのまま進んでいる内に民家も途切れ鬱蒼と草木の生い茂る一帯に突入する。右手のブロック塀の向こうには海へと通じているらしい水路が再び姿を現した。水路の向こうに見える並び立つ樹々は防風林か何かだろう。強風に煽られ激しく葉を揺らしている。
そうかと思った瞬間視界の左手に馬の姿を認めてぎょっとした。流れゆく光景から推測するに,地元の乗馬クラブで飼われている馬の馬場だったようだ。思いがけず心拍数の上がった胸を押さえながらY字路を右手に曲がる。
左手にはソーラーパネルが並ぶ一画が見えてきた。右手のブロック塀も途切れ,水路に落ちないよう心なし僕はスピードを落とす。この辺りまで来るとほとんど民家はないらしく,水路の向こうには水産関係の加工場らしき建物が建ち並んでいる。一方こちら道路の左手はソーラーパネル以外は雑草の生え茂っているくらいで,何とも味気のない光景だ。水路を横断する道路を右折し,水産関係の建物が建ち並ぶ歩道を進んだ。
そのまま左手に水路を見ながら5分ほど自転車で走った頃だろうか,突如広い駐車スペースが目の前に見えた。
ここがマリンパークの駐車場のようだ。さすがに繁忙期前の早い時間帯のせいか停まっている車の姿はほとんど見えない。ここから先マリンパークの大まかな敷地図は事前に頭の中に入れておいた。スマホを取り出すまでもなく駐車場を右に曲がる。
横断歩道を通り過ぎ左折し直進する。道なりに進むと正面に隣接している建物が現れた。と同時に,左手に駐輪所を見つけそこに自転車を停める。
ショルダーバックを取り出しスマホで時刻を確認すると9時20分を過ぎていた。早目に家を出たおかげで,強風の割には余裕をもって到着できた方だろう。駐輪場を出て朗らかな日差しの降り注ぐ歩道に出る。
しかし来たは良いもののどこに行けば練習を見学できるのだろう。9時半頃にマリンパークに来るよう言われただけで,施設内の具体的な場所は聞いていない。事前に営業時間が8時半からということは確認しているから,お店の人に聞けば分かるのだろうか。
取り敢えず目の前に見える建物の方へ向かう。近付くにつれ左手の建物の入り口に宿泊棟,右手の入り口にクラブハウスと施設名が書かれているのが見えた。歩道にある「ビーチ・キャンプ場入口」と書かれた看板を通り過ぎ,クラブハウスの方に向かおうとした時だ。
「麗紋おはよー。そろそろ来る頃かと様子見に来たら,タイミングバッチリだなー」




